2006年1月9日

姫島
(その1・七不思議伝説の地をゆく)



村営フェリーより、姫島。右側の山が矢筈岳


 地図に見る九州の形を猿のようだ、と言った人がいる。なるほど、かなり無理をすればそう見
えなくもない。だとすれば大分県の国東半島は、ちょうど向かって右側の、ちょっといからせた
肩であろうか。その肩先から少し、瀬戸内海は周防灘に入ったところに姫島がある。
 姫島は、その島一つが小さな自治体「姫島村」となっている。ホームページによれば、平成12
年で人口はおよそ2700人、世帯数は980戸程だという。
 この島の訪問は初めてである。しかし眺めたことはある。はじめて2002年?柳井の撮影に行
った折り、山口県の徳山から国東半島の竹田津へ向かう船に乗った。その船上から、洋上に
霞んだ姫島を撮している。
 姫島、にはその名のおこりにまつわる幾つかの伝説がある。
 村のホームページには、島の由来として、次のような伝説を記している。

        以下姫島村ホームページより

●島の由来

古事記によると伊邪那岐命、伊邪那美命の二柱の神が「国生み」にさいし、大島を生み、次に女島を生むとある。こ
の女島が姫島で、またの名を「天一根」という。また、日本書記によると、垂仁天皇の御代、意富加羅国(今の韓国
南部)の王子都怒我阿羅斯等が、ある日黄牛に田器を負わせて田舎に行くと、牛がいなくなった。捜していると老翁
が現わて、「おまえの捜している牛は郡公が殺して食った。」という。阿羅斯等は郡公の館に行って牛の代償を求め
ると、郡公は白石を与えた。阿羅斯等は白石を持ち帰り寝室に置くと、美女となった。阿羅斯等は大変喜んで求婚す
ると、美女は忽ち消えてしまった。阿羅斯等が追い求めると、美女は海を渡って日本国に至り、比売語曽の神となっ
た。姫島の名前の由来はここからはじまる。



 摩訶不思議な伝説だが、古事記・日本書紀と日本が国家としての体裁をとりつつあったごく
初期段階の文献双方に名を連ねているのだから、この島の歴史の古さがわかろうというもの
である。

 姫島には七不思議という伝説が伝わっている。島巡りにも欠かせない名所なっており、姫島
村ホームページにも紹介されているが、その中の幾つかは、炭焼長者伝説に重なるところが
見え隠れする。


 そして、伝説はこれだけにとどまっていない。炭焼長者伝説にもこの島の名があがっている
のだ。
 長者の娘、般若姫が奈良の都を目指して臼杵の港から船に乗り、大畠瀬戸で遭難したという
言い伝えの中に、この姫島の話も出てくるのである。


『三重町蔵本「内山記」真名野長者物語』の書き下し文から、抜粋しよう。

 されども、勅使の船は少し早かりし故、真っ直ぐに乗り抜きて、中国の地に着き給い、日を経ずして、先き達ちて帰
洛し給う。姫の御船は熊毛の浦に十余日滞留し給う。
「余り日数も重なりて船中も心苦し。向の嶋に渡りて見ん」
と宣えば、溝部治郎左衛門・竹之内新右衛門・臼杵・萩原忠左衛門・竹之内小重朗を始め。男女二百人、龍伯・定
馳子二人の船頭御供にて、小船に召して嶋に渡り給う。峰に上りて故郷の方を詠めんと、急ぎ山頂に登り給う。二人
の船頭進み出でて申しけるは、
「唐土の習いには、上下に依らず、遠国出で行きて天気悪く候えば、其の主、立ち出で舞楽の祝儀をなせば天気能
く相なる」
と、云う。
其の時、般若姫、打ち哂いて、
「それは、此方に知らざる間、其の方、宜しく計らい給え」
と、宣えば、両人畏て、軈て装束改め出でて種々の舞を作し、狂言綺語の戯をなしければ、満座、皆、頭を傾けて笑
い興じける。般若姫も船中の労を忘れ給いて、唐土より渡りし姥柳の楊子を一本取り出し、
「この楊子は地に指し置かば、本の如き柳となると云う。指し置き見ん」
 と、地に指し給う。
 其の夜は、山に權屋を造りて、酒宴をなして其の夜を明かし給い、数多の黄金、巻物を取り出だし、二人の船頭、
下々にもくだし給う。
 其れより、此の嶋を「姫嶋」と云うなり。
 されば、夕に指し給いし楊子、朝には忽ち青皮生じ、三の芽生え出でたり。皆々奇異の思いをなす。 

