最後の演奏会

(この文章は、朝比奈氏の随筆や、朝比奈氏についての各種出版物から知りえたエピソード、 あるいは筆者が経験したエピソードを元にして、筆者が再構成したものです。史実に基づくようにしていますが、 一部創作もありますのでご了承ください)

 2001年9月24日、大阪のザ・シンフォニーホールで「朝比奈隆の軌跡2001」シリーズの最終公演が行われ、 満場の聴衆とテレビカメラを前に朝比奈はブルックナーの交響曲第9番を指揮した。 疲れが回復しない朝比奈は楽屋のソファで開演直前まで横になっていた。

(おかしいな、今まではちょっと横になっていたら元気がでてきていたのに……)

そう自問する朝比奈にむかってステージマネージャが遠慮がちに呼びかけた。

 「先生、お時間になりましたが……」

朝比奈はうなずくと、ゆっくりと起き上がり髪の毛を整えた。ネクタイを結び上着を着ると、 ステージマネージャは楽屋のドアを大きく開いた。朝比奈は軽く左手をあげ楽屋を出た。 その後ろ姿は往年の大きさを失っているように思われた。舞台袖で朝比奈は一呼吸つき、軽くうなずいた。 マネージャーが指揮棒をさっと渡し、呼びかけた。

 「マエストロ、トイ・トイ・トイ……」

舞台下手の幕があけられた。聴衆の拍手のなか朝比奈はいつものように胸をはって舞台に出たつもりだったが、 目が見えにくくなってきていたこともあって足元が弱々しく、聴衆は今日の朝比奈が一回り小さく覇気がないことを微妙に感じ取っていた。 この日の指揮はいつもにもましてぶれが大きく、楽員たちもはらはらしながらの演奏だった。第3楽章のアダージョが終わり、 最後の和音が鳴り止んでからも朝比奈は右手をあげたままであった。その間約 5秒、客席からも物音ひとつせず静寂の時間が過ぎた。

 「これが最後のアダージョかもしれない」

朝比奈をはじめ、楽員、ステージスタッフ、そして一部の聴衆はそう考えていた。 朝比奈は感慨と余韻を充分にかみ締めたのち、右手を下ろした。同時に万雷の拍手がザ・シンフォニーホールを駆け抜けた。 朝比奈はいつものように楽員たちをしばらくの間見つめ、その後、聴衆に答礼した。朝比奈が袖に下がり、 オーケストラが舞台からいなくなってもいつものように拍手は続く。 それを朝比奈は舞台袖のイスに腰掛けて目をつむってじっときいていた。 ステージマネージャが声をかけようとすると、朝比奈は目を開けて言った。

 「よし、出よう」

朝比奈が立ち上がると、舞台袖の幕が開かれた。オーケストラが居なくなった舞台で 一人拍手を受ける朝比奈をテレビカメラがとらえつづけている。聴衆は朝比奈の体調を心配しながらも拍手を続け、 朝比奈は譜面台につかまりながら、四方の客席を順に向いてそれに応えた。長年活躍の拠点としてきた大阪で、 これが最後の朝比奈の演奏会となり、また映像に記録された最後の指揮姿となった。

 朝比奈は神戸の自宅に帰り、晩酌ののち休んだが、次の日になっても疲れはとれず一日横になっていた。次は 10月に名古屋で演奏会を指揮するが、家族は指揮できるかどうか危ぶんでいた。町子と千足が朝比奈に

 「しばらく仕事は休んでゆっくりしたら?」

というと、朝比奈は

 「仕事のことに口をだすな」

と怒り、名古屋で指揮することになっているチャイコフスキーの交響曲第 5番のスコアを取り出し、鉛筆を手に譜面を追い始めた。

10日に行われた名古屋での演奏会では、朝比奈は体調が回復せず、ろくにリハーサルもできなかった。数日前によろめいて転び、額に軽いけがをしたこともショックであった。舞台に登場した朝比奈は明らかに弱弱しく、楽屋に近いという理由で慣例を破って上手から舞台に出たのも、マネージャーが指揮台まで付き添ったのも初めてのことだった。演奏が始まっても朝比奈の棒は宙をさまよい、楽員はコンサートマスターとソリストを頼りにようやく演奏を終えた。コンサート前半のコンチェルトが終わり、休憩に入ったとき、大阪フィルのマネージャーが楽屋で楽員を前にこういった。

 「休憩後はオッサンの最期の演奏になると思うからそのつもりで集中してやってくれ」

楽員の多くは朝比奈の様子からそれと悟ってはいたが、冗談めかしたくなり

 「いつも気合入れてやっている」

と答えたが、マネージャーが重ねて、

 「本当にこれが最期の演奏会になると思うから……」

というと、もうしゃべるものは居なかった。重苦しい雰囲気が楽屋に漂う頃、 朝比奈は指揮者楽屋で横になっていた。朝比奈自身、

 (今日の演奏会が終わったらしばらく休ませてもらおう。このままでは立って指揮ができなくなる)

と考えていた。

 休憩時間が終わり、朝比奈はよろよろと立ち上がると、舞台に向かった。舞台に出る前に誰に言うともなく 「チャイコフスキーだったな…」というのを傍にいた千足は聞いた。楽員は沈痛な面持ちで迎え、チャイコフスキーの交響曲第5番が始まった。 楽員たちは指揮を見ていなかった。しかし朝比奈の魂をみていたといってよいかもしれない。指揮者の技術ではなく、 指揮者の精神に集中して一つにまとまった演奏であった。 楽章が進むに連れ長年ともにやってきた楽員たちは、演奏しながら涙を流していた。フィナーレが終わると朝比奈は譜面台にもたれかかった。 コンサートマスターがマネージャーを呼ぶ。マネージャーが指揮台にかけつけ、朝比奈を介添えして袖に下がった。朝比奈は袖に入る直前に客席のほうを向き、かるく右手をあげて会釈した。一段と大きな拍手をおくる聴衆はみな、今日が朝比奈の最期の演奏会になるであろうことを悟っていた。そしてそのとおり、 1940年にチャイコフスキー交響曲第5番でプロ指揮者デビューした朝比奈は、同じ曲を最後に指揮して指揮生活の終焉を迎えたのであった。