宿屋の親子

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 妖怪が来る宿

これは、昔々の物語です。

現在の東京が「江戸」と呼ばれていた頃、その江戸から少し離れた所に小さな宿場町が有りました。
宿場の一番外れには「蛻屋(もぬけや)」と書かれた、これまた小さな宿がありました。

既に日も暮れて、すっかり暗くなった頃、大きな荷物を背負った一人の旅人が、疲れた様子で「蛻屋」の看板を見て言いました。

「なになに・・・、モ・ヌ・ケ・ヤ・???。
何とも変わった名前の宿だなあ・・・」
首を傾げながら、旅人は宿の暖簾を潜りました。

「いらっしゃいませ」
中に入ると、小柄な老人が一人、品の良い声で迎えてくれました。
「私は、この宿の主の竹蔵で御座います」
宿の玄関は掃除が行き届き、とても奇麗でした。
旅人は、少しホッとした気持ちになって言いました。
「いやあ、こんな時分で申し訳有りません。
急な商いで先を急ぐものですから・・・。
でも、宿が見付かって良かったです」
「さようで御座いますか。
只今、濯ぎをお持ちしますので、お待ち下さい」

間も無く「濯ぎ桶」を持った若い男がやって来て、旅人の足を洗い始めました。
この若い男は、主の竹蔵と違って無口な上に、かなり無愛想でした。

旅人は、
「ねえ、使用人さん。
この宿は、貴方の他に何人働いているのですか?」
と、尋ねました。
すると、若い男は少し「ムッ」とした顔になりました。
「すまないけど、おいらは使用人じゃないよ。
この宿は、おいらと父ちゃんの二人で切り盛りしてるんだ。
それに、おいらには松吉って名前もあるんだ」
旅人は、これは失礼したと言う様子で頭をかきました。
「いやあ、これは失礼、貴方は宿の若旦那でしたか」
「若旦那なんて・・・、よしてくれよ」
「なぜです?、先ほど迎えてくれたご老人は、宿の主の竹蔵さんで、貴方の、いや、松吉さんのお父さんでしょう?」
「そうだよ・・・」
「それなら、松吉さんは、この宿の若旦那じゃありませんか?」
「おいら、宿屋の跡取りなんかに成りたくねえんだよ!」
「おや・・・。
それは、また、どうした理由で?」
旅人に聞かれ、松吉は少し黙りました。
しかし、急にニヤリと笑うと、旅人に向かって言いました。
「あんたも、ここに一晩泊まれば分かるさ。
この宿にはなあ、妖怪が泊まりに来るんだ・・・」




 

「今、何て言いました?
妖怪が泊まりに来るって、聞こえましたが・・・」
旅人は、自分の耳を疑っているようです。
松吉は、落ち着いて言いました。
「そうだよ、妖怪が泊まりに来ると言ったんだ」

すると、宿の玄関の戸がス〜ッと引かれました。
旅人が目を向けると、そこには熊よりもずっと大きな毛むくじゃらの獣のような動物が立っていました。
旅人は、あまりの驚きで声も出なくなりました。
しかし、松吉は全く動じる様子も無く、
「どうも、いらっしゃい・・・」
と、ボソリと一言。

すると、奥の方から松吉の父親の竹蔵が小走りで出て来ました。
「これは、これは、いらっしゃいませ。
確か、『土ころび』様、でしたかな?」
竹蔵は、相手が妖怪だと言うのに人間の客を相手にしているのと全く態度が変わりません。
『土ころび』と呼ばれた妖怪は、体を人間くらいの大きさに変えました。
頭と思える場所には、真っ赤な目玉が一つだけ爛々と光っており、その目は皿のような大きさです。
『おいらは、土ころびのドロって言うんだ』
何と、その妖怪は低い声で言葉をしゃべりました。
「そうで御座いますか。
この前、お泊り戴いたお客様は、土ころびのデロと、確かおっしゃっていましたよ」
『そうだ、おいらはデロから聞いて来たんだ。
親切に妖怪も泊めてくれる宿があるって・・・』
「人間も妖怪も、お客様に代わりは御座いません。
御覧の通り、小さな宿で部屋も狭いとは思いますが、どうか一晩お寛ぎになって行って下さいませ」
竹蔵は、土ころびのドロに深々と頭を下げ、濯ぎ桶で手際良くドロの足を洗いました。

旅人は、青ざめた顔のまま、固まってしまっていました。
竹蔵は、その旅人に優しく言いました。
「お客様、何も心配は御座いませんよ。
お客様の部屋は、息子の松吉がご案内させて戴きます。
どうぞ、ごゆっくりお寛ぎ下さいませ」
竹蔵は、旅人にも深く頭を下げると、土ころびのドロを案内しながら、奥の部屋へ入って行きました。

松吉は、涼しい顔をして旅人に言いました。
「おいらの言った事、嘘じゃあ無かっただろう?。
どうする?、お客さん?」
「ど、ど、どうするって、何をですか?」
「いやあ・・・、この前のお客さんは、荷物まとめて、すっ飛んで逃げてったモノだから・・・」
松吉の言葉に、旅人は深呼吸して少し落ち着きを取り戻してから尋ねました。


 

「この宿に泊まりに来る妖怪は、人間をとって食ったりするのですか?」
「別に、そんな事はしねえよ。
大酒を飲んで騒いだ妖怪がいるくらいだな・・・」
「なあんだ、そんな事なら人間と同じではないですか・・・」
旅人は疲れていたので、とにかく一晩の宿を借りる事にしました。

風呂に入って夕食を済ませると、旅人は直ぐに床に付きました。
しかし、玄関の方からは声が聞こえて来ます。
「・・・どうも・・・いらっしゃいませ・・・」
主の竹蔵の声でした。
旅人は、
「こんな夜更けになってから、未だ客が来るなんて・・・」
と思いながらウトウトしかけました。
すると、廊下を歩く足音が近付いて来ました。
竹蔵の声が聞こえて来ます。
「もう、休まれたお客様もおられます。
どうぞ、歩く折には、お静かに願います」
「分かりました、夜分遅くに、すみません」
声から察すると、客は若い女性のようでした。
旅人は、声の美しさに引かれて、部屋の引き戸を少し開けて廊下を覗いてみました。

竹蔵の後から付いて行く女性は、確かに若い女性でしたが、首が蛇のように伸びてユラユラと頭が揺れていました。
「ろ、ろ、ろくろっ首!!!」
旅人は、思わず後ろに仰け反って尻餅を着きました。

それからと言うもの、旅人にとっては眠れない一夜が始まりました。
ろくろっ首の次には、大きな頭に小さな体を蓑で包んだ「油すまし」が泊まりに来ました。
更に、口が耳まで裂けた恐ろしい形相の「なまはげ」が二匹、泊まりに来ました。
ヒラヒラと宙を飛ぶ「一反木綿」、赤い顔に長い鼻を持った「天狗」も来ました。
部屋は満室になった様子です。

「なまはげ」の大きなイビキが聞こえて来ましたが、それは、まるで野獣が吼えるような音でした。
旅人は、腹を立てるどころか、体がガタガタと震え出しました。
「とんでもない宿に泊まってしまった・・・。
松吉さんは大丈夫だと言ったが、分かるモノか。
明日までに、私は食われてしまうかも・・・」


続く





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