 このように、姫島という名の由来の一つに、炭焼長者譚がしっかりと絡んでいるのである。
 これが、この島を訪ねようと思ったきっかけである。
 島にそびえる矢筈岳にも登るつもりである。「峰に上りて故郷の方を詠めんと、急ぎ山頂に登
り給う。」という一文が気になったからである。
 
 姫島村営のフェリーは、国東半島の突端からわずかに北よりの、伊美港から出る。
 早朝、フェリー乗り場へ到着。フェリーを利用する車は、ほとんどが仕事の車のようだ。電力
会社の工事用車両や、商売のバン、そしてダンプ。明らかに僕の車両だけが異なった存在で
ある。このフェリー、僕の車両でも往復五千円近くとなる。たいした距離ではないのだが、利用
者とのバランスなどから算出された料金であろう。でも、少々懐に痛いなあ、と思いつつ船上の
人となった。



伊美港を出発。いざ姫島へ




まだ眠い。まどろみの客室




航海の安全を祈る気持ちは、今も昔も変わらない





姫島港より矢筈岳



 好天である。波も穏やかだ。島に渡る、というだけで意味もなく高揚してしまうのだが、そのわ
くわく胸躍る時間もあっという間に過ぎ去ってゆく。上陸する姫島港からは矢筈岳が正面に望
める。

 まずは、島を廻る海岸線沿いの道路を進むことにした。海岸線に沿って走り始めると、そこ
は矢筈岳の山麓でもある。山と海に挟まれて、ほとんど車も通らぬ道が伸びている。人家がほ
とんど無い箇所を抜け、島の東端へ向かう。島が細くくびれて、左右の海があわさるかと思う両
瀬という集落を過ぎると一転、ふたたび島の陸地はわずかにだが幅が広がる。ちょうど、小さ
な丸い島が細長い姫島にドッキングしたような形である。
 道は山坂を登り始める。登り切るといよいよほぼ島の東端になる。ぐいぐいと登るので、矢筈
岳の全貌を撮すのによいのではと思い、進むと、駐車場があり道が終わった。
 そこには灯台があった。姫島灯台である。灯台ならばさぞかし眺めがよかろうと、そちらへ向
かう。途中に不思議なものがぶら下がっている。







まるで柳井名物の金魚提灯である
 

 さて、周防灘に突きだした断崖上に建てられたこの灯台は明治37年だという。しかもすべて
花崗岩という端正なつくりである。決して大きな建造物ではないが、思わず見とれてしまうだけ
の美しさがある。








 ここからは、豊後半島側の眺めがよかったが、残念なことに肝心の矢筈岳は、というとあまり
眺めがよくないのである。そこで、直ちに戻ることにした。その途中、先ほど気が付かなかった
看板を見つけた。

 注意
松の枝より吊りさげている袋にさわらないでください
 松くい虫よけの薬剤が入っています
姫島村

 あの金魚、なんと防虫剤の袋だという。
 それにしても、このスタイルはどう見ても、金魚提灯。
 以前、どこかのホームページで、真名野長者伝説=般若姫伝説に関わる自治体が、交流会
を持った、といったような記事を目にしたことがあったが、もしかするとこの防虫金魚も、柳井
市と姫島村との関わりの中で生まれた産物なのでは、などとつい想像を膨らませてしまう。


 さて、灯台をあとにした僕が向かったのは、それほど遠くないところにある比売語曽(ひめこ
そ)神社である。
 先ほど通過した、島がぐっとくびれた両瀬の集落部分を過ぎ、島の北側に回り込むと、すぐ、
道路脇に町営の温泉施設「姫島村健康管理センター」が目に入る。ここには島唯一の温泉で
ある拍子水温泉があるのだが、定休日のようだ。うーむ残念である。

 そのセンターのすぐ脇に、姫島七不思議の一つである拍子水が勢いよく湧き出している。
拍子水温泉の元となる鉱泉。溜まっている水は鉄分濃厚、それが酸化するのだろう、見事な
錆色を呈している。






