「はぁ……つまり公務員の格闘術を学ぶ研修先の大会に、参加しろってことすか?」
 彼、前原圭一が仕事上がりに持ちかけられたこの話題に乗り気になるわけもない。
  突然上司に渡された書類は三枚がホッチキスで止められた"参加許諾証とルール"についてのプリント。
 「まぁまぁ前原、話によると君は二人の公務枠のうち公安の人の推薦だそうだ、出てみてもいいんじゃないか?」
 「熊さん、そう簡単に言わないで下さいよ。 赤坂さんの推薦は嬉しいですけど……これ自衛隊の人も出てくるって書いてありますよ?」
 用紙には不穏な単語がチラチラと見え隠れする。
 警察や自衛隊とか、そういった体がある程度なってないと駄目な公務員に武道を叩き込む実戦格闘派"神空会"で、格闘大会を開くという。
 出場するのは警察、陸空海の自衛隊から二名ずつ選出したペアマッチトーナメントで、優勝したチームには賞金も出るとのこと。
 しかし彼は再びため息を吐く。
 それも当然、そもそも警察と自衛隊では訓練の度合いがまるで違う。
 しかも開催まであと一週間だというのだから、傍目に見る女性がため息ばかりつく彼を叱咤しないのもまた当然なのである。
 だがその女性とて彼の仕事上がりに来たのに、うだうだやっているのを待つのも癇に障る。
 「あら、圭一さんはまだやってますの?」
 「えぇ、どっちにするにしろレディを二人も待たせて何をしているやら……」
 署の入り口に立って待つ女性は今年大学を卒業した梨花と沙都子。
 「ならいっそのこと……ごにょごにょ……というのが面白そうですわ」
 「……相変わらず面白いこと思いつくわね沙都子。 いいわ、それでいきましょう」
 にやりとする魔性の微笑みは年を経て天使の微笑みに魔女の妖艶が加わっていた。
 梨花が圭一に近寄って耳元で何事かをつぶやく。
 「熊さん、俺出ます」
 「おっ! やっぱり若いんだからそうじゃないとね。 いや〜これで大石さんに怒鳴られなくて済むぞぉ」
 話は急展開。 こうして雛見沢が誇る自慢の魔術師は警察三年目にして異様な格闘大会に出場することになったのだった。


 ――ねぇ圭一。 私、赤坂みたいな強い人に憧れるなぁ


 そう、全てはこの一言で……




















 「やぁ、久しぶりだね圭一くん」
 「お世話になります、赤坂さん」
 圭一は梨花にけしかけられた日から休みをとって体を鍛え直していた。
 その成果は彼の体付きを見た赤坂が目を見張っている事からも明らかだった。
 二人が居合わせていたのは会場の控え室。 数年ぶりに出会った二人はお互いの変化が意外性を持ったものでもあり、だが予想していた通りの物であった事にひとまず胸を撫で下ろしていた。
 「それにしても随分と大きな会場でやるんですね」
 「なんでも自衛隊の方からの掛け合いがあったらしくてね。 どちらにせよ私達は日頃の鍛錬の結果を出すだけだよ」
 赤坂は既に道着に着替え終わっていた。 ピークを過ぎたにしてはガッシリとした体つきに圭一は目を奪われる。
 壁に貼ってあった紙を見ると初戦は海上自衛隊が相手らしい。
 着替えも終わり、ウォーミングアップを済ませると係の人間が呼びに来た。
 待合室を出て、暗い廊下を行く。
 「ところで赤坂さん、ここが何処だか知っていますか?」
