8年前の1月17日、あの揺れでわたしは目覚めなかった。
住んでいるのが被害の大きかった地域なので驚かれるけれど、本当に全然気付かずに寝ていた。
何か物凄い大きな音で目覚めたのだけれど、それは電子レンジが台から落ちた音だったらしく、
その音が聞こえたのは、もう地震の最後の方だったとあとから家族に聞いた。
なので、あの縦揺れというやつが記憶にはない。どれだけ凄かったのかも判らない。
そんな感じだったので、最初はあれほど被害が出ているなんて思いもしなかった。
当日、学校休みかなぁなんて言いながら友達と登校している時に、事態の深刻さに気が付いた。
家が潰れている。びっくりした。
その後2ヶ月、水とガスが止まった。今思い返すとどうやって生活していたんだろう?
と思うのだけれど、あまり記憶にない。給水車まで、1日にバケツ2杯の水をもらいに行くのが日課
だった。家の周りは液状化によって、割れたコンクリートから泥水が出てきて
ぬかるみ状態だったし、高校は立ち入り禁止のまま取り壊されることになり、置いていた私物を
取りに行くことも出来なかった。家が潰れた友達や、引越しを余儀なくされた友達、同じ高校の子も
何人か亡くなった。
こうやって書くと、とんでもないことに聞こえるし、実際とんでもないことが起きたのだけれど、
当時の私は結構あっけらかんとしていたように思う。毎日が淡々と過ぎて行き、水とガスが
出る頃には大学生になり、コンパだのサークルだの、新入生生活を満喫していた。
なんというか、身に起きたことを、そのまま受け入れていたという感じ。
こんな私なので、最近はあの地震を思い返すことも少なくなった。
でも、思い返せば思い返したで、色々考えることもある。
あの地震で忘れられないことがひとつ。
地震から2日後ぐらいに、大阪の祖母の家に行った。その時の様子が、今でも忘れられない。
大阪の街は普通に機能していた。こぎたない格好をしている私の横を、きれいなお姉さんやビジネススーツの
人が早足で歩いていく。呆然とした。あの混乱の神戸の街からたった数十キロの距離なのに、
宇宙の果てまできたのかと思った。
そして悟った。当事者以外の人々の世界は、1週間前と変わらず動いてるんだということを。
今、あの街で起こっていることは、あの街だけのことなのだと。世界が大地震に見舞われたのではなく、
神戸の街だけに災害が起こったのだ。こんな当たり前のことを、あの大阪を見て初めて認識した。
大学に入って「芦屋に住んでいる」ことを告げると、みんな一様に「大丈夫だった?」と
声をかけてくれた。「大丈夫大丈夫」と答えつつ、心の中で「もし、家が潰れただの
家族が死んだだの言ったら、この人たちは何と答えるだろう?」と思っていた。
多分彼らは、TVで見た神戸の惨状と、今目の前にいる相手の経験したことが
同じかもしれないなどとは考えていなかったんだと思う。
でも、私にはわかっていた。
あれはTVの中の出来事ではなく、本当の、生身の人間に起こったことなのだと。
まさか自分には降りかからないだろうと思っていても、
一瞬先は闇なのだ。
偉そうなことを書きながら、
私だって、奥尻島や三宅島で被害に遭った人たちの気持ちは判らないし、
世界のどこかで起きている紛争や戦争、その地にいる人たちのことも、
どこか遠いところの出来事としか認識していない。
結局、人は自分が経験しないと何も理解できないのだ。
でもだからこそ年に一度、この日だけは、体験した者としてあの地震を思い返すことも
重要なんじゃないかと思う。
人生、いつどこで何が起こるかわからないし、人の気持ちなんて誰にも解からない。
地震以後、私はそう思うようになった。ならば後ろ向きではなく、前向きに生きていきたい。
これから先、生きていれば楽しいことも幸せなこともたくさんある。解からなくても、
解かってもらおうと努力することはできる。
何が起きるか未知だから人生楽しいんじゃないの、とは何の台詞だったか、
逆転の発想で生きていく。その傍らで、あの日に失われてしまったあまりにもたくさんの
命や思い出のことを、忘れずにいたいと思う。
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