今週のことば
(日々のニュースの一つに聖書の光を当てる)
このページは私のブログ【老牧師のつぶやき】に移しました

  【夢と力】2005.3.1(tue)
 2月27日(日)夕のNHK大河ドラマ「義経」で、義経が奥州落ち前に清盛と会う場面があった。その時、清盛は言った。「夢を見るには力がいる。時にその力と力がぶつかり合うのだ。」と。続いて言った。「わしは平家、お前は源氏であることを忘れるな。」清盛は義経が出家せず、この世で夢を見ようとしたことに危惧を感じた。物語は夢と夢のぶつかり合いへと展開していく。

  【油断大敵】2004.10.12(tue)
 10月12日(火)山仲間とともに、埼玉県日高町にある「日和田山」(標高350m)を散策した。途中にはちょっとした難所があり、低山ながら魅力のある山である。登りはその難所(男坂)を選び、頂上で御握りを食べ、神の創造を賛美し景色を楽しんで下山した。登山口まであと10分、なだらかな道が続くという所まで来たとき、バランスを失いその場に崩れた。痛い、立てない、腫れてくる。それでも我慢して棒切れを拾って杖にして登山口までおり、車の人となり家に着いたのが夕6時、近所の骨折院の先生に来てもらったのが8時、即座に「骨折です。救急車を呼びましょう」となった。診断の結果「螺旋骨折」足首が90度左に捻りひねり骨折となった。きわめて珍しいケースで、手術の医者は「どういう転び方をしたのだ」としきりに聞く。今度の「山と渓谷」の記事のネタにするらしい。このたびの怪我の教訓は「滑りやすいところ」(詩篇73:18)である。

  【再会】2004.7.9(fri)
 北朝鮮拉致被害者曽我ひとみさんが、インドネシアで家族と1年9ヶ月ぶりの再会を果たした。報道の画面を見ながら、うれしさがあふれ出ている様子がうかがうことができた。国境を越え、長い時間の中で、拉致という運命に翻弄されたことを思うと、その胸のうちは如何ほどであったかと思う。こんなことを考えながらイスラエルの歴史にも思いを馳せていた。BC586年、南王国ユダは北の大国バビロンへ捕囚として連れ去られた。BC537年、ペルシャ王クロスの勅令によって、民族は祖国カナンへと帰国(帰還)を許された。この経験がユダヤ人の宗教を、強固なものとし、世界の神信仰の基礎を築いた。このように、こうした経験が、曽我さん一家に神へと向かう一歩となっていただければとしきりに願う。

  【御心を実行する政府】2004.6.25(fri)
 20日、NHKスペシャルで、ローマ法王庁の平和外交についての番組を見る機会があった。まず最初に、アメリカのブッシュ大統領とイラクのフセイン大統領がともに、「神の名のもとに」戦争に突入した様子が映し出され、ショックを感じた。人類が互いに戦いあうことは、決して神の御心ではない。これは人間の側のどこかが狂っていることから出た仕業である。法王は、高齢の上、車椅子に乗って世界を駆け回り、戦争の回避に向けて外交を展開したが、ついに戦争に突入した。「栄光が神に」着せられてこそ、「地の上に平和が」来る。神はこの道筋によって平和をもたらそうとしておられるが、神不在の世界に、神の名によって、平和を実現しようとする努力の限界を見る思いであった。

  【負け犬、勝ち犬】2004.6.18(fri)
 最近出版された本で、大変話題になっている。30歳をすぎて結婚もせず、子どもも生んでいない自分(女性)を負け犬と称している。多分、感情から見た自分を正直に言い表したのであろう。この問題にも、聖書の光を当てて見たいと思う。ことは普通考えられているほど単純でないがしかし、はっきりしている。聖書に「富める人とラザロ」の話がある。この負け犬と勝ち犬、最後には逆転している。

  【企業倫理】2004.6.17(wed)
 企業犯罪が目立つようになり、企業倫理ということばが聞かれるようになった。企業はもともと利益追求集団であり、倫理とはなじまないと考えられていたが、ここに来て、ここにも光が当てられるようになった。「あなたは袋に大小異なる重り石を持っていてはならない。」(申命記25:13)と聖書にあるが、法人も結局は人の集まりであることを考えれば、社会の規範、強いては、人の道としての倫理が問われるのは当然である。やはりここにも、人の心の問題が顕在している。

