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Q1: まず市川浩先生と出会ったきっかけからお聞かせください。
 
高木: 1970年当時、油絵を描いていたのですが具象絵画に行き詰まりを感じており、絵を描く楽しさがなくなりつつありました。その時、高松次郎さんという「影」の作品で有名な造形作家が、ポロック論で知られている美術評論家の藤枝晃雄さんと二人で、現代美術の「塾」を開くということを聞きそこに入塾しました。
高松さんは、国際的にも有名な方で海外でも数々の賞を取り、60年代から70年代にかけてスター的な存在でした(のちに市川先生の『現代芸術の地平』岩波書店の装丁をしております)。私は60年代後半から『近代建築』という建築雑誌の編集をしており表紙の担当もしていました。ちょうどその頃、高松さんに表紙の作品を作って頂いていましたので、編集者の私が塾に応募したので高松さんは驚いていました。
「塾」は1年程でしたが寺山修司さんや彫刻家の斉藤義重さんなどいろんな方がお見えになりました。
また老子の読書会や、クレジオやサルトルの哲学的な存在論が高松さんから頻繁に話が出てくるのですが、さっぱり理解できませんでした。特に高松さんのサルトル論は、アーチストの考えが入りすぎ難しいというより論理的な困難を感じていました。
私は、学生時代に『善の研究』や『出家とその弟子』、そしてサルトルやカミュをよく読みましたし、特にコーリン・ウィルソンの『アウトサイダー』を愛読していました。高松さんの哲学的な話は高松流解釈でしたので……これではダメだと思い、きっちりとした哲学者に勉強を教わりたいという願望があり、友人に声をかけ勉強会を兼ね361°という美術家のグループをつくりました。
その中の友人の1人が市川先生の書いておられた岩波講座の「哲学」を持ってきて皆で読んだわけです。哲学書には珍しく文章が平易で理解しやすく、現代美術についても映画についても楽しく読めました。
それでこの先生に手紙を出し(私が草案をつくりました)。先生に現代美術を志向している者ですが哲学の勉強をしたいと熱望したのです(ですから、先生が辞めると言うまで続けよう思い、一度も休んだ記憶はありません)。
先生からグループ名と住所の番号がひとつちがいだと冗談めいたOKの返事を頂きました。たしか2週間に一度だったと思いますが銀座の喫茶店スーインですることになりました。最初はメルロー・ポンティーの『眼と精神』の読書会から構造主義などの勉強会をしました。先生の印象は哲学者の割には背の高い人だなあと思いました。そして聞き上手でした。先生は常々ぼくが一番勉強になる。と言ってました。
それは具体的に表現している美術家の生の声や行為など、直接触れられる楽しさがあったのではないでしょうか。それと先生が芸術論を展開しょうとした意図と符合したのではないでしょうか。
Q2: 随分昔のことと思いますが、その頃はどのような方がいらっしゃいましたか?その後現在はどうされていますか。
高木: 361°は現在自然消滅しております。グループの人にデザイナーや編集者イラストレーターなどがいました。現在も仕事は続いているみたいです。
グループ361°はアーチストの卵の集まりだったのですが、いろんな方が先生の話を聞きたいという人が増えてしまい、誰でも勉強会に参加できるようになってしまいました。ところが表現活動をしている人とそうでない方とのズレが生じ、何となくギクシャクしたのを覚えています。
先生はいろんな方が見えた方が良いと思っていたので先生と私とで361°+intersection(交差)とつけました。
intersectionには建築評論家の本田一勇喜さん、今、伝説の写真家と呼ばれる中平卓馬さんや安斎重男さん建築家磯崎新さんの奥さんでもある彫刻家の宮脇愛子さん、それに現在チェコの美術評論家連盟委員長でもあるブラスター・チハコヴァさんなどが顔を出していました。
現在intersectionなどで知り合った前田一澄さんや朝日カルチャーセンターにも出席した造形作家の杣木浩一さんとは、ABST(抽象)という勉強会を兼ねた美術家グループ(6人)で活動しております。
Q3: 「361°の会」「intersection」と先生との関係、そしてどのような活動をされたのでしょうか?