 「聞いたことはある。 何かの小説か漫画あたりにあったものをどこぞの金持ちが実現しようとして結局持ち腐れになっていた闘技場。 ○○アリーナ地下闘技場……正直、このために力を振るうのには抵抗もあるけど、これも仕事だ。 負けるなよ圭一くん。 君にはアレもあることだしね」
 「負けませんよ、赤坂さんこそ気をつけてください」
 最後の階段を登りきった先に二人を待っていたもの。 それは鼓膜が裂けんばかりに振動する程の喝采と足踏みによる振動だった。
 観客数がどれぐらいなのかも分からない。
 目の前に広がっているのは直径十二メートルの円状リング。 そして周りにはうず高く並ぶ観客席。
 リングの中に敷き詰められているのはマットではなく、砂。
 圭一はこのリングを、会場全体を見回して明らかに体を硬くしていた。
 そんな彼に赤坂は不意に話題を変える。
 「そういえば梨花ちゃんは元気にしてるかい? ここ数年会いに行けず美雪も寂しがってるよ」
 「元気も元気です、成長するにつれて厄介な女の子になっていってますよ。 今日もこの会場のどこかにいるはずです」
 「厄介じゃない女性はいないさ。 それより、彼女が見ているなら殊の外負けられないな。 頑張ろう、圭一君」
 「……気合入りましたよ、絶対に負けません」
 リングの中央に立った二人は正面の入り口から入ってくる二人を見た。
 敵は海上自衛隊員、ということは足腰のバランスの良さは侮れないはず。
 『皆様お待たせしました、それでは神空会主催格闘大会第一回戦を始めます。 両チーム、合わせて……』
 神空会の流儀に則って突き出した利き拳を合わせる。
 ドクン、と一際強く心臓が脈打つのを感じた圭一は腰を中段に落とす。
 『始めっ!』
 会場内に試合開始の合図が響き渡ると同時に海上隊員は後ろにとびすさる。
 その後一人は圭一の左手側に回り、もう一人は正面で赤坂を待ち受ける。
 「そっちは任せたよ」
 「了解です!」
 横を軽いフットワークで抜けていく隊員を圭一は真正面から踏み込んで追い続ける。
 その身軽な動きに腰をしっかりと入れた圭一が追いつけるとは誰も思っては居なかった。 スピードに翻弄されて終わりだろう、と観客の全てが感じていた。
 声には出なくとも会場の空気全体は圭一の背中にズッシリを重くのしかかる。
 だがしかしその公算は甘かった。
 (軽やかにステップを踏んでいるつもりだろうが、足全体が地面について移動している……ベタ足なんて砂の上での移動の仕方が分かっていない証拠だ。 その割りにこのスピードは足腰の強さの証明か。 だが!)
 「まだまだ……甘い!」
 圭一はグッ、と体を落とすと一気に前方に跳ねた。 否、それは確かに走っているのだが海上隊員のそれまでの動きが軽やかだと思っていた人間にとっては次元の違うスピードだった。
 「なっ、くそ!」
 スピードで撹乱できないと知った隊員は足を止め、中段で蹴りを繰り出す。
 腹を狙った攻撃はよほど素早く体を横にスライドさせなければ避わしきれないし、受け止めても前進は止められてしまう。
 さらに避けた上で攻撃に転じるためには一歩で避けた上に次の一歩でサイドステップインしなければならない。
 とてもこの砂の上で出来る芸当ではない。
 バランスを崩したところでのしかかればそれで終わりだ!
