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(文・写真/那羅かおり)
京都は、何度となく訪れている。 友人たちと賑やかに繰り出したり、二人のときもあったし、一人のときもあった。 その京都を『平家物語』ゆかりの地として眺めてみると、 観光客の訪れない、ひっそりとした場所が浮かんでくる。 長い旅のプロローグの地として選んだ六波羅も、 清水寺へ向かう観光客で賑わう東大路通りを挟み、 かつての主たちの栄華を忘れたかのような佇まいを見せている。 古都を流れる鴨川沿いの、古代は葬送の地であったという六波羅で、 やがて一門を襲う悲劇的な運命を知ることもなく、 平家の人々は、どんな夢にまどろんでいたのだろう。 |
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時の権力「六波羅(ろくはら)」の地 |
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国立博物館や三十三間堂、八坂神社、円山公園、清水寺など、洛東(らくとう)と呼ばれる東山の山裾は京都観光のメッカとして、年間を通して大勢の観光客で賑わっている。そうした有名寺院などに向かう観光バスが通り抜ける東大路通りと、牛若丸と弁慶が出会った五条大橋の架かる鴨川の間、民家や商店が建ち並ぶ町中に、空也上人が開いた西国巡礼の十七番目の札所、六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)はある。 地方の受領(ずりょう)にすぎなかった平家は、やがて平安貴族社会の中で頭角をあらわし、保元・平治の乱で勝利をおさめ、栄耀栄華を極める。「此一門にあらざらむ人は、皆人非人なるべし」とまで言われたこの時代、六波羅には平家一門の邸が建ち並び、美しく着飾った人たちで満ちあふれ、屋敷の門前には来訪者の牛車や馬が群がって、市が開かれているようだったという。時の権力の中心地だった六波羅の、宮廷をも凌ぐその勢いを伝えるよすがは、今はこの寺だけだ。 それにしても、華麗な平家の公達の姿を偲ぶには、この寺はあまりにも庶民的で気取りがない――車が行き交う狭い道路のすぐ側に本堂が建ち、近くの小学校からは、子どもたちの歓声が風に乗って聞こえてくる。赤い涎掛けをしたお地蔵さんが所狭しと置かれた境内の一角には、熱心にお参りするお年寄りの姿があった。 もっとも、常に民衆の中にあり、その行乞(ぎょうこつ)する姿から市の聖(ひじり)と呼ばれた空也上人の寺なのだから、こうした雰囲気は当然なのかも知れない。平家一門が邸を築くより200年昔の空也上人の時代、鴨川のほとりに繋がる六波羅の辺りは、風葬や鳥葬が行われる庶民の墓所であったという。 清盛の父・忠盛が寺の境内に軍勢を駐屯させたのが縁で、六波羅と平家との結び付きは強まった。忠盛の時代、武士は貴族からまだまだ蔑まれていたことを考えると、庶民の町・六波羅に武士の勢力が集まったことも、また必然だったのだろう。 境内に入ると、すぐ左側に清盛の塚と遊女・阿古屋(あこや)の塚が並んで立っている。遊女の塚の方が、太政大臣の塚よりも大きく風格があるところが面白い。 |
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清盛は“情の人”だった |
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本堂の裏には宝物殿があり、口から6体の阿弥陀仏を出している有名な空也上人立像と並んで、清盛坐像が置かれていた。製作年代や作者の記録はないが、力強く生き生きとしたその坐像は、清盛という人物について、あれこれ想像させてくれる。 出家して浄海(じょうかい)と号した晩年の姿らしく、経巻を手にはしているが、たれ気味の目は抜け目ないようで力強く、人間味にあふれている。