◎PT(理学療法士)としてpt(患者)として

〔現在の最新号はNo.57です〕

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1)はじめに

 

はじめまして、大阪支部HPをご覧いただきありがとうございます。このHPの管理者を知っている方は知っているのでしょうが、HP上では登場していません。HP作成にあたり私を含めて友の会の仲間の氏名や写真を登場させないこととしました。HPのような公開されたなかで、大切な仲間のプライバシーを尊重したかったからです。大阪支部HPではたんたんと支部活動内容の広報に努めています。よって仲間の思いも、仲間の意見も出てきません。このことを頼りなく感じられた方も多かったのではないでしょうか。しかしこれからも私はこの精神を大切にしたいと思っています。ただ今回だけは後述の理由で自分の思いや意見を登場させようと思っています。今回だけは特別です。
(ただしこの記述はノンフィクションですが登場する名称は仮名です。)

関西ブロックでは1979年より“患者が教壇に立つ活動”を行っています。当時、阪大医療技術短期大学の高木先生が“ものを云う症例”として膠原病患者を看護科の授業に起用されたのが始まりであると聞いています(詳しくは「世紀をこえて」参照)。先日、関西ブロックの宿泊交流会が催されました。そこで「患者として・看護師として〜“患者が教壇に立つ活動”からの提言」という題で看護師のKさんが発表されました。その講演の最後に「それでも人生にイエスという」(ヴィクトール・E・フランクル著)から次のように引用されました。“もし私(唯一患者である看護師)がそれをしなければ誰がするだろうか。しかし、もし私が自分のためにだけするなら私は何であろうか(何かにつくさなければ価値がないし無意味である)。そしてもし、私が今しなければいつするであろうか(その時々の状況は一度きりである)。”この言葉を聞いて唯一患者である理学療法士の私はいったい何をしているのだろうと恥ずかしく感じました。

この記述は“患者が教壇に立つ活動”ではありません。今は亡き高木先生にお会いできなかった私は、先生の真意を理解できていないかもしれません。しかし“自分を振り返り、自分を語る”という活動を今日から始めたいと思います。今日は無念にも亡くなった友人の七回忌にあたります(これについても22でふれる予定です)。生きている自分が今できる方法で約一年間かけて大切に綴っていきたいと思います。一年後自分がどのように成長しているか楽しみです。

(第1話:2003年11月17日公開)