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ヨピの個別懇談
Written by Eriko on April 5, 1997
ヨピの担任の先生と親との個別懇談は年度スタート前に一回、年度開始一ヶ月後にはESLの先生と担任の先生との懇談、4分の1年度にあたる10月下旬にスクールソーシャルワーカーとESLの先生と担任の先生との懇談(30分単位)と頻繁だ。
私はこれが気が重い。何故かと言うと、ここの先生達は子供の行動の直すべき点(ヨピの場合は完璧主義である上に内気なので、特に英語環境の中ではいろんな面で消極性が目立ってしまう。こういう性格は日本以外の国ではマイナスのイメージが大きい。日本の学校では私から言い出さない限り、取り上げられなかった点だ)など言いたいことをはっきり言うのに対し、私はうまく反論できず、面倒になって結局全面的に先生の言うことに同意することになるのがおちなのだ。
■修正に力を注がれて
でもはっきり言って先生の言うことは納得できるものばかりである。でも、ズバリと言われることに免疫ができていない私はどっと疲れてしまう。救われるのは批判するだけでなく、その対策まで考えていてくれることだ。今先生が指摘してくれることは、ヨピにとって帰国後も抱える長期に渡る課題だろうということは分かっている。私は気長に見守っていきたいと思っているのだが、先生達は修正に力を注ごうとする。裏返せば期待をかけてもらっているということか。誠にありがたいことであるのだが・・・・
■2回目の懇談後
2回目の懇談で指摘された家庭指導の必要な部分は、プレッシャーにならない程度にヨピに言ってきかせた。宿題も極力手伝った。3年生になると宿題の量と難しさは2年生と比べ物にならない。詩の暗唱や各種の小論文作成など、手伝う側にも負担は大きい。でも、手伝い甲斐があるのは、ヨピが半年前からみると目を見張るほど英語が上達してきていることが分かることである。このままもう1年ここに住んでいたらヨピの英語能力は私を簡単に追い抜くだろう。代わりに日本語能力が落ちていくことは、最近のヨピの言動などからも予想できる。
■3回目の懇談で
3回目の懇談にはやっと仕事にゆとりのできた裕にも同席してもらった。とても気が楽になり一緒に行ってもらって良かったと思った。なにしろ、よく喋る3人の先生(担任、ESL、ソーシャルワーカー)と対向するのだから。
後2週間で学校を去ることを知っている先生達は新しい注文はつけてこなかった。前回指摘された修正点に関しての進歩と学力の向上点についておおいに語ってくれた。これは嬉しかったが引き続き残る性格的なマイナス面は相変わらず気に掛けていてくれた。
言葉が分からないため、白昼夢を見ているような毎日はヨピにとって辛かったに違いないが、一度も学校に行くのが嫌だと言ったことがなかった。むしろ楽しいと言いながら通学していた。夏休みの終わり頃には早く学校が始まればいいなあ、と学校に行くことを心待ちにしていたヨピである。
ヨピはとくにコンピューターの授業とESLの授業が好きだったようだ。
■永遠の別れ
「またマディソンに戻ってくることはないのですか?」
先生達は私達に何度も尋ねる。その可能性はないことを告げると、先生は
「でも、ヨウヘイは将来ウィスコンシン大学で勉強する可能性はありますよね。そうしたらまた会えるかもしれませんね。年寄りになったミセス・チョビニョウ(ESLの先生)にぜひ会いに来てね。」
先生は目を潤ませながら、ヨピに語りかけていた。
一生懸命教えても、すぐに帰国してしまう日本人の子供は教え甲斐がないかもしれない。でもたくさんの可能性をもつ子供達は、将来良い日米関係を築くなんらかの仕事をする可能性がないとはかぎらない。そういった視点を、すり抜けていってしまうような子供達にも向けていてくれるように感じられありがたかった。
学校最後の日、みんなとお別れをしたヨピはとても寂しそうだった。日本を発つ時と違って、今回の別れは一生の別れであることをヨピも理解している。
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