◎PT(理学療法士)としてpt(患者)として

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18)「河を渡る背中」

 

兄さんの症状は落ち着かず、妄想や幻聴も出てきました。ただし、兄さんの妄想は二次妄想といって人に話しても理解可能で、現実と妄想の区別はできるのですが、薬の影響もあり更にぼーっとした感じになりました。ちなみに統合失調症・精神分裂病に特有の妄想は一次妄想とよび、人に話しても理解不能で自分自身も現実と妄想の区別がつかないため、訂正不能なものを言うそうです。実家の状況やクマさんの身体のこと、自分の仕事の状態、そしてこの年に起こった阪神淡路大震災で見られた家族の絆の数々。大阪に帰ることは家族を思うことなのか、自分の今の状態から逃げることなのか。もし大阪に帰るとしたら、どういう方法があるのか。迷い迷いの日々が続きました。

その頃、篠原美也子さんという方の「河を渡る背中」という曲に出会いました。その中で"生きていくそれだけなら、どこにいても何をしてでも"という歌詞がありました。今なら生きていくことだけで、十分たいへんで十分価値があるということはわかるのですが、その曲を聞いた時の私には、同じ生きるのなら自分の居たいところで自分の行いたいことをしたい、というメッセージが強く心にひびきました。ただしこの曲には"流れていくのか、流されていくのか。いずれにしてももう選べない。"という歌詞もあり、一度夢を追ったなら、もう戻れないよ、それでもいいの、というメッセージもありました。研究所の仕事自体が嫌いな訳じゃない。本当に行いたい夢がある訳でもない。東洋紡にいれば、ある程度河の流れに乗って二人の生活を続けて行くことができる。わざわざ流れに逆らって渡りきれるかどうかわからない河を渡ろうとする必要があるのか。でもその反面、クマさんがかつて東洋紡を退職した後、簿記一級の資格をとって働きたい場所で働きたい時期に勤めていたように、何か自分のしたい資格をとれば道は開けるかもしれない、ということも考え始めました。

 

 

一概に資格といっても、資格を取るには時間も費用もかかります。資格の本を買ってきて様々な資格を検討してみました。その中でこの仕事なら今の仕事を辞めてもいいと思ったのが理学療法士でした。もしこの資格が無かったなら現在も東洋紡に在籍したかもしれません。ただし理学療法士になるには3年間専門学校に行った後、国家試験に通る必要があります。専門学校としては国立の養成所があり、月額6千円で行けると知りましたが、入学倍率は20倍。民間の専門学校は入学しやすいかもしれませんが、卒業まで数百万円かかる場合もあります。私たちには費用の関係から国立しか道は無いとわかりました。しかしそれでもクマさんが働く必要がでてきます。私たちは受験までに二人で本当に河に飛び込んでいいのかどうか検討し続けました。働きたいところで資格をもって仕事をするということはこれまでのレールから全く外れることです。今までお世話になった方々を裏切ることにもなります。レールから外れれば、方向を決める場合に絶えず自分たちで決断しなければなりません。本当に私たちが決断し続けることができるのか。結局受験まで答えはでませんでした。仕方なく働きながら受験して合格したときに進路を再度熟考してみることとしました。

それから数カ月後、筆記試験と面接試験を受け国立療養所近畿中央病院附属リハビリテーション学院という長ったらしい名前の専門学校に合格してしまいました。

(第18話:2004年2月15日公開)