 海自の隊員はにやりと笑って足を振り抜く。
 観客席でその様子を見ていた黄色い髪の女性……沙都子は深くため息をついた。
 「あれでは圭一さんの勝ちは確定ですわね」
 横の梨花も黙って頷く。
 予定された勝利は未だ勝利に至らない。
 部活をやっていたあの頃からすればあまりにも当然、あまりにも必然。
 圭一は飛んでくる足を受け止めることなく、円運動で払いのける。
 バランスを崩した隊員の横に一直線にステップインした圭一は握り締めた左拳を八段目のあばら骨に叩き込む。
 彼の攻撃はそれでは終らない。 続いて左半身を引いて戻す勢いを使って右拳を鳩尾に叩き付けた。
 「…………!!」
 「声も出ないか、その甘さはこれからじっくりと直すといい」
 前かがみになった隊員の額に合わせるように腰を深く落とす。
 「はぁっ!」
 つま先から腰、上半身と全身を回転させ、全てのパワーを腕に集約させる。
 回転のエネルギーを一点に集中して隊員の額を回転打で一際強く打ち抜く。
 ボクシングや他の格闘技でも用いられる『コークスクリューブロー』というやつだった。 回転によって得られるエネルギーと前進によって得られるエネルギーを合わせる事で貫通力に優れた力を得ることが出来る。 銃弾にも応用されている技術だ。
 そのスクリューブローを直撃させられた隊員は頭から後方に吹っ飛ぶ。
 掛け値なしにバランスを崩して受ければ足からすくわれるのだ。
 倒れこんだ敵から目を離して振り向くと、そこには既に戦いを終えてこちらを見ている赤坂さんがいた。
 「腕を上げたね、圭一くん」
 「手甲弾にはまだ遠く及びませんよ」
 苦笑いをする彼らの耳に勝利を告げるアナウンスが聞こえる。
 二人は係員の指示に従がって入って来た出口から再び地下に降りていく。
 「あっけなさすぎですわね」
 「しょうがないわ、二人が強いんだもの」
 観客席の女性達が当然だといわんばかりに頷く。
 周りの人々は屈強そうな自衛隊員が小僧とピークをすぎた年齢であろう男性にあっという間にやられているのが信じられなかったようだ。
 結果からすれば圭一は見事な三段ブローによる圧勝。 赤坂の方にいたっては打ち合いに来た一撃を片手で受け止めた後の正拳突きで試合を終わらせていたのだから、圧勝どころか勝負にもなっていなかった。
 「今の敗因は足の使い方ですかねぇ」
 「そうね、ベタ足で砂の上を動くなんて愚の骨頂。 つま先に脚力を集中しなければまともに動くことも……って、なんでアンタがここにいるのよ!?」
 「おやおや、アンタとは失礼ですね、梨花ちゃん。 それに私だってここにお呼ばれしているんですから、居て当然じゃないですか」
 後ろから声を掛けてきた男性は彼女らにとって非常に慣れ親しんだ声の持ち主。
 しかしどうにも理解できない現状に二人の顔は怪訝になっていった。
 「そんなことを言われましてもこの辺りに席はございませんですわよ?」
 「そりゃそうです、私の呼ばれている方はこちらではなく"あちら"ですから」
 男はあごを前に向けてしゃくる。
 だがどう見ても反対側の客席にだって穴はない。
 「ちょっと、冗談じゃないわ。 お呼ばれってまさか……」
 「楽しみにしていてくださいね」
 にっこりと微笑んで、男は白衣を翻す。
 「まさかあの人が居るなんて……でも可能性としては0ではない。 だけどそれにしたって……」
 「ねぇ梨花、この大会は警察公安、各自衛隊からの選抜大会でしたわよね? そこになんであの人が居るんですの?」
 「……そりゃそうよ、だって今アレは二佐から昇進して三佐ですもの……」
 嫌な予感がする。 と梨花は小さい声で呟いた。
 全身の毛が粟立つ、鳥肌が立つのは昔から、本当に小さかったあの頃から不吉の前兆なのだ。
 「赤坂……圭一……負けないでね」






 「三位決定戦が長引いているみたいですね」
