高校生くらいまで、友達の中でわたしは、「頼れるお姉さん」的存在だった。
幼稚園から高校まで同じ市内の学校に通っていたので、
小さいころのイメージはほぼそのまま、高校生まで持ち越されていた。
これは確か、古内東子のエッセイにも書いてあったけれど、小さいころ、
背が高い子には、それだけでお姉さん的役割が回ってくる。
わたしも大きい方だったので、いつでも「お姉さん」だった。
そしてそれを、何とも思わず受け入れていた。
まぁ、中高生のころは学級委員なんかもして、それなりに優等生気分だったような気もする。
反面、不器用でおっちょこちょいなので、そんなにお堅いイメージはなかったと思うけれど。
でも、大学以降の友達や同僚は全然そんなこと思っていないはず。
甘えたで、人に頼る女、そういうイメージを持っていると思う。
自分でも後者の要素の方が強い気がする。
だから、今の恋人は、わたしの高校時代の友達が「なおちゃんはみんなのお母さんだった」なんて
言うのを眼を丸くして聞いているし、友達は現状のわたしを見て、
「なおちゃんってこんな要素もあったのね」なんて驚いている。
どこでどうなってそういうイメージになったか判らないけれど、
多分、それまでと全然違う環境に身をおいて、そこで「なりたかった自分」を
開放したんじゃないかなぁ、と思っている。
別にお姉さんがいやだったわけじゃない。
だけど、自分の中で潜在的に、甘えたい気持ちがあったのだろう。
こういうことって、結構みんなにあるんじゃないかなと思う。
親や友達や、周りによって固定された自画像。
でもホントはちがうの、そうじゃないの、こういう自分もいるんだよ。と、心の中で思っている。
もしくは、違う自分に気付かずに毎日を過ごしている。
そんな自分を解放するチャンスは、やっぱり環境の変化だと思う。
知らない人たちと接するうちに、出せなかった自分が出せたり、
自分でも知らなかった面が引き出されたりする。こういうのって楽しい。
新しい人との出会いって、大人になると面倒くさくなって敬遠しがちになるけれど、
結構いいものだと思う。なりたい自分、新しい自分を解放してみたい、
そう思える時、その人はきっと、周りの人の目にも魅力的に映っているような気がする。
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