  【言うはやすし】2004.6.10(thu)
 三菱自動車工業の元経営トップが逮捕された。自動車部品の欠陥隠しで、事故死者までだしたにもかかわらず、隠蔽が悪質というのがその理由である。元社長の語録の中に、「責任は自分でとるものである」というのがある。ところがその責任をとろうとしなかった。人間の言葉がかくも軽やかなものなのか。語ることを常としていた者として、身につまされる思いである。このような状態であるから、神の真実と言うことがなかったら、この世はもうとっくに収拾の取れない状態になっていたことであろう。

  【神様はいるのですか…】2004.6.7(mon)
 長崎事件の加害女児の日記に、「神様はいるのですか…」とのフレーズがあったという。それは「嘆きの讃美歌」と題する詩で、「影、漆黒の才が闇を満たしていようと構わない」ではじまり、「苦汁、絶望、苦しみが私を支配する」と続き、「神様はいるのですか…助けて下さい…」と結ばれていた、という。神の愛を、無限に深い神の愛を、一生懸命に伝道してきた牧師として、まだ、こんなことも(歴史はもう2000年経過しているのに)子どもたちにも伝わっていないかと思うと、悔やまれる。なんと言うは暗黒の中に照っているのに(ヨハネ1:5)、世の潮流は、この光が子どもの心には届かないような仕組みになっている。子どもの宗教心をついばんでしまっている。日本の人々の心が神様に向かって開き、「神さまあわれんでください」と言うへりくだった祈りをささげない限り、「心の闇」を追い出すことは不可能に近い。

  【心の闇】2004.6.3(wed)
 小学生6年生の女の子が、同級生の友だちの子をカッターナイフで殺した、と言うニュースが流れ、世間にショックを与えた。この事件のショック度の高さは、まだ稚い女の子が、明らかな殺意を持って事件を起こしたことである。こうした事件が起こるたびに、人々は驚き、特別なこととしてしまう。しかし本当は特別なことではなく、きわめて日常的なこと、自分ともかかわりのある身近なことであることを知らなければならない。すなわち、誰もがこの女の子と同じ心の闇を持っている。たまたまそれが表面に出たことであって、すべての人はたとえ子どもであっても、心に闇を抱えている。旧約聖書の「十戒」は神との関係が人間関係の基礎であると教えているが、神不在の人の世では、こうしたことはごく日常的であることを、あらためて意識する必要がある。社会の異常は、人間の心の異常の反映に過ぎない。

  【巨人化】2004.6.1(mon)
 5月30日NHK番で、現代の犯罪の増加を扱ったスペシャル番組を見た。特に地方都市の犯罪が増加傾向にあるが、分析の結果、観光地の発達、道路網の整備と関係があるという。たしかに現代の人間の悪の増大は巨人化と関係がある。人間は自動車の発達で、距離と速度において巨人となった。通信網の発達でテレパシーの能力がついた。コンピュータの普及は、驚くべき情報の増大をもたらした。特に銃器の発達は、遠くから人を狙うことができ、何処にいるのか分からない透明人間と同じである。昔の人間ではとてもできないことを、現代人はやってのけられるようになった。このこと事態はすばらしいことでありながら、悪も増大させてしまった。これらは人間の心の腐敗性をそのままにして、能力の巨人化を促した結果である。これも神不在の世界が持つ憂慮のひとつである。

  【帰還】2004.5.23(sun)
 北朝鮮に拉致された方々の子どもたちが、今日タラップを降り日本の土を踏んだ。父母の祖国、初めての日本をどのように噛みしめたであろうか。長い間本当にご苦労さんと、誰もが言ってあげたい気持ちだと思う。この光景をテレビで見ながら、イスラエルの捕囚からの帰還のことを思い巡らせていた。祖国とは何だろうか。人は何処かに帰属しているから、帰還しなければならない。だとすると、私たちは祖国にいるから帰還する必要はないのであろうか。それとも私たちにも本当の祖国があって、帰還しなければならないのであろうか。こんなことを考えていた。