 「どうやら空自の方も陸自の連中に手ひどくやられたらしい。 おかげでこの試合は長引くかもという話を聞いたが、そろそろ終るだろう」
 椅子に座っていた赤坂は立ち上がり体を動かし始める。
 空自のチームがどれだけやられたかは分からないが海自もあばらを折られているものが居る。 試合開始から五分が経ったことを確認して圭一も同じように筋肉を緊張させ始める。
 「どうだい、合わせ稽古でもしてみるかい?」
 「宜しくお願いします!」
 赤坂が圭一に言った合わせ稽古とはスローモーションで手合わせをすることである。
 スローなら簡単な風に見えるが実際これほど難しい稽古は他にないと達人は言う。 相手の呼吸、スピード、行動予測全てが噛み合わないと成立しない為だ。
 突き出された右手を左手を回転させて受け流す。 相手の左側に体をずらして右の拳を側頭部に向わせる、左の手の平で受け止めたまま左刀足に移り、エルボーブロックで攻撃を止める。
 「それは中国拳法だったかな?」
 「えぇ、八極拳に八卦掌を合わせたものです。 柔の攻撃に堅の防御とバランスが良いんです」
 「動作のバランスというより行動の性質にも合っているな……その辺りのセンスはさすが大石さんの見込んだ少年だ」
 「少年はよして下さいよ」
 本来は無駄口を叩きながら稽古などつけるものではないが今は体を解すだけ、二人は精神にゆとりを持ちながら合わせ稽古を続ける。
 トントンとノックの音で動作をやめる。
 「赤坂さんに前原さん、三位決定戦が終りましたので会場に向ってください」
 二人は腕を下ろして呼吸を整え、扉の外に一歩を踏み出す。
 「さぁ、梨花ちゃん達も待ってますし、いきましょう」
 圭一の言葉に頷いて赤坂が一歩を踏み出す。
 先に通った通路を再び歩く。
 裸足で歩いているからかぺたぺたという音がやけに反響していた。
 意識しないのに過度に神経が集中していくのを両者共に感じ取っていた。
 この第六感をただの気のせいとするほどに彼らは凡庸ではなかったし、いかほどに大切な感覚かも理解していた。
 筋肉が自然と強張り精神が引き絞られた弓の弦の様に張り詰められる。
 「強いな」
 「間違いなく」
 再び暗闇から光の世界へ身を転じる。
 リングには既に二人の人影が待っていた。
 「やぁ、遅かったね圭一君」
 「いけませんよ〜、若い方が年寄りを待たせるのは」
 目が慣れて視認出来た相手は予想外もいい所、アリエナイ敵だった。
 「と、富竹さんに監督っ!?」
 圭一の目前に立ちはだかったのは入江京介と富竹ジロウその人たちであった。
 「……なるほど、特殊部隊教官から陸自に籍を移した貴方だというなら納得がいきます」
 「赤坂さんも何納得してるんですか!? カメラマンと医師ですよ!?」
 圭一だけが状況をつかめずに焦っている。
 しかし無情にもアナウンスは軽快に決勝戦開始を告げる。
 「ほら前原さん、手を合わせて」
 「あ……いいんですか監督? 手加減はしませんよ?」
 右拳をコツンと合わせると同時に試合開始の合図がかかる。
 自分から手を出すこともせずに圭一はバックステップで距離を空ける。
 しかしそこが既に、そもそも相手が如何なる者であろうとも躊躇していた時点で圭一の不備であった。
 入江が白衣等というモノを着ていたからか緊張の糸がほつれていた。
 身を低くして大きく一歩踏み出した入江はノーガードの圭一の懐に拳を叩き込む。
 (な…"せんしっぽ"から"崩拳"だって!? バリバリの中国拳法じゃないか!)
 心臓に直接叩き込まれた拳の衝撃は確実にその臓器の動作を妨害した。
 あまりの激痛と肉としての反応が停止したことで意識と動作がフリーズする。
 その隙に両手を上下に広げた掌をモロに受けてしまう。
 2メートルほど弾き飛ばされた圭一は砂の上でのた打ち回る。
 「っぐぅうう」
 「人を嘗めて掛からないほうが宜しいですよ前原さん。 私は既に一回戦で勝利しています、その時点で油断する条件は無いはずですが?」