お姫様がお歯黒(鉄漿)をつけたあと、口をすすぐために、手拍子を打ったら湧き出したと伝えられている、拍子水



 この拍子水のそのすぐ近くに建っているのが、目的の比売語曽神社である。
 海岸沿いの低地から、ぐっとせり上がる懸崖の袂に建つ神社は、残念ながら相当に新しく、
期待していた古社の風情は漂ってこない。
 本殿の前には、拝殿があり、さらにその手前には、これはちょっと時代を感じさせる鳥居が建
っている。




比売語曽神社を正面から見る




本殿




真新しい拝殿の中
新年を迎えたばかりなので、何かまつりごとがあったのだろうか



拝殿正面にも正月飾り(?)が残る
蜜柑・裏白のほかに昆布と炭!の姿が





おめでたい飾りに炭が使われているということは理由はわからないが、嬉しいことである
炭焼長者とも関連はありはしないだろうかという夢想も膨らむ


比売語曽神社の由来について記した看板があったが、そこには現在の韓国から来た比売語
曽神(姫)について記載されるのみで、残念ながら般若姫にはふれられていない。 しかし、こ
の社に祀られている「姫」には幾人もの説があり、僕のイメージでは彼女らが「姫」として合祀さ
れている、ような気がするのだ。(論拠はない・・・)そのうちの一人に、般若姫を数えるのも、別
段不思議とも思えない。

 さまざまなことを考えながら、この神社の周囲をうろうろしていると、自転車に乗っていた初老
の男が近づいてきた。挨拶をし、少し話をするうちに、おいでおいでと本殿裏に連れて行かれ
る。
 そこには、奥の院だかご本尊だかが祀られているという。確かに、迫るように立ちはだかる
岩の前に、まだ新しい御幣が祀られた小さな祠が建っていた。






 てっきりこの祠が奥の院かと思うと、さらにその奥、岩のひび入った割れ目の中に、ご本尊?
があるのだと言う。
 なる程!御礼もそこそこに、崖の割れ目をのぞき込む。

 暗い。でも、何かある。
 







  最初は暗くて見えにくかった崖の割れ目なのだが、目が慣れてくると、そこには、すくっと屹
立した石が祀られているのがわかった。さっそく望遠レンズを取り出し、三脚でしっかり構えて
撮した。
 岩崖の割れ目に屹立した石。そこに祀られているのが、何なのか。島の名の由来となった果
何処かの姫が祀られているのだろうか。そして、この石に、何の意味がこめられているのだろ
うか。想像は闇雲に広がるばかりで、収束の気配を見せない。ただ、こうした原始的な神様が
密かに守られていることに、ちょっとした感動を覚えたのだ。


 比売語曽社をあとにして、まず、近くの港へ向かった。青空と青い海に挟まれた人気のない
漁港。何となく防波堤を歩いてみた。十世紀以上も昔に、もしかしたら般若姫一行はここから
上陸したのではなかろうか、などとのんびり想像する。




 さらに、七不思議の一つに数えられる「かね(鉄漿)つけ石」にも足をのばした。比売語曽姫
が、鉄漿をつけたという石で、皿と筆の跡が残っているといわれる石だが、正直なところ何処
が痕跡なのかわからなかった。



七不思議の一つに数えられる「かね(鉄漿)つけ石」


 さて、恥ずかしい話だが、このことを書いている時点で、すでに記憶が散逸しているのだが、
比売語曽社の奥の院に案内される前後に、僕は先ほどの男性に、比売語曽神社の祭りのこと
を教えてもらっている。もう少し詳しく書くと、その祭りの行列のことなのだ。
 祭りの行列が神社を出ると、両瀬の集落を通過して、島の一番細くなった付近の、わずか標
高数メートル程だが高台になっている広場へ向かうのだという。そこで踊りを奉納するというの
だ。その時点では、あまり重要な話だとは思っていなかった。だから漁港や「かねつけ石」を眺
めて、矢筈岳へ向かおうとしていたのだ。
 しかし、もう一度この話を思い出し、僕はちょっと動揺したのだ。
 比売語曽神社は島の北側に回り込んでいる場所に建っているので、その眼前に見える海は
周防灘。山口県側の瀬戸内海を向いている。一方、その高台にのぼれば、そこから眼前に広
がっているのは、海峡を隔てて間近に国東半島をはじめとする豊後の国が望めるのはずでは
ないか。
 ここで、冒頭に引用した「内山記」を再度引用しておこう。
 