高木: 361°はイベント性の表現、今的に言うならばパフォーマンスが多かったです。
先生にも一緒に考えていただいたグループの表現〈「間」または関係の関係〉は、身体を都市の中で動かそうという表現行為がありました。井の頭公園、新宿の西口や新御茶ノ水のエスカレーターで身体を一列にうつ伏せにして何十分か寝そべった記憶があります(そのイベントは安斎重男さんが写真に撮ってあります。)。その他大きな鉄板をL字に曲げ10点ぐらいの大きな作品を東京駅の前に朝5時頃置いて写真を撮ったのもあります(このことはパースペクティヴという1回限りの新聞に掲載されております)。
361°は演繹的に表現をするというよりも、まず具体的に動いてみる帰納法的なやりかたが多かったです。一番楽しかったのはいつもそうですが、表現した後や勉強会が終った後、先生とお酒を飲むのが楽しみでした。
勉強会で一言も話せない人でも、お酒を飲むと先生にエンドレスのように話を繰り返します。そうした酒の中から次の表現活動もぼんぼんアイディアがよく出ました。
このグループが自然消滅後、高木と平田幸子と2人で『アンプレックス』と言う小冊子をつくりました。創刊号で先生にインタービューしております(『身の構造』に入っております)。冊子は4号で休刊中です。
  
 
「intersection合宿・昭和49年春今井浜でのスナップ」
Q4: いままで高木さんが生きてきた中で、先生から大きく影響を受けたことをいくつかお願いします。分野は問いません。
高木: 他者の問題です。先生は常々私に〈他者性の契機〉ということを言っておりました。
ですから先生の身体論も他者性が根付いているのではないかと思います。他者がはじめて作品を見た時、表現が成り立つわけですし、私は自分の作品をつくる時や見る時、他者の目で見ているわけです。大きく言ってしまえば他者性の契機は〈環境・内・存在〉みたいなものではないでしょうか。建築にしろ演劇にしろ他者性の契機があってはじめて存在するように思えるのです。
それは、他動性として表現とも言えると思います。現在流行のインスタレーション(設置)という展示発表は、他者性ぬきには考えられません。
かつて先生は『出版ダイジェスト』で書いています。そこで思考の枠組みの拡大という小見出しの中で、例えば「本を引く」という操作は他者性の契機を導き入れることによって私の思考の枠組みを拡大し、現実の照射を多様にする。もちろん私個人の照射も多様であり得るのだが、その多様性は本人が思っている程ではないし自分の枠組みを破ること程困難なことはない。本を引くという作業によって私は、この困難に小さな穴をうがつのであると言っております。
つまり相手の立脚点に身を置き、相手のパースペクティヴに置き換えるに他ならない。ある意味で自分を殺し、他者の言葉を自分の言葉としてなぞってみることができなければ書物の内面的理解はおぼつかない。
美術で言えば、やはりいろんな角度から他者が作品の様相を見るわけです。美術評論家のマイケル・フリードは、そうした立体的な作品を「シアトリカリティ」(演劇性)を孕む危険があると指摘していますが、やはりこの演劇性も他者を空間に引き込んでいると思います。見るいうことは他者抜きには考えられないです。つまり、表現者にとって、見ることとつくることは同義語のように思えます。
Q5: 先生との面白いエピソードをいくつか披露していただけますか。先生が元気だった頃、本当に良い顔をされている合宿等、今となっては楽しい思い出です。たとえば女性観(笑)なんかでもOKです。
高木: 先生の歌を聞いた時があります。いまだに歌の内容が思い出せなかったのですが、真面目にフランス語で歌ったのですけれど、多少音程がズレていたような気がしました。しかし皆はフランス語で歌っているので真剣な顔をして聞いておりました。私には、何故だか先生の一面を見た感じがしました。
グループには結構美人の作家も何人かいましたので楽しそうでした。
先生の嬉しそうな顔は、私が雑誌の編集でお願いしたジャコメッティについて書いて頂いた文章があります。その文章をジャコメッティと久しい矢内原伊作さんが誉めていました。その手紙を持ってきて嬉しそうに私に話してくれたのを覚えております。先生も矢内原さんから誉められたことに対して、本当に嬉しかったのではないでしょうか。
それから先生は、新しがり屋だったとおもいます。とくに8ミリやビデオカメラに凝っていたのを記憶しております。のちのワープロもそうかと思います。
Q6: 今でも手にとって見る先生の著作はなんでしょう。
高木: ずばり『精神としての身体』です。この本は私も学校の講義で紹介しています。
特に、表現と身体という講義での〈媒介された身体〉は最も学生に理解してもらえます。絵画の筆や、彫刻の鑿などの道具にも当てはまる事柄です。
Q7: 先生が各方面に書かれた雑文等でも結構ですのでぜひ高木さんお勧めのものがあれば教えてください。
高木: 先の『出版ダイジェスト』の、本を「読む」本を「引く」、が面白いと思います。
Q8: 我々が今まで先生から受信したものをこれから後輩にどう発信し継承したらいいと思いますか。
高木: 先生の書かれたものをもう一度じっくり反芻しながら、先生が望んでいたことややり残したことを我々が手探りするのも方法かと思います。
Q9: 最後にメモリアルサイトあて、メッセージがあれば是非お願いします。
高木: 一冊でもいいですから市川先生のメモリアルテキストを作ったらいかがでしょうか。または座談会みたいなものを本にするのも良いかと思います。
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