 距離は詰めずにイリーは白衣についた砂を払っている。
 こんなの監督じゃねぇ、と圭一は逆流する胃液を押さえ込みながら思考する。 だがどう考えても目の前に居るのはあの頼りにならない入江京介に他ならないのだ。
 「これだけの事が出来るのに、あの夏の時は何もして下さらなかったんですね……」
 あまりの激痛に嫌味の一つも言いたくなる。
 「あれも仕事です。 私の仕事は"無能な飾り"であること。 もとより唯の医師であるだけで本当に自衛隊の極秘プロジェクトに抜擢されるはずもありません。 私は鷹野さんに関わる前から"この"私でした」
 一種の自己暗示すらかけていましたがね、とメガネを直すこの男が、圭一は心底信じられなかった。
 自分の仕事という為だけに、入江は少女を助けるためにその力を使わなかった。
 その事実が彼のスイッチを入れた。
 「そっか、なら俺はあんたを許せない。 それで十分だな」
 「……そもそもの誤解が二つあります。 暗示状態の入江は間違いなく彼に出来る事をしていたし、そもそも貴方の相手は陸上自衛隊員である以上でも以下でもありません。 存外に頭の回転は遅いようですね」
 あぁ、これがキレるって事か、と圭一は直後実感する。
 キレるってのは何がキレるのか、それまで不思議でならなかったが、事ココにいたってようやく理解していた。
 分離するのは意識ではなく魂と肉体。 主観と客観の融合。 つまりは自分が他者としてある自己として移り変わる事なのだ。
 「うあああぁぁぁ!」
 両手を横にくっつけ甲を相手に向けたまま顔を覆うようにガードを固めて圭一が突進する。
 「ピーカブーいないいないばぁ……ボクシングのガードですか。 ですが直線の動きが中国拳法の円軌道にあしらわれ易い事は分かっているでしょうに!」
 懐に飛びこんで右のストレートパンチを撃ち放つ。
 まさに弾丸が飛び出すような勢いの拳も片手であしらわれ、喉に拳をつき込まれて距離を空けられてしまう。
 「まだまだぁ!」
 またも同じくピーカブーで突っ込む圭一。 しかし同じ攻撃は同じようにあしらわれる。
 通じないとわかりつつも虚しい特攻を続ける彼だったが、数メートル離れた所では更に凄まじい死合が繰り広げられていた。
 赤坂は初手から油断などしていなかった。
 左手で牽制をしながらのステップインと右のローからハイへとキックを繋げ、降ろした足を軸にしたまま正拳突きを発射する。
 普段なら一撃で人一人を気絶させられる程の猛攻はだがしかし一つとしてマトモにダメージを与えられていなかった。
 富竹は拳を全て手で止め、蹴りは骨を削られないようにあたる場所をずらして威力を半減させていた。
 「やりますね……あの小此木とかいった部隊長ですら相手にならなかったのに、これほどまでに強い人がまだ自衛隊に居たとは」
 「この年になって褒められるとは思いませんでしたが、手加減は出来ませんので」
 赤坂が手を戻すのに合わせて死角から風を切るようなアッパーが放り込まれる。
 顔を後ろにそらせることで辛うじて避けた赤坂は数年ぶりに冷や汗が鼻先から垂れ落ちるのを感じていた。
 一発が確実に相手の体を、戦意を、そして命すらもぎ取ろうとするタイプ。
 二人ともがここまで自らの拳を鍛錬させてきた同タイプの敵と始めて遭遇したことで勢いよく飛び込んでいけない。
 だが二人ともプロである。 臆して留まるということなどしない。
 回避は考えない、常に先に当てることを考えて踏み込む、腕を突き出す、脚を振り抜く。
 かすった拳は皮膚を裂き、軽い接触でも痣が出来る。
 赤坂はその一撃の破壊力から手甲弾の異名を持っていたほどの剛拳家だったが、富竹も自衛隊特殊部隊に関わっていた裏の世界のプロ。 それに加え体つきにおいては赤坂よりも一回り筋肉のついた重い体をしている。
 (このままじゃジリ貧か……!)
