WORKS


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最新号の短歌雑誌『HANI』(隔月刊)より抄出した、短歌と論を紹介しています。


リストマーク HANI177号(2006年5月号)

目    次
MICROPIC&MACROPIC 
「父母未生以前本来の面目」を思うこと
田村奈緒美
〈30首詠〉 菊池葩
〈15首詠〉 関根さつき・木村静子・板垣貴子
時 評
   若い世代からの発信
井上俊子
〈作品T〉 細野悦子・牧口静江・宮崎あゆみ・宮澤Y・他
ことばのページ(38)〈し〉について 堀江良子
今日の一首 佐藤真理子・室岡仙太郎
〈5月集〉 伊藤由美子・佐藤和子・佐藤真理子・吉田悦子
現代短歌作品解析(87)
    作品主体を立ち上げる法
山下和夫
〈作品U〉 北村トリ子・小菅貴代子・斉藤幸子・崎田ユミ・他
エッセイ 島野政枝・平井マサ子
〈10首詠〉 遠藤良子・堀江良子・福島洸・四ツ柳富子
諭の役割 小原起久子
「諭」‐作品を通じて 瀬川浩
諭をたのしむ 関根さつき
本音を隠す 堀江良子 
新鮮かつ独創的に 細野悦子
ごとくうた 熊谷淑江
ことばの力 石井恵美子
徒然抄(23) 小野関浪夫
ONE MORE ROOM(14)
    一点添削
高遠淳一
〈題詠〉線  
新古今和歌集(6)
    「秋の歌」(下)
時緒翔子
プログレス賞作品評 池田美智子・石川洋子・矢島由美子・吉田悦子
サークルの歌「火」
晶子の碑を訪ねて(14) 横田峰子
徒然抄(24) 大野奎・時緒翔子
ばうんど    
一月号作品評 小原起久子・宮澤Y・森たま江
新刊紹介     
編集後記
表紙 若山節子
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短歌
 

《30首詠・15首詠》

未知・未完・未生のたぐいめぐりいて早瀬の波のしろく崩るる

菊池 葩

木目粗き蓋嵌められて井戸のあり「大つごもり」をしずかにかさね 関根 さつき 
黒光る水面のごとき廊を拭く少年僧のほそき踝 木村 静子
人去りし庭に紫陽花ひらけるを狐訪ふなり灯もあらずして 板垣 貴子
《今月の作品》
吹き溜まりの落ち葉に紛れて干涸びし小さき蛇も枯れ葉の重さ 遠藤良子
秋冷の候という前文ばかりのはがき来て机の上の曠野あゆめり 堀江良子
逆光にふり向きし影一瞬をわれの鬼かとすくみておりぬ 福島 洸
若き娘が手鏡を持ち化粧する停車する駅はや五つ過ぎて 四ツ柳富子
さよならと遠く振りゆく手のひらがいま黄落の一葉となる 細野悦子
仰ぎつつ人等行き交う病院の銀杏並木は閃々と黄 牧口静江

秩序無き風に吹かれて野辺の径吾亦紅とし揺れても往かん

小原起久子

うすずみの雲厚く垂れいる空の下水より二本の橋桁生える

宮澤 Y
二十四時間心電計を着装し病院出ずれば白月ゆらぐ 室岡仙太郎
川原埋めて黄にはびこれるセイタカアワダチソウ米国六十年未だ居据わる 茂木タケ
あたたかな湯気たつ鍋をはさむ夕何もなき日の華やぎとして 本山秀子
輜重兵なりし夫が馬達を語るとき眸やさしくありき 矢代康子
わが思いなべてをすんなり呑み込んだ路傍にむかし立ちいしポスト 横田峰子
ゲーテもシラーもいまセピア色山畠に小豆の若芽育てておりぬ 吉田佳図子
湧き上がる花ちぎり捨てちぎり捨てようやく椿となれたようです 佐藤佳子
アンデスを流れくる霧リャマの眼の長き睫毛をぬらしてゆきぬ 青木晶子
青虫の食みたるレタスの残り葉を清涼剤のごとくに食めり 石井恵美子
弁慶の如く立ちたる夕椿 紅き肉塊風にさらして 石川洋子
酢に漬けし黄菊の味のほろにがく物わかり良き祖母にも飽きて 鈴木明子
少女期のわが詩を読みいる手の上に小さき鳥の影ゆれゆけり 井上俊子
携帯電話に呼び出し音の続きいて木陰から鳩唐突に飛びたちぬ 江原幸子
クリスマスイルミネーション見上げいる子らの瞳が点滅しおり 反町光子
我れが母を恋うる如くに息は我を恋うる事ありや今宵雨降る 伊藤由美子
如何程の工女が苦労を紡ぎしや繰糸場内に身を張り詰める 佐藤和子
しんしんと雪に埋もれし一村の太郎の屋根に月光のさす 佐藤真理子
名を呼べば眠りいるまま長き尾を振る猫のいて平和なる真昼 吉田悦子
過疎の屋並み吹きぬける風を差配して村の入り口の欅万緑 山下 和夫



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諭    



◇諭の役割     小原起久子


「喩」は短歌において重要で、楽しい働きをするレトリックである。
@直喩(××のようだ××のごとし)
佐藤信夫は、直喩はXはYのようだ、と表現するとき、「Yをろくに知らなくても直喩は、通じてしまうところがある。新しい言葉の発見が新しい認識の発見に繋がることが、文学表現における直喩のもっとも重要な機能である」としている。また「 類似性に基づいて直喩が成立するのではなく、逆に直喩によって類似性が成立するのだ」とも。

○ほどけゆく女の帯のごとく輝り夜の 運河は昏く流れる   兵藤光江

 「ほどけゆく女の帯のごとく輝る夜の運河」という直喩を、逆転させ「夜の運河はほどけゆく女の帯のように輝る」という逆方向も読者に感じさせる。ともに「昏い」を導くこととなる。

◇作品を通じて     瀬川浩


喩は特に短詩型文芸において、重層的に情報量を増し、さらに心象の領域を広げ、新鮮な詩情を十全に伝達するための重要な技法である

○むかし逸れたキリンの雲が今日は来て 草原の丘ゆっくり歩む

小原起久子

二句だけを取り上げると、草原の上を地球の自転とともに移ろっていく雲の状態を、キリンの大股に歩みゆく様子に結び付けた、直喩のように思える。だが二句を修飾している一句と続けると、全く別の感慨が強く迫ってくる。この作品の喩は、一句と二句による隠喩なのだ。これは作者の心象の、かつて懐いていた希望や憧憬の形象化であり、それを失っている現在の境涯感の映像化でもある。実に高度な技術に裏打ちされた、深く重層的な表現力を持った喩である。 隠喩で留意すべきことは、離れた状態や事象を、作者がイメージを拠り所として説明無しに強力に結合させるため、読者が読解する手掛かりが希薄なことにある。ともすれば独善的な観念遊戯に陥ってしまう危険性を孕んでいるのである。


リストマークバツクナンバー

HANI167号(2004年10月号)
HANI168号(2004年12月号)
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HANI170号(2005年4月号)
HANI171号(2005年6月号)
HANI173号(2005年8月号)
HANI174号(2005年10月号)
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HANI176号(2006年3月号)
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