夏のはじめくらいからレンタルして見ていた「アリー・マイ・ラブ」、 とうとう第4シーズンを見終わった(5はNHKで見ていたので、 一応全部見たことになる)。季節はいつのまにか冬。ドラマの中のアリーの生活が くるくると変化していたように、わたしの生活も、季節と一緒に変化した。 クリスマスも、年越しも、だからちょっとつまらなかった。 いるのが当たり前になってしまった人が、突然いなくなると、 こんなにも人間って所在無くなるものなのね!なんて妙に感心してしまう。
ところが。ところがね、アリーの台詞に「孤独を感じるのは、誰かが隣に
いるときなのよね」なんて台詞がある(寝る前にベットの中で本を読みながら、
心の中でつぶやく台詞。流れるのは「We're all alone」。・・・雰囲気出てるでしょう?)
。ものすごく、わかる!と思った。わかるわかるその気持ち。
誰かと分かり合えないことって、ものすごくさみしい。
そしてまた、ひとりよりふたりの方がさみしい、と思うのは何もアリーやわたし
だけではなく、ドラマや本やいろんなところで誰かがつぶやいている。
恋人がいなければいないで、さみしい!とつぶやき、いればいたで、やっぱり
さみしい。孤独は恋愛には付き物なのでしょうか。
さみしい気持ちにも、種類があって、それぞれ重さや質が違う。
思うのは、ひとりの孤独は慣れるけれど、ふたりの孤独は慣れることがないということ。
日々の生活の中で起こる小さなこと、庭の花が咲いただとか、電車が遅れていた
とか、晩ごはんが好きなおかずだったとか、そんな小さな出来事を
ちょっと誰かにメールしたい時や、
観たい映画やライブに誘える人が誰もいない時、また明日ね、
と言う相手がいない瞬間、ひとりがさみしいと思うのは、そんな時。
それは、今まで当たり前だったことが突然当たり前じゃ
なくなったことからくるさみしさであって、慣れることはできる気がする
(あまり慣れたくはないにもかかわらず)。
ひとりでだって、なんでもできるのだ。本当は。
だけど、ふたりの孤独に慣れるのは難しい。ずっと一緒にいるのに、隣にいるのに、
どうしたって分かり合えなくて、どうしたって埋められない隙間があって、
近くににいるのに、なんだか遠くに思えてしま時がある。
誰と一緒にいても
慣れることはない、この「ふたりでいるのにさみしい」気持ちはとても厄介だと思う。
自分の気持ちだけでは解決できない、人と人が深く知り合って初めて
生まれる感情だから。
そのかわり、ふたりのさみしさは、ふたりのしあわせと紙一重。 誰かと一緒にいてしあわせだからこそ、どうしようもないさみしさを 感じたりする。 どちらがより辛いか、は人それぞれだと思うけれど、 わたしはやっぱり、誰かのそばにいるほうがいい。 そう強く思った、今年のお正月。
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