 右のハイキックを頭に向けて飛ばしガードされるが、そのまま軸足になっている左足一本でジャンプし体をねじって左から蹴撃を当てに行く。
 「ぐっ、さすがに身が軽い方が有利……ですが、そろそろ終りにしましょう」
 お互い三歩後ろにとびすさって間を空ける。
 経過した時間は体感で五分。 しかし時間との勝負である戦いを幾度も乗り越えて来た二人はその精確さに自信があった。
 ボクシングなどの1Rの時間は三分。
 それ以上の取っ組み合いは極度の集中力を乱し、一撃で命をも奪えるプロの格闘家にとってはまさしく命取りになるからである。
 にも拘らず既に五分が経過している。 お互いの為にもここで最後の一合を見舞うのがベストと判断したのだ。
 赤坂は呼吸を整え幾つものパターンを脳内で構築する。
 やがて決め手を見つけ、踏み込む為に足の指先に全神経を集中させる。
 ここまでの打ち合いから富竹が腰をしっかりと落として軸を取り、腰の回転によって力強い攻撃をしているのは目に見えて分かっていた。
 その富竹は今ここに来てより一層腰を落としていた。
 つまりは赤坂が自ら飛び込んでいかなければ情勢は変わらないということ。
 「……圭一君は大分困っているようですが、放って置いて良いので?」
 富竹は息を落ち着かせて赤坂の後ろで行なわれているもう一つの死合をちらと見やる。
 だが赤坂は振り返らない。 圭一の試合が既に一方的な展開になっている事は感じ取っているにも関わらず、である。
 「彼なら大丈夫です。 私は自分に出場が強く勧められたとき彼が出ることを条件に許諾しましたから」
 「圭一君なら、ですか。 なるほど……さぁ、これで終らせましょう!」
 「行きます!」
 左手を前に軽く掲げた状態で構える富竹は右手を低く構えている。
 赤坂はわきをしめた形で両手を下ろして突進する。
 お互いの手が届く距離……!
 先に手を出したのは読み通り赤坂。
 正の右拳を突き出して富竹の顔面をただ一点狙い打つ!
 「うおおぉぉぉ!」
 観客席に居た梨花を含め全員が赤坂の拳を見失った。
 プロのボクサーの拳は対峙しているとそのスピードの為見切れない。 だがその域を更に超えた赤坂の拳は振り抜いた後しか目撃されなかった。
 その鉄拳は見事に空を切っていた。 富竹は左手で払う必要もないと判断して体を右に倒し避けていた。
 だがそれこそが囮。 赤坂が握り締めていた拳は右だけではない。 富竹が避けやすいようにとあえて顔の向って右半分を狙っていたのだ。
 強く握り締めた左拳を富竹の顔面向けて叩き込む。
 しかし妨害は再び。 掲げていた左手を戻すことなく横から赤坂の拳を弾き飛ばす。
 肘の内側から加えられた力は容易にその軌道を変える。
 「甘い!」
 一喝した富竹は残していた右の弾丸こぶしをひねり出した。
 着弾したのは赤坂の左ボディ。 回転のパワーが乗った衝撃は骨を貫通し内臓の形を変える。
 あまりの痛覚に鍛えに鍛えた赤坂ですら体をくの字に曲げてしまう。
 「これで……僕の始めての"勝利"だ!」
 戻す右手のエネルギーは既に左の発射台へ。
 昭和56年より苦節12年。 活躍の場も無かった彼にようやくの舞台。 ここで勝利を逃す術は……最早誰にも考えられる物では無い。
 左の拳を手の平の皮が裂けるほどに握り締めて、最後のフックを打ち出す。
 狙いは赤坂の顔面。
 「るああぁぁっっ!」
 渾身の力を込めて。
 知らなくても覚えている。 六つの舞台、自らがいかに愚かであったのかを。
 そしてとうとう訪れた七つ目の舞台。 そこでの彼の出番はだがしかし得意の銃撃戦に於いても直後のスナイプによって威勢を削がれてしまった。
 だから、今ここがこの指導教官としての自分の最後の出番。 その為に無理を通してこの大会を開かせたのだから!
 いかなる妨げの概念をも打ち破り、会心の左フックが赤坂の顔に着弾し、振り切った方向に赤坂の体が泳ぐ。
 (勝った……ひぐらしのなく頃に、赤坂の時代……完!!)
