哀愁の山釣り

独りで何度奥深い谷の中で夜を明かしても
慣れると言う事はない
街でただれそうになった目が闇夜に慣れて
夜目が効くぐらいだ。
暗闇はずっしり重く、黒く、深い。
焚き火がはじけ、小さな火花を散らす
落着きなく周りを見渡すが
誰もいない、誰も来ない。
河原には絶えず清冽に流れる音がひびく。
転がる石ころの上に身体をよこたえる
月を枕に
星を寝袋にして。
2007 更新情報
山釣りエッセイ集
NEW[剥がれ落ちた風景]10/10
NEW[蜘蛛の巣] 9/14
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山河戯言
NEW[釣り人] 9/19
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山本素石さんの世界が絵本になった 「ねずてん」.
「となりのトトロ」、「おもひでぽろぽろ」、「千と千尋の神かくし」など多くの美術監督を務めた男鹿和雄氏が素石さんの世界を絵本にした。 |
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山本素石さんの足跡を釣り旅
序章

一冊の本との出合いがすべての始まりだった。
「読んでみるか」手渡された文庫本を気のなさそうに捲る。
いつの間にか引き込まれていて終点の駅に着いたのさえ気ずか無かった。
自宅に着き、晩い夕食を早々に済ませ、続きのページに目を落す。
たくさんある釣り雑誌に疑問を感じ辟易していた私は驚愕してしまった。
渓流釣りは勿論、山村の風景、人々の暮らし、ダムに沈む村、廃村めぐり
渓魚の生態、山村での昔話、どれをとっても奥深く興味の尽きない文章だった。
そして、さらに私が身近に感じたのは、素石さんと三十三歳も年が離れているにもかかわらず
私の小さな田舎町の出来事、わずかしか離れていないのにアルコールランプの
生活をしていた母親の実家の山村風景、
忘れかけていた遠い昔の現実の世界。
大物を釣りたい、数多く釣りたいと思っていた時期も確かにあった。
しかし、釣りに出かけても何か今ひとつ物足りなさと、違和感があって
少しずつ釣りから遠ざかりかけていた。
そんな時に出会った一冊の本、今さらながらこの年でと思いつつも
それから、常に新鮮な釣行ができるようになっていった。
そして、人生観も三分の二ほど変ったろうか。

桃源郷 廃村・茨川
関が原I.Cの上空は黒い雲が激しく走り、私の車はやがて、猛烈な雷雨に見舞われた。
まだ昼下がりだというのに高速道路は真夜中のように暗く、文字どうりバケツをひっくり返したようでワイパーもお手上げだ。
永源寺ダムを左手に車は更に登る。
紅葉尾の神埼橋たもとに車をよせ、川を見下ろすと
橋向こうの河原に家族連れが一組キャンプしていた。
流れを下に向けると、右手から茶屋川が合流している、というより
本流が茶屋川(愛知川)だから神崎川が合流していると言うのだろう。
とりあえず、車幅のある神崎川沿いの道に車を走らせてみた。
一キロちょとで行き止まりになっていてブルドーザーが座り込んでいた。
掘り返された赤土、切り倒され積み重なった木々、
何度も見慣れた光景といえ重い気分にさせられる。
発電所近くに車を止め、短い坂道をくだり、さっそく毛ばりを振り込んで見た。
二投目でアマゴが飛び込んできた。
十五センチほどのアマゴ、ちょっとした気分程度と思っていたら本当に釣れてしまった。
今でさえこんなに澄み切った流れなのに
当時は更に限りない透明感を誇っていたのだろう。
夕暮れにはまだ少し早い時間だった。
早めの夕食を済ませ、車の中でまどろんでいると誰かが窓ガラスを叩いていた。
中学生ぐらいの日焼けした少年が三人、頭をペコペコ下げている。
「あ、すみません、この辺にコンビニありませんか?」
「コンビニ?」コンビニはもとよりスーパーやそれなりの食料店など見た覚えなかった。
「町までどのぐらいありますか?」
「十キロぐらいはあるかな」と答えると驚いた顔で何やら相談をはじめた。
「何がほしいの?」
「カップラーメン」
「君達は何処から来たんだ」
「三重から」
「え!じゃ峠を越えてきたんだ。」
「ハイ」
小銭をポケットに突っ込み、軽い気持ちでマウンテンバイクを走らせてきたのだろう。
