慶長十年春。徳川秀忠が徳川幕府二代目将軍を継いだ。幕府から将軍宣下に列席せよと、上杉家に文。直江兼続は大坂に出向いた。兼続は秀頼と千姫、さらに淀と会った。上杉景勝と兼続は伏見城で、秀忠の将軍就任を祝った。伊達政宗の仲介で、秀忠と話した。政宗はまだ自分の信念を持ち続けていた、天下取りだ。
秀忠の将軍就任祝いに豊臣家だけは参加しなかった。北政所は、淀を説得した。淀は北政所の意見に耳を貸さなかった。毛利輝元が兼続を訪ねた。輝元は隠居していた。輝元は徳川の天下を悔いていた。すべては終わった過去だ。輝元は、徳川につくのか、豊臣につくのか、と訊ねた。兼続は答えられない。家康は豊臣家を滅ぼそうと画策していたからだ。
兼続は景勝に文を出した。景勝は迷いを仙桃院に話した。直江家に婿入りした勝吉はそのまま直江家にいた。仙桃院が倒れた。仙桃院は景勝に「家督を継ぐことで嘘をついた」と言った。仙桃院は景勝をよくやったとほめた。兼続、お船にも礼を言った。仙桃院は静かに他界した。
慶長十五年。玉丸も成長。勝吉は直江家を去った。竹松は直江景明と改名していた。勝吉はいざというときは、徳川についてほしいと言った。豊臣家をつぶしたい徳川側は方広寺の鐘の銘文に難癖。いわゆる「国家安康、君臣豊楽」の文字を非難。家康は絶好機と考えた。豊臣謀反を言いたてた。本多正純は景勝に徳川方につけと指示した。景勝は承知した。
「天地人紀行〜その後の勝吉〜」・・・石川県金沢市。直江勝吉は本田政重と再度改名、前田家に家老として仕えた。武家屋敷町。旧本多家庭園や屋敷。大乗寺に本多政重の墓。
◇
直江勝吉:黄川田将也/徳川秀忠:中川晃教/本多正純:蟹江一平/遠山康光:螢雪次朗/竹松:加藤清史郎/直江景明:太賀/小笹:野田よしこ/千草:飛鳥井みや/豊臣秀頼:吉岡澪皇/千姫:田辺桃子/玉丸(幼少):林健太郎/演出・野田雄介/
直江兼続:妻夫木聡/兼続の妻お船:常盤貴子/上杉景勝:北村一輝/仙桃院:高島礼子/泉沢久秀:東幹久/大国実頼:小泉孝太郎/樋口惣右衛門:高嶋政伸/深沢利重:鈴木正幸/初音:長澤まさみ/菊姫:比嘉愛未/甘糟景継:パパイヤ鈴木/山岸尚家:松本実/桜井晴吉:松尾諭/かよ:あき竹城/
石田三成:小栗旬/淀:深田恭子/徳川家康:松方弘樹/毛利輝元:中尾彬/伊達政宗:松田龍平/淀:深田恭子/本多正信:松山政路/榊原康政:川野太郎/前田利長:尾上松也/浅野長政:中島久之/井伊直政:長森雅人/増田長盛:沼田隆兵/長束正家:菊地真之/前田玄以:梁瀬龍洋/北政所:富司純子/福島正則:石原良純/伊達政宗:松田龍平/愛姫:杏/真田幸村:城田優/原作・火坂雅志「天地人」より/脚本・小松江里子/音楽・大島ミチル/語り・宮本信子/
慶長十九年秋、徳川秀忠の命令だと、伊達政宗が米沢を訪ねてきた。秀忠は戦さを避けたいと考えていた。直江兼続をして、家康に戦さを思いとどまらせてほしいとのことだ。直江兼続は駿府に出かけ、家康に会った。兼続は「過去の約束や発言を反故にするのか」とたずねた。家康は「過去は過去、徳川の天下を盤石にしたい」と答えた。秀忠は千姫が心配だ。家康はその思いを無視した。
上杉家が家康の味方をせざるを得ないのはどうしようもない力学、逆らえば上杉家の滅亡を呼ぶことになる。直江景明は出陣したいと言った。慶長十九年十月、家康は大坂城攻めを号令した。大坂城には反徳川の諸将が駆け付けた。真田幸村もその一人。大坂の冬の陣勃発。徳川方は二十万を超えた。豊臣方は十万。上杉軍も戦った。真田幸村は活躍。そして、いったん双方は和睦した。大坂城の外濠は埋められた。
慶長二十年の春。真田幸村が米沢に来た。酒を呑んだ。幸村はふたたびの戦いを覚悟していた。次は負け戦さ。幸村は「今生の別れ」と言った。兼続は「千姫を助けてほしい」と頼んだ。家康は大坂城を明け渡せと脅した。淀は拒否した。戦いしかなかった。大坂夏の陣、上杉軍も参戦。大坂城は炎上した。淀と秀頼たちは自害した。これで徳川の天下は固まった。
直江兼続は千姫を焼け跡から助け出した。兼続は千姫を助けたのは、豊臣方と真田幸村だと家康と秀忠に伝えた。千姫は淀たちの最期を話した。幸村もまた討死した。千姫は家康を恨んだ。兼続と景明は大坂城の焼け跡で兵士たちの菩提を祈った。
「天地人紀行〜真田幸村の「義」〜」・・・大阪市。鴫野古戦場の碑。真田幸村は真田丸を作って戦った。安居神社。真田幸村戦死跡の碑。
◇
徳川秀忠:中川晃教/直江景明:太賀/豊臣秀頼:中村倫也/千姫:川島海荷/志駄義秀:信太昌之/上泉秀綱:林邦史朗/演出・片岡敬司/
ラスト近くになって、詭弁に生きる直江兼続という印象が強い。