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デンバーで飛行機を乗り換えた後グランドティトンに向かった。これまでの旅行もそうだったが、満席状態の機内で家族が一緒に座れることは滅多にない。時には4人がバラバラの席を指定されることもある。そういう時には、隣の乗客にお願いして席を替わってもらうことにしている。テピを1人で座らせることは、テピにも私達にも良い経験になるかもしれないが、やはり心配だ。ヨピは1人でも大丈夫というので、遠く離れた席でもそのまま座ってもらう。
機内でのテピの楽しみは、パターン化されている。まず座席備え付けの雑誌を広げ、気に入ったページを探す。英語だろうが日本語だろうが関係ない。テピの審美眼にかなうページが見つかれば、それを膝の上に広げてちらちらと見ながら満足げに大人しく座っている。テピがあまりに楽しげなので、ときどき私がちょっかいを出すこともある。ページをめくって写真を指さしながら、
「テピ、これ何?」
と聞くのだ。テピは自分の知識を総動員して、なんとか答えようとする。鹿の写真を見て「犬」、年輩の男性モデルを見て「おじいさん」などなど。普段の生活ではテピと言葉でやりとりすることが難しいのに、飛行機の中では容易にできるのが不思議と言えば不思議だが、似たものを連想して結びつけようとする能力がテピの中で着実に育っていることなどが分かったりするので、私はこの時間をとても楽しみにしている。ただしちょっかいを出しすぎると、うるさがって奇声を発することがあるので、引き際が肝心だ。
グランドティトンの秀峰に挟まれるようにして飛行機は降下を始めた。ティトンを映し出すジャクソン湖が眼下に広がり、それを見ただけでここに来た甲斐があると思えるほど素晴らしい景色だった。
グランドティトンは山と湖が見事に調和した国立公園である。この山並みをバックにして有名なラストシーンを撮った映画が名作「シェーン」だ。
私達は、ジャクソン湖を船で渡り、最も美しい山の麓を散策することにした。乗船する前に湖畔を歩いていると、テピが靴と靴下を脱いで水際で遊び始めた。水は冷たいが、テピは嬉しげに足を水に浸けている。そして何を考えたのか突然ズボンを脱ぎ始めた。どうやら裸になって湖に入るつもりらしい。
季節は真夏だし湖に入ることを禁止されている訳ではないのだから、テピを制止する必要はない。しかし、このときはたまたま水泳パンツを持参していなかった。水泳パンツ代わりに下着のパンツをはいたまま水遊びしてくれれば良いのだが、テピにはそういう柔軟性がない。水泳パンツをはくか、裸になるかのどちらかの選択肢しかないのだ。だから、彼は裸になろうとする。テピには羞恥心という感情が育っていないから、人前で裸になることをなんとも思っていないのだ。
公共の場での裸の水遊びは、2歳の幼児なら許されることかもしれないが、12歳になろうとしている少年には許されるものではない。風呂場やシャワー室では裸が許されるのに、なぜプールや湖ではだめなのかということを理解させるのはテピには難しいかもしれないが、だめなことはだめということをどうしても覚えてもらう必要がある。
私達はテピが裸になろうとするのをなんとかしてくい止めた。テピは思いが叶えられず大声で泣きはじめ、周囲の遠慮がちな視線を集めることになったが、15分ほどで落ち着いた。
さて、湖では水遊びをしたがったテピであるが、対称的に川では恐怖にとらわれて近づくこともできなかった。翌日に訪れたイエローストーンでのことである。標高2000mを越える場所にあるというのに、そこを流れる川は実にゆったりとしている。私とヨピは喜び勇んで水着に着替えて川に飛び込んだが、テピは怯えて川に近づこうとしない。恵利子に励まされてなんとか水着に着替えたが、足の先を川にほんの少し入れただけでヒィヒィ言いながら逃げて行ってしまった。あの怯え方は単に水が冷たかったからということではなさそうだ。水の冷たさは湖でも同じだったからだ。
テピが川を恐がるようになったのは、5年前に渓流に落ちたことがきっかけになっている。それまで川遊びは好きだったのだが、落ちてから以降、テピは川のみならず海までも恐がるようになったのである。ハワイに行ったときも海に近づこうとしなかった。だから、テピがグランドティトンで湖に入りたがったのは意外だった。全裸になることを私達が黙認していれば、テピは湖で泳いだだろうか?あの時水泳パンツをホテルに置いてきてしまったことを今でも残念に思う。
イエローストーンの名物のひとつが間欠泉だ。別府で同じ物を見たこことがあるが、ここでは規模が違う。例えば代表的な間欠泉オールドフェイスフルでは65分おきに4万リットルの湯の柱が60mの高さにまで吹き上がる。大音響とともに吹き出る湯と蒸気の爆発は実に壮観だ。