  【時を悟り】2004.4.29(thu)
 私たちが属する群れで、関東壮年部地区大会があり、それに出席した。そこでの講演が「現代に生きる」で、ポストモダニズムからの考察であった。時代は流れる。その中に生きる人間には現在しか与えられていない。しかし、その流れの方向を見極めることはできる。このことは、神に仕える者にとっても大変重要である。こんなことを考えることができた。

  【落とし穴】2004.4. 1(thu)
 人間は職業によって資質が決まるわけではない。しかし最近、学校の先生や警察官と言う風紀を管理する立場にある人が、自分から風紀を犯し、わいせつ容疑で逮捕されるという事件が続いて起こった。あらためて、人間とは 何者なのかと思う。あまりにも情けない事件で、彼らが刈り取った社会的制裁の重さを考えると、かわいそうでならない。子どもの頃から塾に通って、努力して、忍耐して、大学を出て、今の社会的地位を手に入れたのであるが、そこにとんでもない落とし穴が待ち受けていて、自分が設計した人生は、一度に吹っ飛んでしまった。人間の心はどうなっているのか。何が住み着いているのか。人の心弱さおろかさあわれさを、多くの人に真剣に考えていただきたいと思う。

  【歴史の責任】2004.2.26(thu)
 歴史には、責任が伴う。67年前、二二六事件は起こった、今日はその記念日である。当時日本軍の一部将校によって事件はおきた。この事件は全員逮捕処刑によって、万事解決したかに見えたが、この事件から公論が起こり、日本は戦争の時代へと突き進んで行った。歴史は神の支配のもとにあり、それであるから法則がある。これを読みとり、教訓とすることは、人類全体、人間個人個人に与えられた責任である。少なくとも、自分の人生と行動に対しては責任がともなうことを忘れてはならない。

  【問題は解決するか】2004.2.11(wed)
 憲法記念日のお休みを利用して行われたセミナーに出席した。テーマは「小学生を考える」で、教育宗教に関わる講習であった。集まった方々はみな、子どもを抱えるか、子どもを指導する奉仕に携わっている人々で、はじまる前から期待のボルテージもかなり上がっていた。質疑応答も行われた。講習が終わったときにはそれなりの知恵も出され、ヒントを得たようであったが、ため息も漏れて来た。帰って行って、これといった妙案もなく、また深刻な問題と向き合わなければならないといった思いが残されたからである。
 人間は大昔から、問題を抱えながら生きてきた。現在、盛んに行われている精神科学、社会科学の研究は、問題の分析とその解決の糸口を見出すために行われている。そのほとんどは問題の解決というよりも先送りである。この問題の問題は、「人間は自分の力と知恵で、問題を解決できるのか。」この原点に立ち返って考えてみる必要があるように思う。

  【過失かうそか】2004.1.29(mon)
 国会議員の一人が選挙公報にうその学歴を掲載して大きな問題になっている。一人一人の人間にとって「過失」とか「うそ」はごく身近な問題である。おそらく笑って何とか済ましてすり抜けている問題であろう。それが国会議員だからというので大きな問題となっている。しかし、果たして、国会議員だから大きな問題であって、個人のレベルでは大きな問題ではないと言えるのであろうか。この問題の異常さは、これほどにも日常的な問題が、他人事として話題になっていることである。私たちはもっと真剣に、これを契機に、人間の罪深さ自分の罪深さを考えるべきではないか。

  【虐待】2004.1.29(wed)
 両親が中学生の男の子を虐待し食事も与えずに放置し、死に追いやろうとした。何ともやりきれない事件が起こった。人の心はここまでなれるものなのか。求道中の方々、聖書を学ぼうとしておられる方なら、これを他人事として片付けないでほしい、神不在の生き方は、これほどに深刻な問題であることを、心して考えていただきたいと思う。