家を出るときに買いこんであったパンやお菓子を渡すと
はにかみながら白い歯を見せ、礼をいい走り去っていった。
そして、その向こうには石にちょこんと腰掛け、キセルを吹かしている
仲田佐平じいさんがいた。
翌朝、御池川沿いに車を走らせていた。
空はどんよりしていて蒸し暑い。
諸国、木地師総元締めの地、蛭谷を過ぎ君ヶ畑で車をとめる。
目の前に一坪半ほどのアルミサッシの小屋があり中を覗いて見た。
ガラスケースの中には、ろくろや、お椀、お盆、箸などが飾ってあった。
陶器を作るろくろは良く知っているけど木を切り抜くろくろは初めて見た。
相当使い込んだもので、当時のものかどうかは知る由も無いが
荒縄が巻きついたろくろを見続けていると、その時代が見えてくるようだ。
藁葺き屋根の家、静かでどことなく厳かなたたずまい、
高松御所で手をあわせ君ヶ畑をあとにする。
一泊分の食料を詰めたザックを背負い車を離れた。
車幅のある緩やかな林道を怪しげな空を睨みながら登って行く。
途中、水深二十センチほどの小川を左に横切り、
しばらく歩くと林道右側に錆付いた鉄の橋があり、板切れに矢印と「茨川」と書いてあった。
そま道にしては明確すぎる道だと思った途端、大きなヘビの出迎えにあった。
ヘビが苦手な私は小石を手にパラパラ撒いては見たものの
なかなか逃げてはくれず、次に大きめの木の枝で地面を叩いたら
やっと茂みの中へ消えていった。
イナズマ道を息を切らしながら登りつめると視界のきかない稜線へ出
道は左右に別れていた。
左は数分歩けば行き止まりで、右へ行くと送電線の下へ出た。
その部分だけ丸く刈り取られていて、そこからの出口が見つからない。
藪の隙間から茶屋川に沿う茨川林道がかすかに見えた。
八風街道を左に入れば数十分で茨川にたどり着けるのはわかりきっている、
しかし、それではまったく無意味になってしまうのだ。
素石さんが何度も歩いた道筋を自分自身の目と心と足で辿ることで
長年思い続けた茨川に終止符を打ち、
残された人生に新しい旅をわずかでも加えられるのだ。
左の行き止まりの道をもう少し登りつめ、右へ下れば念願の地茨川なのだ。
板切れの案内、二万五千分の一の地図、鉄塔の位置
あの送電線の下に素石さんが最も愛した<桃源郷・茨川>があるのだが..........
高時川〜消えた村〜 滋賀県、余呉町
平成四年二月、国土地理院発行の二万五千分の一の地図から
高時川流域の、小原、田戸、鷲見地区が消えていた。
小原に入る少してまえの橋の空き地には、丹生ダム建設予定地の
大きな看板が掲げられていた。
事業目的などが書かれていたが、今さら馬鹿馬鹿しくて読んでいられるものではないのだ。
洪水調節、流水の正常な機能の維持、新規利水どれをとっても現実には通用しないことばかり。
そもそも人里はなれたところでこんな立派な看板を誰が見るというのだ。
私には、資源開発公団の姑息で陰湿なものが見え隠れしてるぐらいしか感じないのだ。
その男は細い鉄の六尺棒を右手に持ち、数メートル歩いては立ち止まり
土手をほじくったり、まわりを見渡したりしながらゆっくり歩いていた。
よく見ていると、左手は不自然な動きをしている。
長袖シャツに軍手をはめているのだが、風に吹かれている。
左手は無いのだ。
強烈なボサで行く手を阻まれ、鷲見の途中から引き返しての林道
一尾でもアマゴが釣れたらと思い、駐車できそうな空き地をさがしていた。
「こんにちは、何してんですか?」
「いやー、ダム造るんで、もうすぐこの辺トラックやら重機が走るんや
それでナ〜、この林道の痛み具合調べてんのや〜」
話し好きで人当たりの良さそうな三十過ぎぐらいの男だ。
「上のほう見てきたんですが、途中から木が凄くて車が入れなくて戻ってきたんですが
もう、誰も住んでないんですか?」
「そらそうやろ、誰も住んどらんから木は延び放題やし、草も刈らんですわ
あんた、こんなとこ何しに来たんや、何処から来たんや?」
「はー、釣りしに東京からきました。そちらこそ、こんなとこ一人で怖くないんですか?」
クマ出没の看板がやたら目についたので聞いてみた。
「重機の音が聞こえるし、なんとなく安心してるんやけど・・・そういえばこの間な〜