イエローストーンには間欠泉とともに、熱湯溜まりの池(温泉プール)がたくさん分布している。その間を縫うようにして木道が何十キロも続いているのだが、当然のことながらとても暑い。この中を私達は黙々と歩いた。
そこは一見して死の大地のような印象を受けるが、実は地球の鼓動と生命の息吹を感じさせる不思議な世界だった。温泉プールにはカラフルな耐熱性のバクテリアや藻類が繁殖し、木道の脇には花が咲き、リスやマーモットが生息している。テピとヨピは文句を言うどころか、むしろこの道が好きなようで、野生動物との出会いを楽しみにしながら歩き続けた。
イエローストーン公園内を車で走っていると、渋滞に巻き込まれることがある。原因は信号待ちでも事故でもない。大鹿やバイソンが道路脇まで来ることがあって、それを見つけた人々がもっとよく観察しようと車を停めるのだ。
私は米国人がここまで野生動物好きだとはそれまで知らなかったが、彼らと一緒に動物を観察しているうちにその気持ちが分かるようになった。大自然で暮らす動物たちの表情は、進みすぎた文明社会で暮らす現代人の心を捉えて離さないのだと思う。また、あちこちにあるビジターセンターには、動物や自然に関する詳細で分かりやすい解説が展示されているので、専門家でなくても、生態学や動物行動学の面白さを味わえるようになっているのだ。
900kgもあるというのに時速60kmで走るバイソン、シカの仲間では最大で立派な角を持つムース、これまた立派な角を持つエルク、優しい感じのするミュール鹿など大型の野生動物の他にも、カナダグース、ペリカン、マーモットなどにも間近で出会うことができた。
テピは、初めてバイソンに出会ったとき、「うまだねー」とか「うしだねー」とか呟いていた(バイソンは牛の仲間)。似たものを連想して分類する能力が彼にもだいぶ育ってきたなあと私は嬉しくなる。
米国のモーテルは自動車で旅行する人のための宿泊施設であり、驚くほど安い。家族4人で一泊5千円〜7千円が相場だ。米国人は車での旅行を好むが、モーテルが安くて快適だということもその一因かもしれない。
安くてもプール付きの場合が多いし、部屋は清潔でとても広い。子供達はプールが大好きなので、夕食を済ませると、すぐにプールに行きたがる。私は旅の疲れもあるし、部屋でくつろいでいたいのだが、子供達の熱い願望には負けてしまう。子供達を水着に着替えさせて、自分はワインのボトルとグラスを持ち、プールサイドへ向かう。プールではテピもヨピも特に泳ぐというわけでもなく水と戯れているだけなのだが、1時間たっても上がりたがらない。長旅の疲れもプール遊びで吹き飛ぶといった様子。テピが旅行期間中精神的に安定していたのも、このプールのおかげかもしれない。
マディソンへ帰る朝、私達は5時には起きて、準備を整えた。レンタカーを返し、6時にそこまで迎えに来てくれる空港シャトルバスに乗るためだ。テピは朝に弱いので起こすのがいつも大変なのだが、不思議なことに絶対に起きなければならないという朝はちゃんと起きてくれる。
この日もテピは直ぐに起きてくれたので、余裕を持って無人のオフィスのキー返却口にレンタカーの鍵を返し、シャトルバスを待る。しかし、6時を過ぎてもバスは来ない。搭乗手続きは遅くても6時40分には済ませなければならないのに、とうとう6時20分を過ぎてしまった。こなったらバスは諦めてタクシーで行くしかないが、流しのタクシーなど走っていないし、公衆電話も見あたらない。このままでは確実に乗り遅れてしまう。
救い主は、同じようにイライラしながらバスを待っていた大柄な米国人だった。彼はこいうこともあろうかとレンタカーの鍵を返却口に返さずに手元に残しておいたのだ。
「私はこのレンタカーで空港へ行くことにする。君たちもよければ乗せてあげるよ。まだ間に合うかもしれない。レンタカーで空港に乗り付けたら罰金50ドルって書いてあるけど、シャトルバスが来ないんだから仕方がないよな。」
彼の申し出に感謝しながら、急いで車に乗り込んだ。車を走らせながら自己紹介しあう。
「私はボブ。カリフォルニアから来た。」
「僕はユタカだ。彼女はエリコ。それにヨピにテピ。ウィスコンシン州から来た。でも日本人だよ。」
「日本のどこに住んでいたの?」
「サッポロ。北の街だ。20年くらい前に冬季オリンピックがあって、米国のジャネット・リンが大活躍した。」
「ジャネットのことは知らないが、サッポロなら知っているぞ。サッポロ・ビール!あれはうまいビールだ。」
親切なボブのおかげで搭乗手続き終了間際にジャクソン・ホール空港に着くことができた。しかも手続が最も遅かったのにもかかわらず、家族が並んで座ることができるシートを確保することもできた。乗り換え地のデンバーまでは小さなプロペラ機だったが、イエロー・ストーンとグランドティトンの素晴らしい自然を再び見下ろしながら、楽しかった旅に思いを巡らすのであった。
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