  【戦争と平和】2004.1.17(sat)
 航空自衛隊に続いて、いよいよ陸上自衛隊の先遣隊がイラクへと向かうことになった。日本はかっての頃に比べれば変わった。こうした問題へのアレルギーは少なくなった。自衛隊は人道支援のために行く。戦争に行くのではない。行くからにはこの原則を忠実に守ってほしい。けれども、ゲリラ戦とはいえ戦争が行われている地域である。戦争に巻き込まれないとも限らない。これからは、犠牲をどう考えるか。自己防衛はどこまでゆるされるのか。いろいろな問題を抱えることになる。まさに、人類が大昔から取り組んできた「戦争と平和」の問題である。

  【安全運転の祈り】2003.12.27(sat)
 毎年年末には交通の状況がニュースで報道される。死亡事故は若干減少したようであるが、相変わらず、今年も多くの事故件数を記録している。交通三悪と言われる、無免許、速度、酒酔い運転はなくならない。もっと、一人一人が心する必要がある。是非、「ドライバーの祈り」を心がけていただきたい。ハンドルを掴んだら、一言祈る。それも自分の誓いをこめて祈ることで、事故は防げる。是非、実行していただきたい。

  【ネブカデネザルを騙った男】2003.12.16(tue)
 今週の最大のニュースは、イラクの元大統領フセインが拘束されたことである。アメリカからの情報によると彼が殺害した人数はおそらく100万人は下らないと言われている。彼が独裁者であったことは間違いない。そして独裁者は最後には神のさばきを受けることを聖書は言明している。彼はかって、自分を昔のバビロン王ネブカデネザルに擬えたことがある。この昔の王は彼の高慢のゆえに神のさばきを受けたのである。

  【和解の使者】2003.12.14(sat)
 日本の自衛隊が国外にいよいよ派遣されることになった。政治問題として先鋭化されているため、発言に心しなければならないが、キリスト者にとって大切なことは、神の御心がどう実現されるかである。戦いのために人々の心は傷つき、無政府状態に置かれているイラクの国民のためになるのなら、だれも反対はしないだろう。それならば何故、自衛隊は武器を持って行くのか。もし、銃を発砲するようなことがあり、イラクの一般市民を傷つけることがあれば、どう責任を取るのか。行くのなら、平和を実現するための和解の務めを果たすために行っていただきたいものである。

  【犠牲】2003.11.30(sun)
 日本人外交官襲撃殺害事件は衝撃であった。意味のある仕事が意味のない憎しみの対照となり殺された。こんなむなしいことが何故起こるのか。世界は病んでいる。人間は病んでいる。これが異常さの原因である。政府は「テロには屈しない。」と宣言した。日本の自衛隊は専守防衛のためであって、予防戦争、報復戦争は出来ないはずである。ですから、政府のことばは、「犠牲を覚悟して」ということになる。日本が標的になっているとしたら、次がある。それでも送る。その次が起こる。報復の無意味なことはわかった。今度は、日本が憎まれているのならその解消のために、日本人の犠牲、犠牲、犠牲の津波が押し寄せたらどうか。こうして日本人みながイラクの人を愛して、犠牲となったら、イラクは変わるだろうか。一体世界は何によって癒されるのか。→【キリストの十字架】

  【突然の死】2003.11.30(sun)
 イラクで今度は日本人外交官が何者か(テロの疑い)に殺されたというニュースが入った。大変有能は人物で人望も篤く、使命感に燃え友人も多く、惜しまれる人だったと報じられるにしたがい、何ともやりきれない思いがする。小さい子どもを含めた家族が空港に向かう姿を見ると、この事件の異常さを痛感する。なぜこのようにしてが彼らに訪れたのだろうか。誰も死を計算に入れている人はいない。人間にとって死とは悲しみであり、悲痛であり、中断であり、挫折であり、絶望以外の何ものでもない。死を祝福、成功、勝利という人はめったにない。にもかかわらず、突然の死がやってくることがある。

  【真空地帯】2003.11.28(fri)【空白の恐怖】
 イラクをフセイン政権から開放するために、アメリカなどによる軍事力が行使されたが、結果として政治的空白を生み出した。テロの温床でまさに「真空地帯」である。この真空こそがテロニストたちの基地となる。世界中は今、秩序を取り戻そうとして躍起になっている。テロニストたちは秩序の回復を嫌ってますます攻勢をかけてくるであろう。人類が神の救いを求めるまで、この泥沼はまだまだ続きそうである。

