兄さんの症状は落ち着かず、妄想や幻聴も出てきました。ただし、兄さんの妄想は二次妄想といって人に話しても理解可能で、現実と妄想の区別はできるのですが、薬の影響もあり更にぼーっとした感じになりました。ちなみに統合失調症・精神分裂病に特有の妄想は一次妄想とよび、人に話しても理解不能で自分自身も現実と妄想の区別がつかないため、訂正不能なものを言うそうです。実家の状況やクマさんの身体のこと、自分の仕事の状態、そしてこの年に起こった阪神淡路大震災で見られた家族の絆の数々。大阪に帰ることは家族を思うことなのか、自分の今の状態から逃げることなのか。もし大阪に帰るとしたら、どういう方法があるのか。迷い迷いの日々が続きました。 その頃、篠原美也子さんという方の「河を渡る背中」という曲に出会いました。その中で"生きていくそれだけなら、どこにいても何をしてでも"という歌詞がありました。今なら生きていくことだけで、十分たいへんで十分価値があるということはわかるのですが、その曲を聞いた時の私には、同じ生きるのなら自分の居たいところで自分の行いたいことをしたい、というメッセージが強く心にひびきました。ただしこの曲には"流れていくのか、流されていくのか。いずれにしてももう選べない。"という歌詞もあり、一度夢を追ったなら、もう戻れないよ、それでもいいの、というメッセージもありました。研究所の仕事自体が嫌いな訳じゃない。本当に行いたい夢がある訳でもない。東洋紡にいれば、ある程度河の流れに乗って二人の生活を続けて行くことができる。わざわざ流れに逆らって渡りきれるかどうかわからない河を渡ろうとする必要があるのか。でもその反面、クマさんがかつて東洋紡を退職した後、簿記一級の資格をとって働きたい場所で働きたい時期に勤めていたように、何か自分のしたい資格をとれば道は開けるかもしれない、ということも考え始めました。 |