小さな演奏会
(この文章は、筆者が経験したエピソードを元にして再構成したものです。事実に基づくようにしていますが、一部創作もありますのでご了承ください)
朝比奈は1990年代に何度か、大阪市の求めに応じてシティホールコンサートの舞台に立った。
これは大阪市役所の一階玄関ホールを会場として小編成のオーケストラで、
公募で当選した大阪市民を対象に開くコンサートであった。
この種のちいさなコンサートは朝比奈もある意味で楽しみにしていた。
ある日のシティホールコンサートで、朝比奈はベートーヴェンの交響曲第8番を演奏したが、
第2楽章が終了したときに聴衆の一部から拍手が沸き起こってしまった。朝比奈は苦笑いしながらも、
(これはいつもの私のコンサートに来るファンとは違った人たちだ。
いつもはクラシックなど聴かない人に聞いてもらえる機会なんだな)
と満足げな表情であった。
その日のアンコールは大阪市歌であった。朝比奈はオーケストラのほうではなく、
あらかじめ大阪市歌の歌詞と楽譜を配布してある聴衆のほうに向きなおり、指揮をはじめた。
オーケストラの演奏にあわせて大阪市歌を歌う市民。
雲の上の演奏家であってはいけないと思う朝比奈にとって、この瞬間は至福のときであった。
1995年4月に大阪のイシハラホールで開かれた「朝比奈隆の音楽の捧げもの」というコンサートも異色であった。
会場はやはり小さいホールで、朝比奈はブランデンブルグ協奏曲第5番を指揮し、
続いて舞台に一人で出て、聴衆にむけて指揮の歴史や自らの考えについての話を約30分にわたって行った。
途中、指揮棒を見せながらの話で、持っていた指揮棒を床に落としてしまうハプニングがあったが、
朝比奈はなんなく腰をかがめて拾い上げ、80歳後半とは思えない身のこなしに聴衆は感嘆した。朝比奈は
(弦楽協奏曲の指揮なんて居なくてもいいが、小さな会場でお客様に話をする機会は少ないから、今日は貴重な日だ)
と考え、一目で聴衆全員の顔を見渡せる大きさのホールに目を細めていた。この近さが大事、朝比奈はそう感じていた。