  【パンドラの箱】2003.11.27(wed)
 アメリカによるアフガニスタン、イラクへのアイアン・ハンマーは、テロ、テロ、テロを生む結果となってしまった。当時、トルコの学者が「パンドラの箱が開かれた。」と言ったがその通りとなった。世界中にテロの種をばら撒いたといっても言い過ぎではない。箱の中に残された「希望」とはいったい何であろうか。

  【アイアン・ハンマー】2003.11.26(tue)
 2001.9.11事件(→【人類の英知】)の報復として、アルカイダをかくまったアフガニスタンのタリバン政権にアメリカのアイアン・ハンマーが下された。それ以来、テロは増殖を続けている感がある。人類はこの辺で軍事力力の行使では、平和は実現することなく、問題の解決にならないことを学ぶべきではないか。どこかで、この連鎖を止めることが出来ないのか。→【暴力の応酬】

  【テロ、テロ、テロ】2003.11.14(fri)→【テロ】
 イラクでの「テロとの戦い」は、泥沼の様相を呈してきた。アメリカ軍兵士の死傷者は日に日に増加している。ブッシュ大統領はテロには屈しないと表明した。自爆テロという何ともやりきれない事態を一体どう考えたらいいのか。日本とははるか遠くでの事件のために、よそ事のように思われているが、憎しみねたみ復讐といった暴力応酬は、数千年の昔から人類が抱える深刻な問題である。自衛隊の派遣が論議されている今、私たちも真剣に考えなければならない。

  【親の心】2003.11.4(tue)
 教会の所在を知っていただくため、特にこのホームページにアクセスしていただくために、牧師は普段時間があると、案内のチラシを持って外に行く。さいたま市は新都心と言われるようになったが、それでも、荒川の近くまで来ると田園が広がっている。そこに、幼稚園児たちのキャキャという声が聞こえてきた。芋掘りの光景が目にはいった。子どもたちがもう大変エキサイトしている。道の沿道を見れば、これまた驚く光景が目にはいった。ママさんたちがカメラを構えてこれまたエキサイトしている。ああ、これがというものなのだ。この日の夜のニュースは、母親がいといけない自分の子を死なせてしまうという痛々しい事件が報じられた。人の心天使なのか、サタンなのか。

  【災害】2003.11.2(sun)
 連日、ロスアンジェルスの山火事のニュースが報じられている。ものすごい被害である。これは天災なのだろうか、人災なのだろうか。こうしたケースにはいつも、こうした議論が交わされる。天災の「天」は天におられる神のことである。昔のノアの時代に大洪水を起こされたのも神である。ソドムの町を火で焼かれたのも神である。聖書には神が災いを送られたことを報じている。もちろん単なるいたずらではない。悪ふざけでもない。父の心を持った神からの人間に対するメッセージである。これについてはつづいて、【災害を受けたから】を参照していただきたい。

  【祈る気持ち】2003.10.20(sun)
 19日、ヤンキースの松井選手はワールド・シリーズ、マリンズ戦で、3ランホームランを打った。松井選手は語った。「飛んでいくボールを見ながら、祈る気持ちであった。」これは彼の理屈抜きの純粋な心から語ったことばであろう。多くの人はこれに共感したと思う。なぜなら、だれにでもこんな気持ちはあるはずだからである。それにしてもいったい、だれに祈ったのであろう。→【祈りの心】

  【いのち以上のもの】2003.9.7(sun)
 今年のNHK大河ドラマ「武蔵」は、巌流島決闘に向けていよいよクライマックスである。武芸者たちのいのちのやり取りの中で、何故そこまでしなければならなかったのか。この日、武蔵が小次郎と向かい合う場面で語りが、「それは彼らの澄んだ心であった。」と言うのを聞いた。「澄んだ心」というのは、「利害」や「恨み、妬み」など普通一般に見られる感情を越えた心のことを言っているのであろう。吉川英治氏はこれを書きたかったのかも知れない。確かに「澄んだ心」ではあるが、それにしてもあまりにも空しい。果たしてそれは、自分の存在の意味を満たすほどに大切なものなのであろうか。彼らが「いのち以上のもの」を求めていたことはわかる。彼らは確かに求道者だったのである。結局、彼らは「自分」「意地」「自尊心」「誇り」を捨て切れなかった。これを捨てさえすれば、人は「永遠を思う心」が与えられているのだから、「永遠」が見えてきたはずである。→【いのちより大切なもの】