 ようやく掴み取った自らの勝利ににやりと笑う富竹。
 しかしその姿は、勝利は、偶像でしかなかった。
 心の内で勝利を確信した彼は次の瞬間、脳を揺さぶる衝撃で意識を失っていた。
 「い、一体何が起こったんですの梨花?」
 「―――多分赤坂は最後のフックが当たる直前から、最後のハイキックの動作に入っていたのね。 まともにくらったら危険だから、首を捻って衝撃を逃がし―それでも骨にヒビぐらい入っているでしょうけど―上体を逃がしながらの蹴り。 日頃から鍛錬を積んでないと出来ない動きね。 さすが赤坂だわ」
 「あの左はトラップだったんですわね。 でも自らを危険にさらしてトラップを仕掛けるなんて二流のすることですわよ」
 「ま、不器用だから、あの男も」
 梨花達が状況把握を終える頃に、テンカウントも済んでいた。
 赤坂と富竹はダブルノックダウン。 つまり引き分けという結果に終ったのだ。
 その結果を入江と圭一はアナウンスで知る。
 「さて、そろそろコチラも終らせるとしましょうか」
 「言われなくてもそのつもりだ」
 「そうですか? その割には試合開始からピーカブーで防御を固めて突進を繰り返しているだけに見えますが」
 入江は余裕を見せてメガネを押し上げる。
 圭一の顔は既に打撃で晴れ上がっていた。 特にまぶたの上の腫れが酷く目が塞がりかけている。
 試合開始から五分、何度も直線的に突進してくる圭一を入江は軽くいなすだけで良かった。
 だがそろそろ余興も終わりに近づいてきた。
 次。 次の彼の攻撃の時に意識を断つ。
 入江はこの試合で初めて手を手刀の形にした。
 会場の空気が一瞬淀む。
 正常な世界に戻ったその時、圭一が前に出る。
 相変わらずのピーカブースタイル。 入江は苦もなく一撃で叩き切るのみ。
 だがその手は圭一の手に絡めとられる。
 (くっ、これは八極拳でも八卦掌でも……ない!? 合気柔術か!)
 一度取られた腕を引き抜くことは出来ない。
 絡み取られた左腕をぐっとねじられ圭一に背中を向ける向きで固定されてしまう。
 (このままではタコ殴りですか)
 さすがにそれはまずいと判断した入江はここで異様な行動を取る。
 ゴキッ、という硬いものがこすれてずれる音が鈍く響く。
 「ちぃっ、肩の骨を……はずしたからって!」
 「はぁああああ!!」
 腕の束縛から逃れ、入江は右手を手刀にし、圭一の首元に振り下ろす。
 これで私達の勝ち!
 圭一の右拳は未だ伸び始めていない。
 だが奇跡は起こる。
 圭一はある自己暗示をかける詔を口にした。
 その言葉こそ彼の奥底にある一つの業を引き出すキー。
 あまりにも常人の動きを凌駕したアイツの必殺技を繰り出すための始動キーを。
 一般人の身で到れぬのなら、我が身を常で無くすのみ。

 「閃光拳レナ・フラッシュ誅殺  インパクト!!」


 
技名を声に出すのは別に可笑しい事でもない。
 スポーツの世界などでは気合を入れるために常に声を出せ、と指導される。
 声を出すことによってその一瞬筋肉の緊張を高め、肉体のスペックを一時的に上昇させることが出来るからだ。
 今、圭一はそのスペックの向上によって、本来人間には到達できない速度と破壊力を持った神の一撃を放る。
 手が出たと認識することも出来ない。 否、それが手なのか膝なのか、打撃か斬撃なのか判別することすら不可能な一撃。
 人外の技に屠られた入江が立ち続ける事など出来なかった。
 頭から後ろに倒れこむ入江。
 会場の皆が息を飲んだ一瞬で、全てが終っていた―――。





 「よっ、ちゃんと見てたか?」
 表彰式が終って控え室に戻っていた圭一と赤坂を、梨花達は見舞っていた。
 「えぇ、全く持ってして無様だったけれど」
 顔をぼろぼろにした圭一に慰めの言葉をかけるかと思いきや、素の梨花らしい酷評が飛ぶ。
 「それにしても圭一さんが優勝するとはこれっぽちも思っていませんでしたわ」
