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テピはプールが大好きだ。ショウウッドヒルズ小学校では週に2回も水泳学習があるのにまだ満足できないらしく、週末になると行きたがる。それで、マディソンのYMCAに入会することにした。YMCAにはテピとヨピが札幌でもお世話になっていたが、ここでは家族みんなで会員になった。土日の午後は家族用に解放されている。
私は大学の温水プールで毎昼1,000メートルを泳いで満足していたので、YMCAではテピとヨピのサポートに徹することにした。日本水泳連盟公認の指導員だった私の経験を生かして、テピとヨピに本格的に水泳指導しようと思いもしたが、のんびり遊ばせるのもいいかもしれないと思い直す。
米国のプールは真ん中から片側が急に深くなっていることが多く、YMCAのプールも例にもれず一番深い所で水深3メートルもある。テピは、はじめは深い方に絶対に行こうとしなかったが、なだめすかしながらそちらへ誘うことを何度か続けるうちに、ほんの一瞬だけ深い方へ泳ぎ進むようになった。足の立たない方へ1メートルだけ進んで、くるっと向きを変えて引き返してくるのだ。しかし、プールに通う度にその距離が2メートル、3メートルと徐々に伸びて、1カ月後には向こうの壁に達するようになった。足がつかないという恐怖が快感に変わっていく様子がテピの表情から見て取れた。
YMCAのプールに通っているうちに、二人の若いアメリカ人と友達になった。はっきり聞いたわけではないが、その挙動からどちらも明らかに自閉症だと思われた。1人は会話が可能なので、会えば
「やあ、マーク、元気かい?」
と声をかける。するとマークは、
「元気だ。僕は元気だと言った。僕は元気だと言った。」
と答えてくれる。ときには前夜に見たらしいテレビ番組のことを聞いてくることもある。
「ユタカ、○○○という番組を見たか?」
「マーク、残念だけど見てないよ。ところで○○○って何なの?」
「僕も知らない。」
彼らにサポートはついていない。ロッカールームで自分で着替え、シャワーを浴び、プールに入る。決して障害の程度が軽いとは言えないもうひとりの自閉症の青年ニックも時間はかかるものの自力で一連の準備ができる(ちなみにマークは28歳、ニックは22歳だとマークが教えてくれた)。テピも将来自力でプールに通うことができたらいいなあと、彼らを見ていて思わずにいられない。
プールの中では、マークもニックも滅多に泳がない。水に浸かって常同的な動きを繰り返していることが多い。しかし、私が
「マーク、君の泳ぎを私に見せてくれないかい?」
と頼むと、彼は得意げに独特の泳法を披露してくれる。それが結構速い。ニックも同様だ。
マディソンを去る日が近づいた10月のある日曜日のこと。私達はYMCAのプールで泳ぐテピとヨピをビデオに撮ることにした。いつもは私達がプールにいる間に近くのショッピングセンターで買い物をしている恵利子が、この日はプールサイドに立ってビデオカメラで撮影を始める。しばらくすると、マークがプールにやって来た。彼は恵利子を見つけると、プールサイドを歩いて、彼女に近づいて来る。恵利子が話かけた。
「マーク、こんにちは。」
いつもなら挨拶を返してくれるマークが、ビデオカメラに目が釘付けになったまま黙っている。
「これはソニーだ。」
「そう、これはソニーのビデオカメラよ。」
と恵利子が答えると、マークはとても嬉しそうな表情になった。
「これはソニーだ。」
結局、この日が私達にとって最後のマディソンのYMCAプールとなった。マークやニックの姿がビデオテープに偶然写っているのを帰宅してから見たが、もう二度と彼らに会えないのかと思うと寂しさがこみ上げて来た。
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