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米国に来てしばらく気が付かなかったのだが、こちらのTV番組のほとんどが字幕スーパー(キャプション)つきで放送されている。字幕を表示させるには専用の装置が必要なのだが、米国で販売されているTVには最初から内蔵されていることが多いようだ。ちなみに我が家のTVはビデオ内蔵13インチ型の超廉価モデル($250)だが字幕表示できる。
字幕は、ドラマ・ニュース・お笑い・スポーツ中継などほとんど全ての番組につく。そればかりかCMにもつくことも多い。字幕放送は、耳の不自由な人達にだけでなく、英語を母国語としない我々外国人にとってもありがたいサービスだ。
日本では、字幕放送を実施している民放は123局中14局で、28道県では視聴できないそうだ。まだまだである。郵政省の「視聴覚障害者向け専門放送システムに関する調査研究会」(放送行政局長の私的諮問機関)は、難聴者のために字幕放送を普及させるには(1)字幕放送をすべての民放に義務づける、(2)文字多重放送免許がなくてもできるように制度を変更する、(3)ニュース番組もリアルタイムでできるよう国やNHKで研究する、と提言している(1996年6月23日)。将来的には衛星多チャンネル放送を利用して、視聴覚障害者向けの専門チャンネルの実現が求められる、と強調しているとのこと。[October
19, 1996]
日本から持ってきた数少ないハードカバーの小説のひとつが「スカヤグリーグ」だ。ようやく上巻を読み終えた。主人公は重度脳性麻痺の女性エスター。明せきな頭脳を持つエスターが脳性麻痺を持つ人だけの間で語り継がれてきた伝説の人(神?)スカヤグリーグとその語り手アーサー(彼もまた伝説の人となっている)を探し出そうする物語。エスターはコンピューターのプログラマーとしての才能に恵まれており、スカヤグリーグ探求の旅をコンピューターゲームとして作り上げるらしい。また、その過程でイギリスの脳性麻痺者収容施設の恐ろしい過去を読者は知らされることになる。私は最初の数ページから涙なしでは読めなかった。
難点は翻訳が直訳すぎて読みづらいこと。翻訳を一度自分なりに英語に直してみて、そこから意味を探る作業が強いられることもある。
角川書店から上下2巻が発刊されている。著者ウィリアム・ホッドの娘は脳性麻痺者だそうだ。私も自閉症児を主人公にした小説を書いてみたいと思うことがある。 [May
18, 1996]
米国料理はいただけない。米国に来た日本人のほとんどはそう思うだろう。私も家族も心からそう思っていた。食材は豊富で質も高いのに、やたらにスパイスを効かせすぎていたり、塩味がきつかったり甘かったりして素材の味を台無しにしている。それにあの油の使用量。これじゃまずい上に成人病へまっしぐらだ。しばらくそう思っていたが、フロリダ旅行とアリゾナ砂漠旅行中、これはいけるという料理に何度か出会あった。そういう料理はたいてい薄味で、食べる際に塩胡椒で好みの味に仕上げるようになっている。しかしだ。おそらく日本から来たばかりの人がこれを食べてもやはりまずいと思うだろう。私達一家は知らず知らずのうちに米国の味に慣らされ、米国料理の中でのうまいまずいを感じ分けることができるようになったのだ。 [April 6, 1996]
トルコから来た大学院生スアットに実験の手ほどきしている。彼はイスラム教徒だ。その彼が1月から2月にかけて、1カ月間の宗教上の断食に入った。断食と言っても、日の出から日没まで飲み食いをしないというもの。それでも彼はみるみる痩せていった(その間私は米国の高カロリー食で太り続けた)。彼が断食しているということを周りの米国人は知っているが、まったく意に介さない様子。色々な人種と宗教が入り交じる米国だから、いちいち気にしてられないということか。と思っていたら、スアットの断食が開けた日にみんなが祝福の言葉をかけていた。なんだかジーンときた。 [April 6, 1996]
米国でも百武彗星フィーバーだ。あちこちのショッピング・モールで百武セールが催されているくらいだ。TVのニュースでも毎回現在の状態を報告している。その際、必ず「日本人のアマチュア天文家が発見した百武彗星」と言ってくれるので、なんだかとても嬉しい。ただし、百武の発音は「ヒャクタキ」とか「ヤクタキ」で、「ヒャクタケ」と正しく発音するアナウンサーは滅多にいない。今朝のニュースでは百武さんがVTRで紹介されていた。まったくすごいものを発見したものだ。世界中の人が百武さんの名前をつぶやきながら空を見上げているんだろうから。[March 25, 1996]
一日の始まりに顔を合わせた人と「おはよう」の挨拶をかわすのは日本でも米国でも同じだが、米国ではこれが一日の始まりだけではすまない。既に朝の挨拶をかわした人が相手でも、廊下ですれ違うときや部屋の出入りの際にまるでその日初めて会ったときのような挨拶をかわす。これが一日中続くのだ。挨拶の言葉で一番多いのは「How
are you
doing?」だが、相手の名前だけ言って挨拶に代えることも多い。
込み入った実験に取り組んでいる時でも、部屋に誰かが入ってきた気配を感じると必ず顔を上げて相手を確認し、「Hi!」と声をかける。私にはこれができない。なにしろ手元では1マイクロリットルという単位で100本のチューブを相手に溶液の操作をしているのだ。途中でそこから視線を外すなんてことは即実験の失敗につながる。しかし米国人はいとも簡単にこれをやってのける。すごい連中である。[March
23, 1996]
米国人はすれ違うだけの赤の他人相手でも目が合えば、にっこり笑って目で挨拶してくる。この笑顔が男も女も実に素敵で、ぜんぜんわざとらしくない。こういう笑顔に接するととても気持ちがよい。でも私が真似するとどこか不自然だ。米国人の子供も同じようににっこり笑って挨拶する子が多いから、子供の頃から身に付いた習慣なのだろう。「私はあなたに敵意をもってませんから安心して下さい」というサインを常に発信していなければならない米国社会の事情を反映している」とか、「個人主義社会ゆえの習慣だ」とかの諸説があるが、いいものはいい。ただし、まぶしい笑顔が時には負担にもなることがある。こちらが何かの理由で落ち込んでいるときだ。こういう時は私同様東洋の国から来ている人達の無表情さの方がありがたい。[March 23, 1996]
米国に来て驚いたのが、Futonの人気ぶりだ。普段はカウチ的に使い、必要に応じてベッドにする。ベッドにもなるソファと同じような使い方だが、軽くて簡単に移動できるし寝具化も簡単なので、人気がでてきたようだ。値段も$100前後と手頃だ。スプリングの効いたベットよりも適度な堅さを持つFutonの方が寝心地がよいと感じる米国人も多いようだ。我が家でもFutonをひとつ購入したが、テピのお気に入りとなり今ではテピ専用のベッドとなっている。スプリングベッドでは決して一人で眠れなかったテピだが、Futonでは喜んで一人で寝るようになった。
ちなみにFutonは「フータン」と発音するが、日本語がそのまま英語になった新しい例だと言えるだろう。[March
23, 1996]
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