  【愛が冷ややかになる中で】2003.8.30(sat)
 マタイ24:12 に、末の世に人々の愛が冷やかになるという預言がある。そうした中で、阪神タイガーズがマジックに点灯したというニュースは、ほのぼのとしたものを感じる。巨人フアンには申し訳ないが、星野監督は感情の激しいところがあるが、それだけに大変人情味もある人といわれている。チームの人間関係 が、選手の士気を盛り上げたに違いない。 が大事だと言うのは永遠の真理である。

  【宇宙の大ロマン】2003.8.24(sun)
 今週の27日(水)火星が大接近する。天文フアンの方々には、たまらないことと思う。何といっても数万年ぶりのことだと言う。それにしても不思議である。何の実益もないと思われる天空の星が、なぜ人の心を引きつけるのであろうか。昔、星を観察していた博士たち が、キリスト出現の星を見たという出来事があった。マタイ2:1~7 科学の世界にこんなロマンがあるとは。詩篇の作者が、大自然大宇宙は、神の語りかけであるといったのは本当である(詩篇19:1)。→【自然を通しての神の啓示】

  【説明責任】2003.7.29(thu)
 イラク戦争は「大儀」があったのか。アメリカのブッシュ大統領、イギリスのブレア首相ともに、苦しい弁明を強いられている。特にイギリスの場合、自殺者が出たことで、問題が先鋭化している。説明責任(accountability)は、時には人を死に追いやるほどの重大な問題である。昔、日本では武士は追い詰められると切腹をしたが、これも、実は説明責任である。聖書を見ると、神は説明を求めるお方である。神はまた、サタンの疑問にも自分から説明責任を果たそうとされる方である(→【神とサタン】)。 神は人の罪について弁解を求めておられる。→【罪の弁解】

  【平和への祈り】2003.7.22(tue)
 長崎の平和記念館が完成し、式典も行われた。大変立派なものと伝えられている。訪れた人々がそこで平和への祈りをささげたら、どんなにすばらしいことであろうか。平和の願いが平和への努力となり、祈りとなって結実したと思われる。「もう祈るしかない」と言うのであろうか。これが平和実現の確信となればと願わずにはおれない。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(ルカ2:14)平和の実現は、神の栄光と地上にみこころが行われることと切り離すことはできない。世界中の人々が神に求め、御心のために誓いを立てるなら、神は平和のために立ち上がってくださるに違いない。→【平和を来たらすもの】

  【科学的精神鑑定】2003.7.21(mon)
 凶悪犯罪を犯した少年を担当する弁護士が、少年から聞き取り調査をしていたが、なかなか彼の心の中が見えてこない。そのため、「精神鑑定」(→【精神を科学する】) を要請したと言う。その冠頭詞として「科学的」(→【科学の方法】)ということばがついた。こうしたところに現代風が見える。多分、少年の心の実相に迫るには、「科学的」なアプローチしかないと考えたからだろうか。少年犯罪の増加を憂える気持ちは、同感だが、なぜこの問題を「科学的」と限定しなければならないのか。その理由はよくわからない。→【空白の恐怖】

  【無防備な心】2003.7.17(thu)
 四日間、監禁されていた少女たちが釈放されたと、ニュ-スで伝えられ、「良かった良かった」と胸をなでおろしていたら、詳細が明らかにされるにつれ、何とも後味の悪い事件となってしまった。少女たちが手にした一枚の誘いのチラシが発端と聞いて、「今の子どもたちどうなっているのか」と言う声も理解できないわけではない。それにしても、あまりにも無防備過ぎる。何が悪で何が善かは弁えていなければならない。子どもはもともと白紙でこの世に生まれ出てきたのである。とすると、「親が悪いのか。」しっかりとした道徳教育と宗教教育がされなければ、悪の潮流に飲み込まれてしまう危険さえある。「若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。」(箴言22:6)。→【心を守れ】