小鼻の張りは傲慢なほど自信にあふれ、厚い唇からは喜怒哀楽のはっきりした情熱的な性格がうかがえる。実際、平清盛とは、どんな人物だったのだろうか? 『平家物語』に登場する清盛には、横暴な権力者という悪役が割り当てられている。対する善人の役は温厚篤実な長男の重盛である。物語とはいえ、史実から見えてくる清盛像とはかなりの隔たりがあるようだ。 本来、清盛は合理的精神を持つ、バランス感覚の優れた政治家であり、日宋貿易を見据えて大輪田泊(おおわだのとまり)を築港し、「人柱」を唱える貴族たちをなだめて、一切経(いっさいきょう)を書いた石を埋めたりしている。『十訓抄』にも、部下思いの優しい立派な人で、そうした清盛の情けに多くの人が心を寄せたとある。 清盛が主従関係を基礎とする武家政権を掌握できたのは、こうした 情の人であったからなのだろうが、皮肉なことに、この“情”が災いし、逆に平家一門を滅亡に導いたともいえる。 老齢の源頼政を従三位にするために奔走し、清盛の義母・池禅尼が源頼朝の命乞いをすると、その願いを入れて島流しとしたのも、清盛である。このお人好しとさえいえる清盛の“情”の結果、頼政は平家追討の令旨を手に入れ、それを機に頼朝は伊豆で挙兵したのだ。 |
盛者の必衰を見届けた京の都 |
清盛の死の二年後、木曽義仲軍が都に迫ると、平家一門は自ら六波羅に火を放ち、西国へと逃れていく。 「娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」 平家一門の台頭から栄華を極めた日々、そして都落ち。言葉通りの盛者必衰を見届け、「偏に風の前の塵に同じ」と言い切った京の都とそこに生きた人々の思いが、『平家物語』全編を貫く「無常観」なのかもしれない。 『平家物語』ゆかりの地は、六波羅蜜寺の他にも、近辺に数多く残されている。 源平双方を操った「日本国第一の大天狗」こと後白河法皇ゆかりの法住寺、新日吉神社、今熊野神社。清盛の娘の建礼門院が皇子誕生を祈願した三島神社や、高倉天皇と愛人・小督(おごう)の墓がある清閑寺。平重盛邸の跡地とされる正林寺。北に足を延ばせば、平家打倒の陰謀を企てた鹿ヶ谷の俊寛の山荘跡地――。 九百年の昔、これらの地では様々な思惑が入り乱れ、数多くのドラマを生み出し、物語として後世に語りつがれてきた。そして今も、東山の麓でひっそりと現代の盛者必衰を見つめ続けている。 |
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旅の道連れ |
平家物語ゆかりの地を旅するというテーマでは、数多くの本が出版されています。エッセイ、ムック、旅行用のガイドブックと、それぞれ写真も美しく図説も豊富。現地への取材の時には大変参考となりました。 その中でも特に役立ったのが、京都書房の『新国語総覧』。なんと、これは国語の授業で使った、高校の副読本なのです。 高校時代の私は、進学は国文科と決めていましたが、学校の授業の国語は苦手で、現国も古典も漢文も授業に身が入りませんでした。特に古典の文法は大嫌いで、その時間は副読本を広げては、平安時代の装束の“襲(かさね)の色目”などというページをぼんやり見ていたものです。 カラーページも豊富で、古典の項では作品毎に地図や年表が載っていて、今回の取材旅行でも大活躍。ビニールコーティングの表紙のために痛みも少なく、背だけは色落ちして糊も剥がれたので補強をしましたが、中面は紙も印刷も美しいままです。 遙か昔の高校時代から今日まで、健気に勤めを果たしてくれる『新国語総覧』。定価290円は当時でも安価だったと思いますが、私の蔵書の中では一番の働き者。これからも長いお付き合いをお願いしたいものです。 ●参考文献 文中の『平家物語』からの引用文は、講談社学術文庫・覚一本『平家物語』による 『古寺巡礼 京都 六波羅蜜寺』淡交社 『西国巡礼』白洲正子/風媒社 『新国語総覧』江馬務・谷山茂/京都書房 |
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