vol.37 寺島靖国コレクション
渾身のメッセージにわたしは平伏した
そして感謝の気持ちでいっぱいになった


 
寺島靖国コレクションの10枚が手元に届いた。はじめ、ゆっくりとちびちび楽しもうと思っていた。でもそれはできなかった。結局一気に聴いてしまった。

以前「PCMジャズ日記」にも登場したサンディ・スチュワートの「マイ・カラリング・ブック」に始まり、ジーン・クイルの「3ボーンズ・アンド・ア・クイル」、すでに掲示板にも話題が出た、チコ・ランドールの「リラクシン・ウィズ・チコ・ランドール」、ジョニー・スミスの「マイ・ディア・リトリ・スイートハート」、タイリー・グレン「レッツ・ハヴ・ア・ボール」。ここまでが初日。2日目のきょうはディック・ヘイムズの「ムーンドリームス」、ジョー・ブシュキン「ア・フェロー・ニーズ・ア・ガール」、スライド・ハンプトン「ザ・ファビュラス・スライド・ハンプトン・カルテット」(これだけは所有していたがジャケットもタイトルも異なるもの)、ズート・シムズ「ニュー・ビート・ボサ・ノヴァvol.1&2」、そして聴きたくてたまらなかった、ピア・アンジェリの「イタリア」。恥を偲んで書くが、こらえ切れずに思わずジャケットに頬擦りをした。10枚を聴くうちの何曲かには背筋がゾクッとし、何曲かには涙腺が反応した。特に、男性ボーカルという新分野に感動を覚えたことは、わたしにとっては大きな収穫だった。

個々の盤にヘタなコメントはつけないが、寺島さんの口にいつも上るキーワード、「美しいメロディ」、「歌う気持ち」、「ジャズの持つ独特のノリ」こうした言葉を音にすると、ここにある10枚のCDに入っている音楽になるのだと、わたしは実感した。同時に狭いと思っていた寺島さんのストライク・ゾーンは計り知れず広大なものだとも知った。新しいものに追従していく表面積の広さではなく、普通は怖くて踏み入れられない深さ、井戸の底のような、奈落の底のような深さ故の広大深遠さだ。そこまで踏み入れたら、そこでしか生きていけなくなるような抜き差しならない広大さを感じた。

この10枚を聴いて、つくづく感じ入った。寺島靖国という人は凄い人だと改めて平伏したいような気持ちになり、やがて感謝の気持ちに変わった。
レコード会社の企画を待っていたところで、とうていCD化は望めないであろう代物ばかりである。「寺島」というブランドを冠に戴いて初めて耳にすることができたこれらの名盤たちだ。
これは、ジャズファンに向けての最高の贈り物だと思う。こういうのを「いい仕事」というのだろうと思う。50年間ジャズに耳を傾け、ジャズ喫茶との格闘を通して、文字通りジャズに人生を捧げた男にしかできない「いい仕事」だと思う。
寺島さんは、自らの人生の大半と、自らのキャラクター(必ずしも生来のものではないと推測する)を商品化した。そうしてできたブランドを大手のレコード会社にビジネスとしてのフィジビリティーとして認めさせた。更にそれを、黙っていれば一部の熱狂的ファンの所有品として朽ちていっていまうような運命にあるレコードに添付して、世に送り出した。そうして初めてわたしのようなものの耳に、届く音楽が再生したのだと思う。

理屈ではなく、音楽としてジャズを愛でる寺島さんの思いが込められた10枚だ。どの1枚を聴いても、「どうだ」という寺島さんの顔が浮かんでしまう。歌声に、楽器の音に包まれた後に、「まいったろ」という寺島さんの顔が浮かんでしまう。いまにも笑い出しそうな「つくった渋い顔」だ。本当にまいった。
個々の作品の向こう側に、「寺島靖国コレクション」という、もう一つの作品があるといってもいいのだと思う。

人間もレコードも同じだ、顔がある。一角のことを成した人物には、それ相応の顔があるのと同じで、素晴らしいレコードは、並べて眺めるだけでも素晴らしいたたずまいを持っている。



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