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「天才アケタ面白ランド」より 出演 明田川荘之さん ゲスト 市川「りぶる」マスターの須田美和さん アケタ「きょうは、待ちに待った、僕が尊敬します千葉市川『りぶる』の須田美和大先生です。(笑)」 須田 「(笑)大先生になってしまいました。」 アケタ「本人はだって意外と自分の業績に気がついていないかもしれないけど、おそらく日本のライブシーンを支えている、一番重要な人かもしれないね。」 須田 「重要な人がたくさんいらっしゃるからね(笑)」 アケタ「いやぁ、そんなにいないよ。本当に過言じゃないですよね、ジャズのライブハウスって結構、色んな形態があるけど、純粋な形でやってるところってそんなにないんですよね。まぁ、僕の店もそうだけど。」 須田 「う〜ん。」 アケタ「須田さんとこだって、『じゃずる』の時代入れると30年以上でしょ。35年ぐらい経つ?」 須田 「いや、5年まではいかないかな。数えてないからよくわかんないですけど。」 アケタ「『りぶる』ができたのが僕の店の翌年なんですよ。」 須田 「ああ、そうなんですか。」 アケタ「ああ、それも憶えてない。だから本人が、重要性に気がついてないんだよね。」 ・・・ アケタ「30年って簡単に言うけどね、30年やっていくって大変だよね。」 須田 「まあ、30年もやってれば、ん、バカですね。ハハハハ」 アケタ「ハハハハ。30年以上やってると、東京外語大出た意味も、価値も出てくるんじゃないの?」 須田 「そうですね、外国関係がいっぱい増えてきたりとか、全然関係無いってことはない。不思議となんか結びついちゃいますね。」 アケタ「うん。だって僕が外国でライブやらせてもらう、ある程度キッカケにもね、マスターなってくれて。そういう関係のものをきょう、一部紹介しようかと思ってね。」 須田さんのお店『りぶる』は一時従業員が皆外国人という時期もあり、外国人の溜まり場だったと、アケタ氏。その従業員のお一人がアケタ氏のフィンランド進出のキッカケになったという。 ♪ アケタズ・ブルース / 明田川荘之 ( AKETA'S DISK AP1019 ) そして、須田さんの病気の話に アケタ「須田さん、最近病気は大丈夫なの?」 須田 「うん、もう最近は音楽愛好家っていうよりも食道癌研究家ですよ、もう。」 アケタ「だって、どんどん健康になっていってるよね。」 須田 「ええ、おかげさまでね、奇跡的ですよ。」 アケタ「声とかもすごい良くなってきたもんね。」 須田 「うん、本当は声帯とんなくっちゃいけなかったんだけど、声帯とられるなら、死んだほうがましだって言って。ラッキーでした、凄いラッキー、お医者さんにも恵まれたし。」 アケタ「うん、須田さんが逝っちゃうと、まあ、人生なんて皆短いけど、ジャズは。」 須田 「うん。」 アケタ「僕はちょっと指標を失うよね。」 須田 「アハハ。」 アケタ「そう思っている人多いかもしれないよ。」 須田 「うん。」 話は経営の辛苦に アケタ「だけど、苦しいよね、ジャズ喫茶やっていくってねヘヘヘヘ」 須田 「うーん、そりゃぁ苦しいですよ。(笑)もぉ〜大変、いかに赤貧に耐えるかっていうね、それだけですよ。その根性が有るか、無いかですね。」 アケタ「前もね、東大出のジャズやってる若手がいっぱい出てきて、何で東大出てジャズやるのって?それと同じだよね。外語大とか大変な学校出て、何でジャズ喫茶やらなきゃいけないのって(笑)」 須田 「う〜〜ん、やっぱり相当バカなんでしょうね。それしかないみたいな感じだね。」 アケタ「まあ、結局好きだからですよね。好きっていうことが、結局ミュージシャンを応援するっていう形に向ったってことですよね。その須田さんの美しさと勇気を讃えて、僕は1曲捧げたんですよね。」 須田 「強さはないかもしれない、美しさは充分あると思います。」 アケタ「強さはありますよ、ここまで、病気から立ち直ってくるという。