ベートーヴェン・イヤーとブルックナー・イヤー

(この文章は、朝比奈氏の随筆や、朝比奈氏についての各種出版物から知りえたエピソード、あるいは筆者が経験したエピソードを元にして、筆者が再構成したものです。史実に基づくようにしていますが、一部創作もありますのでご了承ください)


 2000年は朝比奈にとって9回目で、最後となったベートーヴェン交響曲全曲演奏を成し遂げた年になった。 恒例の「朝比奈隆の軌跡」シリーズと大阪フィルの定期演奏会、そして年末の第九演奏会によって全九曲の演奏が行われ、 ライブ録音され、ほぼリアルタイムに無修正で発売された。二十世紀最後の年の12月末、 最後に残った交響曲第9番をフェスティバルホールで指揮した朝比奈は

 (もうすぐ21世紀だな。体調はいいし、まだまだこの調子だと指揮台に立てる)

と健康への自信を新たにした。終楽章の駆け上がるようなフィナーレを終え、 カーテンコールに応える朝比奈。翌日の新聞1面に朝比奈の250回目と251回目になる第九演奏の記事と写真が載り、 そのこぼれるような笑顔をみながら多くのファンは、来年も朝比奈の演奏会が聴けることを歓び、新世紀を迎えた。

 新世紀となった翌2001年は朝比奈がブルックナーの交響曲を集中して演奏した年であった。 第3・4・5・7・8・9番の6曲をライブ録音する計画が、例によって「朝比奈隆の軌跡」シリーズと 定期演奏会などで予定されていた。特に4月に行われた第5番の演奏会は、朝比奈の真骨頂であり、 音の伽藍と呼ばれる終楽章の壮麗さには、いつも起こる「ブラヴォー」の声も鎮まるほどの、聴衆を圧倒した演奏会であった。 朝比奈もいつもどおり、

 「これで文句があったらブルックナーでもベートーヴェンでも呼んで来い、ですな」

と満足げであった。

 ところが初夏を迎え、交響曲第8番の演奏会を93歳の誕生日前後に大阪と東京で行ったころから、 朝比奈はいつになく疲労感を覚えるようになった。そして白内障と緑内障が悪化してきたため、 歩くのが不安になってきたこともあって、自分のペースを掴みきれないようになってきていた。 夏の間はなるべく静養に努めていたが、9月はじめには札幌への演奏旅行があり、 朝比奈も少し体調が良くないものの札幌まで飛んで大阪フィルを無事に指揮し、札幌の聴衆を魅了した。 神戸の自宅に帰った朝比奈は、次に予定されていたブルックナーの交響曲第9番の準備を始めたが、 札幌の疲れはなかなかとれず、そのため次の演奏会の準備も遅々としてすすまないことに少し苛立ちを感じるようになっていた。 あれほど健啖家であったのに食欲も少しずつ落ちてきて、体重が減っていることにも不安を感じ始めていた。