WORKS


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最新号の短歌雑誌『HANI』(隔月刊)より抄出した、短歌と論を紹介しています。


リストマーク HANI169号(2005年02月号)

目    次
MICROPIC&MACROPIC 
         味噌汁三百六十五日
掘口 栄
〈15首詠〉 田村奈織美・宮崎 あゆみ
〈作品T〉 仁歩きしの・森 たま江・井上 俊子・鈴木 明子・遠藤キヨ・他
時 評   色あせない時事詠 小原 起久子
今日の一首 石井恵美子・根岸 コウ
〈作品U〉  
現代短歌作品解析(80)
    短歌における複文と重文・宮柊二他の歌
山下 和夫
〈2月集〉 兵藤 光江・反町 光子・遠藤 良子・佐藤真理子・他
晶子の碑を訪ねて(7) 横田 峰子
〈10首詠〉 遠藤 キヨ・本山 秀子・牧口 静江・船岡与茂子
新古今和歌集に見る恋の遍歴 時緒 翔子
日常生活詠について 洞察と発想を 細野 悦子
生活詠の中のオノマトペ 関根 さつき
日常からの素材の切り取り 佐藤 佳子 
「飲食のうた」から 森 たま江
短歌表現の中の匂い 菊池  
サークルの歌「石」  
室岡仙太郎歌集「梯子の上の夕焼け」評 船岡与茂子・矢代 康子・矢島由美子・石川 洋子・佐藤真理子
プログレス賞受賞宮澤Y作品評 堀江 良子
〈題詠〉声  
ことばのページ33 係助詞の働き(1) 青木 晶子
徒然抄(14) 時緒 翔子・小野関 浪夫
「埴」秋季研修会報告 関根 さつき

前号作品評

小原 起久子・宮崎 あゆみ・堀江 良子
新刊紹介
編集後記  
表紙 若山節子
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短歌



◇サークルの歌 「石」より  〈前編〉


影おとしゆきたるもののもろもろの声とどめ石は固まりてゆく

山下 和夫

やわらかき両手にのせやる丸き石 幾百年を転び来たるか

青木晶子

冬陽受け石の道標は辻に立つ右も左も現在無き村へ

阿久沢悦子

まひる間の川原の石に止りてはたちゆく蜻蛉に好みあるらし

浅田隆子

夕暮れの光を浴びて輝ける日照雨に濡れし谷の石らは

石川洋子

石を積む切れぬ思ひに石を積むこの手は君を擁きしものを

板垣貴子

石地蔵の背な温かき「まあだだよ」小声で言いてうずくまりいる

伊藤由美子

攀じ登る子どもらの声を留めて春の石垣は膨らみてきつ

井上 俊子

ケンパ、ケンパ、蹴った石を追いかけて大人のわたしに出会ったよ

江原幸子

三尺玉 花火しだれるその下の玉石混交この群にいる

遠藤キヨ

足枷の囚人通いし石道の窪みの水面に走る風皺

遠藤良子

いずかたを目指してゆくやとどまらず流れゆくものを石は目守れる

小原起久子

内宮のきざはしに据えられいる三波石わが故郷を誇りに思う

金子幸子

水鳥の石よりはがす蹼の脚と吾の歩を合わす土手の上

菊地 葩

洪水に川原の石は洗われて再生の如く個個輝けり

菊池文雄

ひく臼のゴロゴロ音たつ夢の中若かりき母の指太くあり

久保田トミ子

秋天に愛と刻める小石投げ落ちくる彼方へ二人で歩む

小林八重

襖ごしに葉茶を挽く石臼の音盃の冷酒とともにのみゆく

佐藤真理子

亡き父と夫の打ち合う石の音いまも聞こえる古き碁盤に 佐藤和子

ひとつ惑星およぎ満ちたる面もち化石の魚はてのひらにある

佐藤佳子

廃園にほほえむ象の椅子に降る石膏色の雨に匂いす

瀬川 浩

幼子が転んでしまったひとつ石 アオスジアゲハが還りゆく間を

関根さつき




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日常生活詠について 




◇洞察と発想を〈抄出〉      細野 悦子


今日、さまざまな場で作られている短歌の大方は、作者が日常の生活において見たり、聞いたり、感じたり、考えた物や事を中心に据えた、いわゆる生活詠、日常詠であると言っても過言ではないと思う。しかし、その日常詠、生活詠が、はたして短歌として詩の要素を含んでいるか、
見たまま、聞いたままで終っていないか等が作品としての大切なポイントであると思う。
・・・石川啄木は「食ふべき詩」を定義して、「両足を地面に喰つ付けてゐて歌ふ詩」また、「実人生と何等の間隔なき心持を以て歌ふ詩」と述べている。この論は、短歌を対象としたものではなく、詩への日常語、口語の導入などにも及ぶのであるが、その主張には啄木短歌のある志向と重なってゆく部分があり、時代の中で作者が至った一つの思想を思わせる。また、窪田空穂の『濁れる川』は、当時多くの批判も受けたが、日常の自己の感情に徹底的に即し、散文との境界線上にそれを歌にしていこうとする試みは、空穂によって選び取られた一つの方法、信念ともいえよう。二人の論や歌は、同一次元で論じられるものではないが、その生活や、日常への注視には、それぞれにとっての強い必然性が感じられる。非日常への憧憬を奥に潜ませながらも、日常の生活や感情と向き合い、自己、広くは人間を探求していこうとする意思が強くうかがえるのである。時として自虐や平凡や繰り返しにも向かっていく日常への視線の中には、生への強い意思に裏打ちされた作者の持続的な緊張感をみて取ることができる。そこには、従来の歌ではとらえられなかった物や事が素材化され、日常の心の微旨が発見されていったともいえるのである。






 

◇生活の中のオノマトペ〈抄出〉     関根さつき


こんなにも湯呑茶碗はあたたかくし どろもどろに吾はおるなり 『右左口』山崎方代

日常しばしば感じる情景である。当然ながら掌の中の茶碗の温みには、ほっとした納得を与えられる。日常詠は、生活詠とは近似の範疇にあるものの、強いて言えば生活詠とは別の分野のものであるが、広義では生活詠といえば、短歌すべてがこれに含まれることとなる。その違いは、ありふれた生活をただ描いたとしても質的には生活詠とは言い難い。では生活詠とはいったい何を示すのだろうか。「現代短歌作品解析」を引用する。生活詠は社会詠や自然詠などと対比しての語で、生活に基盤をおき、生活の中に素材を求めたその作者の生活臭が、作品の主題として込められているものといえよう。時には職業詠とか、病床詠などに移行することもある。日常詠という場合は、生活詠と大きく通底する部分はあるが、ニュアンスを少しく異にしている。日常詠では、特殊な生活、素材を詠むのではなく、平凡な日常的素材、情感のこもった作品となる。しかしその歌が平板な普遍的事柄に終わっていてはならないので、その作者の独自な詩が期待されることとなる。







リストマークバツクナンバー

HANI162号(2003年12月号)

HANI163号(2004年2月号)
HANI164号(2004年4月号)
HANI165号(2004年6月号)
HANI166号(2004年8月号)
HANI167号(2004年10月号)

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