「××歳のころは何をしていた?」と聞かれて思い出すのは、当時の仕事でも、
環境でもなく、つきあっていた相手のこと。思い出は恋愛とともに心にしまわれる、
というようなことをエッセイか何かで読んだことがあるけれど、まったくその通りだと思う。
そしてまた、歌というのも、同じように恋愛と結びついている気がする。
例えば、失恋したときにいつも聞いていた曲というのは、聞くだけで切なくなるし、
終わってしまった相手が好きだった曲は、別れたあとしばらくは聞くのも辛い。
ラジオから懐かしい歌が流れてきたとき、一瞬にしてその頃の自分に戻ってしまった気になる、
というのは、誰にでもある経験だと思う。
こんなことがあった。
その頃つきあっていた相手は、ものすごくサザンが好きな人だった。
しょっちゅうサザンを聞いていて、夏なんてもう、サザン全開って感じだった。
ヒット曲程度しか知らなかったわたしだけれど、無理やり借りさせられて
だんだん詳しくなってしまった。わたしはわたしで、古内東子の曲を、
機会があるたび彼に聞かせていた。彼は特に何も言わず、かといって古内東子に対して
好感を抱くわけでもなく、ただ流れているからなんとなく聞いている、という感じだった。
それなのに、ある時ふっとこう言った。
「これからさき古内東子を聞くたびに、おまえのことを思い出すんだろうな」と。
べつに別れの気配があったわけでもなく、だから彼はなんの気なしに
言ったのだろうけれど、わたしには結構深い言葉だった。
たとえこれから先、一緒にいられなくなったとしても、街で偶然古内東子を聞いたときに、
この人はわたしのことを思い出すのだ、この曲は、彼にとってわたしだけのものなのだ。
そう思ったら、嬉しいような悲しいような、そんな気持ちになった。
ただ聴いていた歌が、深い意味を持ってしまった。
(ちなみに古内東子には少し似たシチュエーションを歌った「あの歌」という曲がある。
二人で大事にしていた歌だけは、いまの彼女と歌わずにずっと覚えていて欲しい、
という感じの歌詞が綴られている)
二人ともが大好きだった歌じゃないし、彼と別れてしまった今、本当に古内東子を聴いて
わたしを思い出しているかはわからないけれど、偶然流れた曲から、普段は忘れているであろう
私のことを思い出してくれているかも、なんて思うと、ちょっと切ない。
逆に、わたしはサザンを聴くと、なんとなく彼と、彼との思い出を思い出してしまう。
こんな風に、さりげなく思い出に色をつけてしまうように、歌は不思議な力を持っている。
もしかして今の恋人も、同じような思い出を持っているのかしら?と思うと、妬けないこともないけれど、
私は私でこっそり別の人を思い返しているのだから何も言えない。思い出は、自分だけのものなのだ。
ところで、何も、歌を聴いて思い出すのはかつての恋人だけじゃない。
チェッカーズを聴くと、フミヤが大好きで飼い犬にナナと名付けた子を思い出すし、
この間行った桑田佳祐のライブで「真夜中のダンディ」を聴いたときに、本当に突然、
何年も会っていない高校時代の友達を思い出した。彼女は桑田さんのことを「ダンディで
大好き」と言っていたのだった。
歌とともに誰かを思い出す、なんてちょっと素敵なことだと思う。
わたしも、誰かの記憶の奥に、何かの歌とともに眠っているといいのだけれど。
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