『りぶるブルース』っていうのが、これは愛と強さに満ちてるつもりで作った曲なんだけど・・・じゃあお願いします。」 ♪ りぶるブルース / 明田川荘之 ( Ohrai Records JMCK-1014) アケタ「不測の事態にはこれ弾いてあげますよ。」 須田 「ああ。」 アケタ「その代わりお香典なしね(笑)」 須田 「ああ、遺言に書いておこうかな。」 アケタ「もしかして、本心はお香典のほうがいいと思っていたりして(笑)」 須田 「生前にね、頂ければ一番、ハハ」 アケタ「アハハハ、お香典は生前で、」 須田 「生前葬っていうのやりたいくらいだから(笑)」 アケタ「ハハハ、やればいいじゃない。」 須田 「うん。そうだね。よくお店も閉店っていうと人がワッと来ますでしょ。もっと早く行ってあげればいいのにと思う、それと同じですよ。生前葬やろうかな。」 アケタ「僕は、自分のバンド客入らないから今度、色々ホールで色んな人の生前葬しようかな。」 須田さんの料理は本当にうまいという話。安い食材しか使えないので、手間隙をかけて料理するのだそうだ。その食材は、店が朝4時までなので、閉店して、帰りに船橋の市場で見つけるのだそうだ。 しかし、自分ではあまり食べず、栄養失調で立てなくなり、自分で救急車を呼んだ経験がおありとか。 アケタ「『りぶる』では毎日ライブやってますよね。」 須田 「ええ、やってます。」 アケタ「ライブやってて、いままでやってきて、これだっていう、ジャズに対する想いって。要するにやってて良かったっていうのは?そういうのがなけりゃ、やってこないよね。」 須田 「う〜ん。」 アケタ「まあ、ある程度は惰性だろうけどね。」 須田 「そうですよ。とにかくオープンするというのは非常に勢いがあって簡単なんですよ。」 アケタ「うん、うん。」 須田 「維持していくのが大変だし、また辞めるとなるとね、これはものすごいエネルギー要りますよ。」 アケタ「だよね。」 須田 「結婚と同じで、離婚が大変というのと同じですよ。維持していくほうが楽ですもの。」 アケタ「色々あったとき、僕なんかも色々あったけど、骨折したり、」 須田 「やくざに肋骨へし折られたり。ウフフフフ」 アケタ「そういうとき、やっぱり辞めようと思うよね。」 須田 「まあ、何回か思いましたね、それは。」 アケタ「だけど根性が違って、病院から店へ通ってたりしたもんね。(笑)」 須田 「そう、そう、そう。(笑)」 ・・・ アケタ「いよいよ、最後になっちゃったけど、日本ジャズ界の水戸黄門としては、」 須田 「水戸黄門?!」 アケタ「水戸黄門としては、ご意見番として、ジャズマンに苦言を。」 須田 「あ、苦言ね、」 アケタ「苦言でも何でもいいけど、水戸黄門の歌を歌ってもいいよ。人生〜♪って」 須田 「いや、僕は団塊の世代、」 アケタ「須田さんいま、56歳だもんね。」 須田 「56歳。過激なんですよ、結構わたしは。だからジャズメンの皆さん、チャレンジ精神を持っていただきたいですね。」 アケタ「う〜ん。」 須田 「何か新しいものに挑戦すると、」 アケタ「そうだね。」 須田 「そういう気持ちを持って、毎日チャレンジという気持ちで、」 アケタ「うん。それ、じゃあ皆心にとめて、」 須田 「はい。」 アケタ「スタジオに須田美和って書いて、『チャレンジ精神』って貼っておきますよ。」 須田 「お願いします。」 アケタ「皆、ここ入ったらお祈りして、」 須田 「だからこの番組呼んだんでしょ。もう死ぬかもしれないって。」 アケタ「早く逝くとお香典大変だから。まあ、本当、日本のジャズのために長生きしてね。」 須田 「憎まれっ子で。」 アケタ「うん。憎まれっ子でいてもらったほうが、いいや。きょうは本当にどうもありがとう。」 須田 「ありがとうございます。」 修羅場をくぐってきた人の物静かさみたいなものを、わたしは感じました。30年。う〜ん、30年、自分の裁量で一つのことをやり通すということ。何も言葉がありません。 |