ここ歩いとったら茂みがガサガサしよるで一瞬身構えたんや、そしたらあんた
大きなイノシシが出てきよってな、そら驚いたし、怖かったで〜」
田戸、小原の集落には住居跡がまだ鮮明に残っていた。
二、三軒なぜか屋根だけ残したままのところもある。
どちらにも太い杉の木に囲まれ、今にも朽ち果てそうな鳥居があった。
着替えて何度か毛ばりを振り込んでみるが、まったく反応がない。
最初ここにテントを張って夜を明かそうと思っていたが、どうも気持ちがのらず車を走らせた。
「保証金たっぷり貰って、みんな何処かにいきましたで〜」
そんな男の言葉と鎮守の神楽ばやしが交互に耳元を過ぎ去ってゆく。
見える風景、見えない風景 岐阜県 藤橋村(旧徳山村)
「すみません、これお願いします。」
ヘルメットを被り折り目のついた上下の建設作業着姿の太り気味の男にバインダーを渡された。
一枚の紙が挟んであり、住所、氏名、年齢、目的の項目がかいてある。
「きちんと詳しく書かないとだめですか?」
何故こんなことするのか、おおよそ検討はついていた。
「まあ、だいたいで結構ですから、」
<東京・八王子・・・・・・釣り>簡単に書いて渡すと
「ああ、釣りですか、何処から入りました、つれましたか?」
「馬坂峠を越えて赤谷(あかんだに)に言ってきました」
一般的には国道417号から入ってくるのだろうけど
今回の釣り旅は、万波川に始まり、一泊、白川郷を通り加須良川、庄川すじを走り
御母衣湖に注ぐ川、そして、石徹白川で二泊目、福井県九頭竜湖の川を釣り、雲川へ
ガソリンがそろそろ底につきそうになり、温見峠をヒヤヒヤもので越え
根尾村へ入り、ガソリンを補給して近くの河原で三泊目。
夜明けとともに根尾村をたち、馬坂峠を越え揖斐川をひた走り赤谷に着いた。
車止めには一台の軽自動車があり、すぐ隣に車をとめる。
先行者がいたんでは、まず釣りにならない。
しばらく様子を見ていたが、戻ってくる気配もなさそうなので着替えをして川へ入る。
三時間ほど釣り上がったが案の定、からっきしダメで先行者と合う事も無く車止めへもどった。
冠山(かんむりやま)の麓まで来ると霧が出て来た。
頂上からどんどん下手へ下りてきて、やがて自分も包まれる。
予定としては暮れ時まで釣りのぼり、適当な場所でテントを張り
翌朝は少しだけ釣りのぼり、写真を撮りながら谷を下り車止めまで戻るつもりだった。
ゆっくりと車を走らせる。
名残惜しくはあったけど赤谷をあとにした。
道沿いにところどころ石垣が積んであった。人家の跡だ。
二度と手を加えられることのない草が生え放題の捨て去られた畑、
かつて、大正の初期に禁止令が発動されるまで夜這いが盛んに行われていた山村・徳山。
なんとも、伝統的に続いていたおおらかな土地柄。
かつて三度のメシより夜這いが好きな駐在所の警官が
禁止令が出て、職をとるか夜這いをとるかの瀬戸際に立たされた。
そして、伝統を重んじるほう選択して職を捨て、さらに、夜這いに磨きをかけたらしい。
曇りがちで、時折陽が差す河原に大きめのテントが張ってある光景を何度か見た。
清流で泳ぐ子供達、浅瀬で腹ばいになり水しぶきを上げはしゃぐ子供達。
見守る若夫婦、そして、爺さん婆さん。
昭和三十六年 戸数四八三 人口二三三一
その後、人口は少しずつ減るのだが、戸数は逆に増えていった。
そして、昭和五一年、建設大臣のダム着工許可が下りる。
送貯水量六億六千万トンという日本最大規模で
様式はロックフィルダム、世界第四位になるのだそうだ。
ご多分に漏れず、穏やかで、おおらかな山村にダム騒動が起きる。
何事も助け合わなければ生きてゆけない運命共同体の山村は
あっけなく、四分五裂してしまう。
馬ではあるまいし、目の前にニンジンならぬ巨額の保証金をちらつかせられたら
たまったものではない。
河原の土手を上りきって周囲を見渡す爺さん、婆さん
やがて水の底に沈むここでの生活の思いが手に取るように見えているのだろう。
子供達に指を差しながら何か話しかける爺さん
その先の荒涼とした風景、彼らには何が見えているのだろう。
不思議と人影があるのは、お盆を迎えているからで、ご先祖様に手を合わせに来たのかもしれない。
はたまた、まもなく大規模工事が始まり、二度とこの地に立つことはできないので
見納めにテント持参で泊りがけできているのだろう。
