「恋人が夢中になっているもの」ってどれくらい認められますか? 例えばそれが一緒にできること、例えば「ボード」とか 「映画」とか、だと初心者(映画初心者ってなんだろう?)でも抵抗がなくて、 実際「彼(彼女)の影響でボードをはじめた」って人は多い。 だけど、それが「麻雀」や「サーフィン」なんかになってくると、ちょっと 女の子はついて行きにくい。ここが「どうしてわたしを優先してくれないの!」 という台詞が飛び出すタイミング。
この言葉はタブーなんでしょうか? 「仕事とわたし、どっちが大切なの!」という台詞がワガママなのは、わかる。 働かざるもの食うべからず、「仕事が生きがい」という気持ちも 判らないではない。勉強やキャリアアップも、邪魔するべきではないと思う。 でも、趣味というのは、自分の自由な時間をどのように使うか、 という問題であって、仕事以外の時間を「恋人」「友達」「趣味」全部同列で扱うのは やめて欲しいと思う。少なくとも、恋人ができたら少しは趣味の時間を減らす気遣いは欲しい。 ものすごく映画好きで、いつも映画の集まりにばかり行っていた男の子が、恋人が出来たら、 彼女を会合に連れて行ったり、劇場ではなくビデオ観賞に切り替えたり、彼なりに 折り合いをつけていた。素敵だな、と思った。 趣味の時間は減るけれど、2人の時間は増える。これを良いと思えない男の人なら、 結局、どんな時でも恋人を一番に考えることはないのだ。 もちろん、いつもいつもそうして欲しいと言っているわけじゃなく、 趣味にお金をかけ過ぎてデート代もままならない、とか、友達や趣味ばかりで、 デートは月に1回、なんてことは認めたくない、ということ。 稀にそういうおつきあいをしている友達もいるけれど「大丈夫だよ」と言いつつ、 本当は寂しいということは、見ていれば判る。会えない時間を他のことで 埋めようとしても、心の隙間は埋まらない。
映画「グラン・ブルー」のラストで、ロザンナ・アークエット演じるヒロインは、
去っていく恋人(というとちょっと語弊があるけれど、見たことのない人は映画を見てください)
に「go and see my love」と言います。趣味に没頭する恋人に
対し、さんざん苛立ちや悲しみをぶつけてきた彼女が最後に口にした言葉は、
永遠の別れを意味する言葉。だけど、この言葉には愛が溢れています。
別れを告げる言葉だけれど、決してあきらめではなく、
この台詞は、彼女の寛容を表している。すごいな、と思う。
でも、わたしには言えないだろうな、とも思う。
自分の恋人が何かに熱中していると、容認してあげるべきなのでしょうか?
一緒に応援してあげるべきなのでしょうか?
答えはわからないけれど、誰かと一緒にいる温かさは、大好きな趣味にも
負けないほど、何にも代えられない大切なものだと思うのです。
|
●前の話に戻る ●次の話はこちら ●ホームはこちら ●essay topはこちら |