−大東亜戦争の中の私−

怒涛の様な時代の流れにただ押し流されていた
しかしその蔭に何かがあった

−−田澤 昇 記−−

-syuugo.higuchi@nifty.ciub.ne.jp Syuugo Higuchi 1999-

−まえがき−

 大東亜戦争は、米国を主敵として、昭和十六年十二月八日から昭和二十年八月十五日までの三年九ケ月の戦いであった。勝利に酔ったのは、緒戦の僅か半年の間だけで、昭和十七年六月のミッドウェイ海戦の敗戦以降は、一般国民には知らされない敗戦の連続であった。
 昭和三十年代後半、この戦争に関しての米国側の資料が公開されてから、この戦争に関する正確な記録の刊行物が多く出版された。それら刊行物を読むと、私たちが体験した事柄の蔭に、いろいろなエピソ−ドがあり、日本軍の精神主義主体の作戦に対して、米軍の理詰めの作戦計画があるのを知った。
 戦後生まれの人たちが大半を占める現代において、戦争の話は親父たちの時代の事として片付けられ、昭和一桁生まれの同年代の人以外は、話に耳を傾けようともしない。この事から親父が生きた時代にこういう事があったと、大東亜戦争中に体験した事柄のいくつかと、それに付随した事柄を記録しておきたいと思い立った。

 戦争は、それに使用する兵器(艦船、航空機をふくむ)と、その生産システム、戦闘方法の大幅な進歩を促す。それらのすべてに劣っていた日本が、「負けるのが当たり前」の事であった。何も知らずに「勝つ」と信じこまされて百%の一般国民が悲惨な体験をせざるを得なかった。
 その時代から半世紀余が過ぎて、今その悲惨を伝える為に残されているのは、年老いた人の薄れゆく記憶と、ヒロシマの原爆ド−ムだけである。


   −目次−

昭和十六年十二月八日   あの米英相手の戦争に勝てるのかと少年は思った

昭和十七年四月十八日   星のマ−クを付けた双発機が芝浦の上空を飛んだ

昭和十七年九月二十五日  電光ニュ−スが日本潜水艦がドイツに到着を伝えた

昭和十七年十月      六年生の少年に号令を掛けるのは五年生だった

昭和十八年六月五日    遺骨を乗せた砲車は静々と少年の前を進んだ

昭和十九年十月      ここで見聞した事は親兄弟と云えども秘密にせよ

昭和十九年十一月一日   四条の飛行機雲を引いて大型機が頭上を飛んだ

昭和二十年二月九日    大煙突の煙りの果てに巨大風船を見た

昭和二十年二月十六日   秋空に舞う赤トンボの様に敵の艦載機が飛んだ

昭和二十年六月十日    頭上のB29の腹から無数の黒いものが放たれた

昭和二十年七月十七日   梅雨末期の雨の中、頭上を砲弾の轟音が通っていった

昭和二十年八月九日    黄昏の駅頭に背中に背負った日本刀が勇ましかった

昭和二十年八月十五日   負けたのだ、少年は風呂の水で涙の顔を洗った

あとがき

HP管理者からの解説

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