  【一日一番】2003.7.18(fri)
 大相撲、木曜日の取り組みで武蔵丸を破った高見盛が、18日(金)でのインタビューで語ったことば。「きのうはきのう、一日一番でがんばります。」見事なことばである。これと関連して聖書のことばを開いてみよう。主は言われました。「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」(マタイ6:34)と仰せられた。旧約の知恵者も言っている。 「あすのことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないからだ。」(箴言27:1)「あなたの手もとにあるなすべきことはみな、自分の力でしなさい。」(伝道者の書9:10)過去は神だけが裁くことができる。未来は神が心配してくださる(第一ペテロ5:7)。私たちができることは、今日一日であり、今、目の前のするべきことである。

  【空白の恐怖】2003.7.14(mon)
 長崎の凶悪犯罪は、14歳の少年であったことがあきらかとなった。警察庁長官は、年々若年層の犯罪が増加していることを危惧する発言を行った。なぜこのようなことが起こるのか。専門家は、この問題に真剣に取り組んでいる。日本では家庭、学校、公的機関で宗教にはふれないと言う傾向にある。こうした環境の中では、特に少年の心は蝕まれ、心の真空を生み、即物的になっていく。親は常識や道徳をしつける自信をなくしている。ここに空白の恐怖が生み出される。→【空き家の危険】

  【天変地変】2003.7.3(thu)
 世界気象機構は近年、世界に起こった異常気象を発表した。地球温暖化の影響は気象異変に着実に表れている。猛暑、寒波、洪水、旱魃、エルニ-ニョ現象、台風、竜巻は、今までにない統計上の変化を示している。こうした異常気象によって災害被害者の数も増えている。マタイ24章に、「世の終わりの前兆」としてリストされている中にも「天の万象の揺動」(マタイ24:29)が記されている。世は確実に終末に向かっていることに心を向ける必要がある。→【世の終わりの前兆】

  【思い違い】2003.6.25(wed)
 先週と今週にかけて、飲酒運転による大きな事故が2件も続いた。酒を飲むと気が大きくなり、「これくらい」「大丈夫」「私に限って」という思いで、ついついハンドルを握ってしまう。これは特定の人だけでなく、人間の愚かさとでも言うべきではないだろうか。ちょっとした思い違いが、大きな事故を引き起こした時には、悔いても悔いても悔い切れなくなってしまう。パウロは人生一代の思い違いについて、次のように言っている。「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」(ガラテヤ6:7)「神を侮る」とは、「神を無視する」神のことは考えもしないで、人生、自分の力で生きているかのごとく生活することである。この付けは必ずやってくると思わなければならない。→【無神論の愚かさ】

  【悔い改め:きわめて現代的メッセージ】2003.6.17(tue)
 栃木県の大病院で、注射を射ち間違えるという医療ミスがあり、子どもを死なせてしまった。しかも、その子どものおじさんの肝臓を提供してもらって、生体間移植までしてミスの隠ぺい工作をしていたという事実も発覚した。医者として患者のいのちを救うという仕事に献身的に打ち込んできたに違いない。ところがミスに気づいたとき、すぐ「ごめんなさい。」というべきであった。これがなかなか言えない。しかもこれがごく普通の人間の傾向である。この医者はたちまちにして犯罪人となってしまった。このように普通の人と犯罪人との間はごくわずかである。ほとんどないと言ってもよい。福音書にはバプテスマのヨハネと言う人物が現れて、「悔い改め」を説いている。これは、2000年前に語られたことばであるとともに、きわめて現代的メセージでもある。人の心は罪に向う心があり、本質的に罪人である。悔い改めるのでなければ、だれも神の裁きの前に立つことはできないのである。(→Ⅰヨハネ1:9