 「はははっ、こりゃ辛いな、圭一くんも。 それじゃ、僕は一足先に帰るとするよ。 またくるよ、梨花ちゃん」
 「駅まで送るわ、赤さ「梨花は圭一さんを送り届けてくださいませ。 その顔で運転なんてさせたら事故を起こしてしまいますわ。 赤坂さんは車でいらしたんですの? 違うなら私が車をお出ししますわ」
 「私はバスだよ。 そうだね、この顔で待っていて見られるのも嫌だし、駅までお願いしようかな」
 そうやって話しながら二人は控え室を出て行ってしまう。
 後に残された二人は沈黙という空気の中、言葉を発することが出来なかった。
 ようやく圭一がため息をついて音というものが生まれると、今度は梨花の罵声がどんどんと出てきた。
 「全く、けしかけたのは私だけど、そこまでやる必要もなかったじゃない。 それに最後のはレナ以外が使ったら筋繊維をボロボロにするから使っちゃダメって言ったじゃないの! これだからいつもいつも不安の種が」
 「心配してくれたんだな、ごめん、ありがとう」
 そう言って圭一は梨花の頭を優しく撫でる。 乱暴な彼にしては珍しい力加減だったが実際は力が入らなかっただけ。
 それほどの戦いの後でも、圭一にはまだ梨花を構える余裕があった。
 それもそのはず。 彼の戦いはまだ終ってはいなかったのだから。
 「ばか……さっさと倒れちゃえばいいのに」
 「お前の前でそんな様は見せられないさ」
 「ほんっとに……ばかね、圭一」
 それが彼に聞こえていたかは定かではない。
 それほどの小さな声で呟いた彼女は瞳に雫を浮かべる。
 「許しちゃくれないか?」
 「だめ。 絶対に許さないわ」
 「そっか――じゃ、これからもずっと君の傍に居続ける、愛し続ける。 それじゃ、ダメか?」
 すっ、と圭一の手が梨花の指に伸びる。
 違和感を感じた梨花が見やるとそこにはまっていたのは小さな、だけど美しいリング。
 「梨花ちゃんも社会人になることだし、これだけ我慢してきたんだ。 そろそろ一緒になっても、いいだろ?」
 「〜〜!!!」
 「動揺して声が出ない梨花ちゃんなんて、初めて……うおっ!」
 涙の意味を変えながら、梨花は圭一の上に覆いかぶさる。
 何はともあれ、こうして謎の格闘大会は終末を迎えることとなった。
 この後二度目の開催が行なわれることなく幻となったこの格闘大会。
 優勝者は未だ若い警官。
 以降、彼の住まう町で起こる暴力沙汰の事件は激減することになったというが、彼が組頭とも深い関係があったというのは別のお話。
 これ以上つぶさに語る弁もなし。
 蜩の鳴き声満ちる世界の楽しき幕間。
 さぁて、次は一体どんなカケラで遊ぶか、今から迷うのですよ。 くすくす…………
























蜩武闘伝












ぁー、やってしまいましたよ。 ということでとある方からのリクエストだったひぐらしのなく頃にの格闘物をお届けしました。
ところで勝手に書いてしまって状況説明とか一切無いのでここで説明をば……
時は昭和56年から12年後の平成五年。 梨花ちゃんと沙都子は22歳になり、無事大学を四回生で卒業することが出来ました。
圭一はと言えば大学の四年間で赤坂にみっちりと個人授業を受けつつ、大学卒業と共に採用試験に合格、鹿骨市の署員となって、雛見沢の平和を守ろうと言う事でしっかりと働いています。
本当はその"正義のヒーローなど偶像でしかない"と溺れさせてしまうのも興がありましたがまた別のお話。
色々と好きな事書いちゃって設定も可笑しいですがこれも二次創作の旨みの一つと言う事で。
ちなみにナレーションは私ではなくフレデリカ、ということですのでそこも一つ宜しくww

ではでは、次の作品はまた純愛に戻らせていただくことでしょうが、暁さんに書けない様な異例の依頼品は私目がご覧の様に致しますよ!
んっふっふ〜。それでは皆様よいお年を♪

Written by アラトリウス