ひたひたと押し寄せる水、村の歴史を少しずつ沈めていく水。
やがて、彼らが青年を迎えこの地を訪れたとき何をおもうのだろう。
満々と湛えたダムの水、底には堆積した泥に埋まってしまった<村>があった。
新しい開拓者 岐阜県 宮川村
前回の釣り旅は、連日の雨でうんざりして余儀なく撤退してしまった。
一週間後の今回、天気予報はおおむね晴れそうで
それなりの釣り旅になりそうな気がした。
中央高速を飛ばし松本で降り、梓川沿いにひた走る。
安房峠を越える時、何度も車を止め天空に鋭く突き刺さる穂高連峰を見上げていた。
河合村に入り、峠の入り口が見つからず有家という地区の雑貨屋で<万波>をたずねてみた。
出て来たおばさんも、さすがに何十年も前に消えた村の名前は知らなかった。
息子らしい人を呼び、地図を持ち出して峠の入り口を教えてくれた。
消えた村には名前はないのだから当然標識などは無く
とても、国道などと呼べそうもない道を行きつ戻りつして
デコボコの道へ入ったらそれらしいところへ抜け出た。
かつて、湿地帯だったこの地は、驚いたことに立派なアスファルトの道があり
左右は、ほとんど整地、区画されていた。
こんな僻地を住宅地にとは考えられないし、別荘地にするにはそうとう無理があるし
工業用地にするにも不便すぎるだろう。
明治中頃、富山と岐阜の県境に開拓民が入った。
辛苦は覚悟の入植とはいえ、五月だというのに積雪に見舞われたり
初夏には霜が降ったらしい。決定的だったのは、昭和九年の大雪で昼も夜もわからない日が
何日も続き、寝息は凍り、戸板の隙間から入る雪で布団が真っ白になり
更に追い討ちをかけたのは、節句の夜の猛吹雪で
度重なるあまりにも過酷な自然にもまれ続け開拓の夢は押しつぶされてしまったという。
近代文明の恩恵にあずかれずに廃村になった村とは違い
万波は想像を遥かに絶する自然の猛威で廃村に追い込まれた村である。
入植から約五十年ほどで廃村、さらに、六十七年経った風景の中に立ってみた。
アスファルトの一本道をいくと、棟つづきの作業場がある古い家があった。
中を覗くと六十ぐらいの、じいさんとばあさんがいて
何やらゴトンゴトン音を立てている機械のまわりで作業していた。
相手に聞こえるように大声で「こんにちわ」と頭を下げて言ってみた。
怪訝そうにこちらを見るだけで作業を続けている。
応じてくれるまでニコニコながめていたら、ばあさんが近づいてきて
皮をむいたダイコンを「食べてみなさい甘いから」と言って差し出しまた作業にもどった。
普通ダイコンはそのままでは辛すぎてとても食えるものではないのだが
それはそれは、みずみずしく、とても甘いものだった。
所在もなく道にボーとしていると、軽トラックが走ってきて家の横に止まった。
軽トラックのドアにJA宮川と書いてある。
三十前後の小太り男は、いきなり
「クマが出た!クマが出た!」
「クマは足が速いんだな〜、初めて見たよ〜」
興奮しながら、じいさん達に話しかけている。
私に気づき頭を下げると、JAの職員らしき小太り男が近づいてきて
何処から来た、何しに来たと聞いてきた。
この男ならなんとか会話になりそうだと思い、正直に答える。
いろいろ話し込んでいると、みみよりな事を教えてくれた。
「そういえば〜」と話が続き、最後に村を離れた人がどこそこに住んでいて
その爺さんに、この村の話を聞いたことがあると。
爺さんには兄弟がいて、どこそこ村に引っ越したときの夜
電球を見て大変驚いたらしい。
部屋の隅々まで照らす電球をまぶしそうに見つめ
口をすぼめ何度も何度もフ〜フ〜と息を吹きかけ、消そうとしたらしい。
わずかな人影や隙間風に揺れ動くロウソクのようなわけにはいかず
「消えない!消えない!」「明るい!明るい!」と、はしゃぎまわったという。
何故、こんな辺鄙なところが整地、区画されているのか聞いてみた。
高原ダイコンの生産に適しているとの事
区画地を販売してこの地を全面ダイコンの生産地にしたいとの事
JAは力を注いでいるが、なかなか売れないとの事。
戻ってきたかつての子孫か、それとも、新たなる開拓者か。
「こんなに甘くて、おいしいダイコン食べたことないです、ご馳走様でした。」
大声で礼を言い、猫のひたいほどの平地をゆっくりと車を走らせる。