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おおスタンザ!
Written by Eriko 11 May 1997
アメリカで生活すると車に強くなると聞く。10年余り車を運転してきて、こんなに真正面から車と向き合ったことはなかった。アメリカ生活ではテピよりもスタンザおばあちゃんのほうが私を悩ませたと言っていいくらいだ。
私達のマディソンでの愛車NISSANスタンザ(86年型ワゴン車・日本名プレーりー)は、この年齢にしては皺も少なく美しい外見をもっている。マニュアル車で活動的にも見える。しかし年には勝てなかった。ろくな健康診断(車検)も受けずに働くだけ働いてきた過去の苦労が忍ばれた。
この1年で3回パンク。そのうち2つのタイヤはバーストさせてしまい交換。無事かなと思った残りのタイヤは釘が刺さっているのを発見し、修理に出すと2本目の釘まで見つかる。
雪道でのパンク、凍えながら自分で初めてタイヤを替えた。
バーストさせてしまったタイヤを持ってガソリンスタンドに行く。中古タイヤを売ってくれたのはいいんだけど、荷台に積み込んだだけで、「バ、バーイ」とニッコリ微笑む店員。あっそう、ここでは自分でタイヤ交換するのが常識なんだ。
改めて頼むこともせず家に着いてから付け替える。
厳寒の2月、エンジンがかからなくなる。これを英語では「死ぬ」と表現する。隣人が自分の車から充電を試みてくれるが息を吹き返さない。
裕が零下30度の外気の中、近くのガソリンスタンド(片道20分)まで歩いてバッテリーを買いに行き、自分で交換すると、車は見事に復活した。
しかし実は買ってきたバッテリーは店員が間違えて型の違うものをくれたため、3日後に自宅近くの路上でバッテリー切れを起こす。動かなくなった車を放置して、再度裕が歩いてバッテリーを取り替えに行く。裕は、店員のミスであることを強く主張して、ただで新品のバッテリーと交換して来た。これで完全に蘇ったはずのスタンザだった。
動くようになったが、全ての警告ランプが付いたまま消えない。車を運転しながら不安にかられる。
近くのサービスセンターに点検に出す。異常低温で故障する車が多いようで、修理工場は混んで順番待ちの状態だった。電気系統に異常があることが分かったのだが、必要な部品が届くのに一週間要した。その間車は使えず、その頃ESLスクールに通っていた私は、毎日完全防備し歩いて通学しなければならなかった。
その後しばらくは元気そうにしていたスタンザだった。しかし突然へそを曲げることも。郊外のショッピングセンターの駐車場近くで突然エンジン停止。良く見てみるとバッテリーを繋ぐ金具が外れていた。それをはめ治すだけで復活。
スタンザが我が家に来て、半年以上過ぎてた頃、とても苦しそうな声を出すようになった。気になるのでまたサービスセンターへ。オイルプレッシャーセンドユニット?とパワーステアリングポンプ?を取り替えて、調子は戻ったように思った。この時オイル交換を勧められていたので、一ヶ月後にオイル交換専門のスタンドで行った。
オイルを替えてからである。今度は怒ったような声を出すようになった。
またなの!お願い機嫌を直してよ!と言っても聞いてくれる訳がない。マディソンにいるのも後約2か月しかないからどうにかごまかせないかしら、とも思ったが気になるのかケンタッキー旅行である。今回はこの車で行くことに決めてある。
不本意ながら顔馴染みなってしまったサービスセンターへ連れていく。悪い場所を並べ立ててくれるエンジニア。今回はお金がかかりそうだ。後2か月もてばいいことと、ケンタッキーまでこの車で行く予定を告げて意見を聞くと、市内を走るだけなら大丈夫だと思うが、ケンタッキー行きは危険だと言う。「危険」という言葉が私を動かした。ケチって事故は起こしたくない。結局全部治してもらうことにした。
おまけに、サービスセンターからスタンザを引き取って帰る直後にまたパンク。すぐにここのエンジニアが修理してくれたが、タイヤの空気を入れるバルブがだめになっていたようで、またタイヤを交換することになった。同情してくれたのか、エンジニアはタイヤのことを説明してくれた後「ノーチャージ!」とニッコリ笑ってタイヤに関しては無料にしてくれた。
ガソリンを入れるのは安いセルフサービスを利用。空気圧を手持ちのゲージで測定しながら自分で空気を入れることも覚えた。我が家では車の修理と旅行の計画手配は私の役割となっている。
修理屋さんとの交渉において私は、もともと車に関して詳しくないのに加えて英語で早口に話されるので、よく理解できないまま判断を下さなければならなくなる。とっても気が重く、その後必ず自分の英語力の乏しさを思い知り気が沈む。アメリカ人の友人は「英語が分かっていたって、修理屋さんとの交渉はエネルギーのいるものよ。言葉の問題じゃないわ。」と慰めてくれる。こんなに車に悩まされるのが分かっていたら、もうちょっといい車を買うんだった、と思っても後の祭り。
帰国前の2ヶ月前ぐらいから、知人による口コミでスタンザの新しい奉公先を探す。2組ほど興味を示してくる人がいたが結局決まらなかった。
3週間前には「CAR FOR SALE」のポスターを20枚ほど作り掲示板に貼り歩く。1年前に買った時の3分の2の値段にしたのだが、買い手は現れない。友人はこの値段ならすぐ売れるはず、と心強いことを言ってくれたのだが時期が悪かったようだ。それにマニュアル車は運転できない人の多いことも大きな壁になっていた。
一週間前には、2分の1以下の値段まで下げ、前に貼ったポスターの値段を赤マジックで修正して回る。これには反応する人が結構いた。しかし、マニュアルはだめな人達が続き、お互いがっかりの連続。
明日はディーラーに売りに行こうと思っていた帰国3日前の夕方、ほぼ同時にふたりの候補者が現れる。先に来た近所に住むトルコ人外科医が試乗した上で、直後にやって来たアメリカ人の女性と争うように急いで決意を下した。しっかり値切ったうえで.....。
こうやってスタンザおばあちゃんの新しい奉公先は決まった。私達は彼女との別れを惜しむ間もなく、慌ただしい別れを迎えたのだった。
ご苦労様、スタンザおばあちゃん。新しいご主人は良さそうな人だから、きっと幸せに暮らせるね。貴女と一緒に悩んだ日々は、今となってはいい思い出です。
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