  【罪の報酬】2003.6.16(mon)
 少女を誘拐して9年間自宅に監禁していた男に、第一審で11年の刑を言い渡された。被害者の両親は「軽すぎる。死刑にして欲しい。」と言った。罪を犯した者は当然刑を受けなければならない。「罪から来る報酬は死です。」(ローマ6:23)とあるが、これは正義感をもつ人なら、だれでも納得することばである。ただ、たいていの人はそれが自分に適用されるとは思わないし、自分に向けられたら、否定する。(→【自己義認】)ところが、聖書は「すべての人は、罪を犯したので、・・・・。」(ローマ3:23)とあることも心に留めて欲しい。

  【平和を来たらすもの】2003.6.12(thu)
 有事法案が国会を通過した。今回は与党だけでなく、野党の一部もこれに賛成した。太平洋戦争が終わってもう60年近くになるが、この期間地球上に戦争がなかったわけではない。アメリカが関わった戦争は5回に及んでいる。60年近く戦争がなかったのだから、人類の英知でもう戦争はないだろうと言うことにならなかったことは大変残念である。これではあと何年すれば、「戦争はもう止めよう」となるだろうか。おそらく、再臨の時までは、人類は平和を学ぶことはないのではないか。(→イザヤ26:12

  【王たちの饗宴】2003.6.6(fri)
   エビアン・サミットが終わった。8ヶ国のみならず、ほとんど世界中の国の指導者が集って、声明を読み上げたが、それは、政治、経済、国際協調で自信の満ちたものであった。彼らの努力に敬意を表したいと思う。ここで、二つのことを思い出す。かってアメリカのニクソン大統領時代、外交担当の政治家キッシンジャー氏のことばである。「私は政治家として、世界の平和のためにあらゆる努力を惜しまない。しかし、歴史学者として、平和と繁栄に成功した大国は一つもないことも知っている。」今ひとつは、聖書のことば、「地の王たちは立ち構え、治める者たちは相ともに集まり、主と、主に油をそそがれた者とに逆らう。『さあ、彼らのかせを打ち砕き、彼らの綱を、解き捨てよう。』天の御座に着いておられる方は笑う。主はその者どもをあざけられる。」(詩篇2:2~4)これは、ある方々には時代錯誤のように思えるかもしれないが、以下のことを参考していただきたい。→【バベルの精神】【王の責任】

  【復興ローマ帝国】2003.6.2(mon)
近年のEUがいろいろ動き出している。聖書研究者の中には、世界の終わりの時代との関連で、これに大変興味を持っている人もいる。ダニエルの預言によれば、終わりの時代を演出する舞台は、ローマ帝国である。(→【四つの帝国】)ローマ帝国は歴史上では AD476年に滅亡したとされている。しかし、ローマの精神は今もヨーロッパに受け継がれている。黙示録17章8節(→【底知れぬ所から上って来た獣】)、13章3節(→【海から上って来た獣】)を、末の世にローマが復興するとの解釈が行われている。(→【預言の解釈】)こうしたことは、聖書が現代にも語ることば(→【メッセージ】)を持っている例証として、神のみこころを理解する助けとなる。これからも、ニュースを追って行きたいと思っている。

  【独裁者登場の道】2003.5.29(thu)
 対応の遅れのため SASS の拡大をふせげなかったことから、WHO は権限を強化することで検討を始めた。(news)こうした動きは、今後の世界の方向を左右する鍵となる。その一つとして以下のことが予測される。世界は今後グローバル化が進み、各国の連携は強化されていく方向にある。経済だけではなく、環境問題(京都議定書)、兵器管理(大量兵器制限条約)、疾病予防(WHO)、これらのことでますます協調体制が求められる。もはや一国のエゴはゆるされない。各国が国益重視に走れば、地球規模の危機管理は、先送りとなり、限界に達することはそう先のことではない。徐々にではあるが、しかし、早い段階で国際機関の権限が強化されていくことになる。これ以外に人類が生き延びていく方策はない。反面、権力が集中したこのポストは、野心を持った人物の恰好の餌食となる。これが独裁者登場の道を開くことになる。
 聖書は歴史の終末に絶大な権力を持った反キリストの登場を預言している。これが世の終わりに現れる独裁者である。

用語

ホームページ