 峰に上りて故郷の方を詠めんと、急ぎ山頂に登り給う。二人の船頭進み出でて申しけるは、
「唐土の習いには、上下に依らず、遠国出で行きて天気悪く候えば、其の主、立ち出で舞楽の祝儀をなせば天気能
く相なる」と、云う。
其の時、般若姫、打ち哂いて、
「それは、此方に知らざる間、其の方、宜しく計らい給え」
と、宣えば、両人畏て、軈て装束改め出でて種々の舞を作し、狂言綺語の戯をなしければ、満座、皆、頭を傾けて笑
い興じける。
 
 故郷を眺めるために、峰に登り、踊りに笑い興じる。
 僕は、この「峰」が、島の最高峰である矢筈岳のことだろうと、何の疑いもなく考えていた。し
かし、姫をはじめとする一行がすぐに登る山頂が、何もそんなに標高の高い場所だとは限らな
いではないか。海沿いの高台にも、山頂としての資格があるのでは無かろうか。
 あるいは、矢筈岳で行われた踊りを、その祭りは再現しているのでは無かろうか。比売語曽
神社に伝わる祭りこそ、般若姫伝説を現世に伝えているのでは無かろうか。


 いったん、内陸側へと向かいかけた僕だが、ふたたび比売語曽神社まで戻り、さらに両瀬集
落を通過して、その台地へ向かってみたのだ。(それは神社から車で3分程の近距離なのであ
る)
 なる程、集落が終わり、海と海に挟まれ、山並みがぐっと絞られ海に溶け込もうかといった、
島のくびれに階段があった。その階段をあっというまに登り切ると、そこは踊りにふさわしい広
場となっているではないか。
 般若姫の言い伝えと、話に聞いた祭りに何らかの関係があるのか、あるいは無いのか。祭り
が何かを象徴しているのか、あるいは祭りに影響された伝説なのか。いったいいかなる踊りが
演じられるのか。
 残念ながら僕には知るよしもない。しかし、どこかに、僅かかもしれないが、般若姫伝説が姿
形を変えてここに生きているのではないか、という想いは強くなるばかりなのであった。




ここで踊りが踊られるという台地。
見えているのは北側の両瀬集落




台地への階段を登り詰め、振り返る
細くくびれた島の様子がよくわかる。正面の山の右上に姫島灯台が建つ。
右手側の海が、国東半島側との海峡となる


 ところで、僕の記憶の中では、この奥の院と祭りという大事な話をしてくれた男の人物像が、
すっぽりと欠損している。申し訳ないと思う一方で、これも不思議なことなのである。

 伝説の踊りに想像を膨らませた僕が次に向かったのは、七不思議の一つ、「逆さ柳」である。
先ほど戻った道を再度進み、海から離れ「かねつけ石」を通過し、少し山に囲まれた集落のた
め池の畔に「逆さ柳」を訪ねた。柳はそれ程大きくはなく、おそらく初代から数えればもう何代
目にもなるのであろう。伝説さえなかったら、スッと見過ごしてしまうような樹であった。




七不思議の一つ「逆さ柳」
この付近集落の名が「金」だということを、その後に知った

 柳井市の地名の起こりが、般若姫が柳の楊子を地面に刺し、そこから柳が芽吹いたという伝
説にあることはすでに書いたが、ほぼ同様の伝説を伝えるのが、この「逆さ柳」である。
 比売語曽姫がお歯黒(鉄漿)をつけるのに使った楊子を、池の土手に逆さまに挿したところ、
この柳が生えてきたのだ、という伝説なのだ。

 ところで、古代史はサッパリわからないので、ネットでこの比売語曽姫について検索をかける
と、どうも鉄との関わり合いの深い姫様だということが、おぼろげにだが浮かんでくる。
 この姫島でも、お歯黒=鉄漿が象徴するように、何かしら金属の影がつきまとっている。たと
えば、拍子水にしても、見事に鉄錆色だし、この逆さ柳のある集落はズバリ「金」という名であ
る。さらに、先ほどの漁港の名も東浦港という名称のほかに金港という名を見ることが出来る。
 炭焼長者伝説を、単に炭焼きさんの出世譚ではなく、炭を焼き金属精錬を行った集団あるい
は豪族の伝説と読み替えるとするならば、偶然かもしれないがこの地に般若姫が漂着した、と
いう話には、何らかの必然性さえ感じられるのである。
 
 さて、いよいよ島の最高峰、矢筈岳を目指すことにしよう。
 



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比売語曽社の由来
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