怒涛の様な時代の流れにただ押し流されていた
しかしその蔭に何かがあった
−−田澤 昇 記−−
-syuugo.higuchi@nifty.ciub.ne.jp Syuugo Higuchi 1999-
戦争は、それに使用する兵器(艦船、航空機をふくむ)と、その生産システム、戦闘方法の大幅な進歩を促す。それらのすべてに劣っていた日本が、「負けるのが当たり前」の事であった。何も知らずに「勝つ」と信じこまされて百%の一般国民が悲惨な体験をせざるを得なかった。
その時代から半世紀余が過ぎて、今その悲惨を伝える為に残されているのは、年老いた人の薄れゆく記憶と、ヒロシマの原爆ド−ムだけである。
昭和十六年十二月八日 あの米英相手の戦争に勝てるのかと少年は思った
昭和十七年四月十八日 星のマ−クを付けた双発機が芝浦の上空を飛んだ
昭和十七年九月二十五日 電光ニュ−スが日本潜水艦がドイツに到着を伝えた
昭和十八年六月五日 遺骨を乗せた砲車は静々と少年の前を進んだ
昭和十九年十月 ここで見聞した事は親兄弟と云えども秘密にせよ
昭和十九年十一月一日 四条の飛行機雲を引いて大型機が頭上を飛んだ
昭和二十年二月十六日 秋空に舞う赤トンボの様に敵の艦載機が飛んだ
昭和二十年六月十日 頭上のB29の腹から無数の黒いものが放たれた
昭和二十年七月十七日 梅雨末期の雨の中、頭上を砲弾の轟音が通っていった
昭和二十年八月九日 黄昏の駅頭に背中に背負った日本刀が勇ましかった
昭和二十年八月十五日 負けたのだ、少年は風呂の水で涙の顔を洗った