WORKS


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最新号の短歌雑誌『HANI』(隔月刊)より抄出した、短歌と論を紹介しています。


リストマーク HANI180号(2006年11月号)

目    次
MICROPIC&MACROPIC 
    課せられた挑戦
堀江良子高遠淳一
〈15首詠〉 堀口栄・石井恵美子・井上俊子
時評 源氏絵巻の教えるもの 関根さつき
〈作品T〉 佐藤佳子・鈴木明子・関根さつき・田村奈緒美・他
ことばのページ(41)助動詞「り」 森たま江
現代短歌作品解析(90)
    「喩」のいろいろ
山下和夫
徒然抄(29) 小野関浪夫
〈作品U〉 高山美佐保・平井マサ子・若山節子・池田美智子・他
今日の一首 廣岡敏彦・矢島由美子
〈十一月集〉 島野政枝・廣岡敏彦・室岡仙太郎・飯野千恵子・小林スミ
新古今和歌集(8)
  〔賀歌〕〔哀傷歌〕〔離別歌〕〔羇旅歌〕
時緒翔子
〈題詠〉多角 
ONE MORE ROOM(16)
    読者は願っている
山下和夫
晶子の歌碑を訪ねて(16) 横田峰子
〈10首詠〉 宮崎あゆみ・村石一子・久保田トミ子・細谷榮
抒情の質
    抒情の質の変容 小原起久子
    個の抒情と共同体の美意識 佐藤佳子
    十人十色 堀江良子
    三歌人による考察れて 石川ひろ
    表現の傾向として 瀬川浩
サークルの歌「地・土」  
七月号作品評 井上俊子・田村奈緒美・小原起久子・関根さつき
ばうんど 
HANI(埴)春季大会歌会報告 佐藤佳子
編集後記 
表紙 若山節子
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短歌
 

《15首詠》

広き葉に木漏れ日涼しくゆらしいて今年もキウイは実をつけぬらし 堀口栄
親が子の生命殺める世に居りて森に入りまた森を出で来し 石井恵美子
汝と会い汝と別れしはこの大地 マンモスが眠り矢尻が光る 井上俊子
《今月の作品》
空調に閉ざされた窓を濡らしゆく五月雨は発泡水の軽さに 佐藤佳子
呼ばれたるような気のして振り向けば今し椿の面伏せに落つ 鈴木明子
糸切歯はなかったのか 串の鮎大団円に焼かれていたり 関根さつき
さみどりの菜飯を夫に供えけり雨の残れる五月の朝に 兵藤光江
うすれゆく眼にはるかなる過去を辿りておりぬ紫陽花に雨 福島 洸
夜の闇を這い上がりきしマイマイがあじさいの彩に染まりておりぬ 細野悦子
月の出とともに芽ばえし一夜茸あすを持たぬは楽しかりけり 堀江良子
ここよりか立入禁止の柵を越えわが影ことなく入りておりぬ 牧口静江
秋ま昼 視えて見えざる水の蕊あるとう川の水を掬いぬ 宮澤 Y
いちめんはシルクの光沢風立ちて碓氷の土手を茅花が戦ぐ 茂木益子
ふかぶかと藍青の空 連休をわれには縁なきものと輝く 茂木タケ
もったりとからだ重たき春の日は生きいることにふと気づきたり 本山秀子
ピサの斜塔見上ぐる人の頭みな傾きている 直こそ危うし 森 たま江
メープルの樹液のみどをくだりゆき昏き甲虫の睡りにはいる 矢代康子
新緑が硝子の窓にあふれいる北上の裾野を列車に越ゆる 横田峰子
竹林に長子立ちおり竹の子はいのししのために残しおきしを 吉田佳図子
オランダの地図ひろげみる友の旅なぞりてアンネの隠れ家に着く 吉田貞子
わが庭はたっぷりの梅雨吸い込みて草木すべて精気もちたり 四ッ柳富子
幽明を咲き継ぐ白き月見草明くればゆらりピンクに萎む 青木晶子
冬の夜は水琴窟の底に似てからんころんと音の響けり 石川ひろ
他人の金で身を飾るなと父の訓まもり貧しき一世なるべし 板垣志津子
流れきて陽を隠す雲の片々に糸編む手を乱されている 江原幸子
美術館に暗く冷たく掛かりいる「カンナ」連れ出し夏の街行く 小原起久子
わが体何処か楔の抜け落ちて本を開けば居眠りばかり 遠藤キヨ
娘のもとへ宙を馳けりて行けと打つメールの絵文字の笑顔が大きい 遠藤良子
待合室の玻璃戸に書けるイラストを消しかけて少女バスに乗りたり 加藤文子
乗せられしストレッチャーの上に風、今日の日を吹かれてみよう 菊地 葩
管に繋がれ六月伸びたるその生命苦しみのみかは聞くすべもなし 熊谷淑江
岩風呂に男六人黙しいて樋より落ちる湯音重たし 小池稔治
露もてるガクアジサイを振り折ればミサイル発射のニュースひびける 佐藤和子
藤袴野菊竜胆女郎花吾亦紅萩尾花我風 佐藤真理子
カタバミの種子爆ぜる音聞こえくる夕空の中の青き一隅 山下和夫
薄き刃のあたりくるやう序破急の急の部分の文章の肌理 宮崎あゆみ
「ぼうたんの花の奥なる小さき芯われのためにとささやけるかも 久保田トミ子
バックミラーに写るいつもの道変哲も無きことにふいに安らぐ 村石一子
竹煮草吹くやわらかき風いでぬ 縄文人の昼寝覚め頃 細谷 榮



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諭    「抒情」の質



◇抒情の質の変遷 −その方法ー     小原起久子


叙情とは、その字句の表すとおり、自分の感情を述べ、あらわすことである。短歌においては、定型を持った叙情詩というところが、事柄も述べる散文と、最も異なるところである。 近代短歌は、生活を中心とした個人主義を確立していたが、やがて、日常の、瑣末な詠嘆に転落したと、捉えられていた。篠弘は一九六三年の論文「近代と現代とのあいだ」で、現代短歌を、自然主義リアリズムを超えようとする方法意識を自覚している世界、としている。前衛短歌を発端として、人間の内面や、深層を思想化する方法が可能となり、その広がりを現代短歌と呼んでいる。
では、我々が今「前衛」と呼ぶ歌人達は、どのような方法で、敗戦期のこのような、否定論をはね返したか。 昭和二十九年『乳房喪失』の中城ふみ子の歌をみる。

○失ひしわれの乳房に似し丘あり冬は枯れたる花が飾らむ

自らの乳癌に犯された身体を大胆に歌って、『短歌研究』五十首詠に入選し、当時の歌壇に衝撃をもたらしたという。劇的ともいえる冷静さ、客観性など、瞠目に価するものである。 自己肯定と、運命に立ち向かう意思の強さが、「客観と虚構」で表現されたことは、のち、現代短歌に大きな影響を与え、「前衛短歌」を生む契機となった。 中城の歌にみる作品主体は、死に直面していることにも起因するが、これらは多く、作者の「身体」を通りぬけてくる、「呼気」としての「情」とでも言うべき方法で、歌われた。その『短歌研究』第二回五十首詠に入選したのが、寺山修司であった。 寺山は病気のときも、自らの身体を通して詠むことはしなかった。それは、中城においてよりも、さらに一層、虚構に重点を置いたためかと思われる。 作品に社会性や普遍性を付与するためには、体験や、育った土地という背景は、リアルに活かしながら、自身の経歴などの私的事実は、無用のものとして排除されたからである。


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