◎PT(理学療法士)としてpt(患者)として

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22)ルクソール

 

1997年、私がリハビリテーション学院の2年生の時、今でも話題となっている国内外で大きな事件がありました。ひとつは神戸で起きた連続児童殺傷事件のいわゆる"酒鬼薔薇事件"、もうひとつはダイアナ元英皇太子妃の自動車事故死です。しかし、これらの事件の影で忘れ去られているのではないかと思う大事件がこの年の11月17日にありました。

題のルクソールをみて事件を思い出された方があれば、私は本当に感謝します。私自身もそれまでルクソールという地名を知りませんでした。この地名を初めて聞く方も多いのではないかと思います。私が初めてルクソールを知ったのは、その事件の翌日の11月18日で、たまたま授業が遅く始まる火曜日だったため、何げなくテレビでワイドショーを見ていました。テレビの中で友達によく似た顔が映っていたので何かなあと聞いていると、日本人がテロに遭い亡くなったというのです。びっくりして新聞で確かめてみるとやはり友人でした。しかも結婚したばっかりの…

少し当時の様子を記事から引用してみます。"11月17日、エジプト南部・ルクソールでイスラム過激派「イスラム集団」の武装グループが観光客を銃撃するテロが起こり、新婚旅行中の夫婦など、日本人10人を含む62人が殺害された。犯人はバスを乗っ取って逃走中、警官隊と銃撃戦となり、全員射殺された。バスの乗客数人も巻き添えになって死亡した。"この記事の新婚旅行中の夫婦に東洋紡績総合研究所の同期が含まれていました。彼は同志社大学工学部の大学院を卒業して入社、入社当時から同じ寮に住み、文字どおり同じ釜のご飯を食べた仲でした。しかも彼は同志社時代にコーラスをしており私と同じベース担当で、お互い歌が好きだったためよく仲間とともにカラオケに行っていました。私は浄水用などのフィルターの開発に携わっていたのですが、彼は会社の中心商品である繊維を研究していたため、研究所だけでなく各地の主力工場でも勤務しており、事件当時は東洋紡績で最も大きい福井県の敦賀工場で働いていました。既に東洋紡を離れていた私は状況がよくつかめないため、研究所の同期仲間に連絡をとり敦賀工場で行われた社葬にも参加させていただきました。

 
(私たちが住んでいた龍湖寮)

(遺族らが現場を訪れ献花)
 


後日、ニュースで遺族と外務省担当者とのやりとりを報道していました。
遺族「苦しまなかったでしょうか」、
担当者「大丈夫です。即死でしたから」
遺族「そう、それは良かった」
この会話が私の胸に今でも残っています。数日前に結婚式を行い未来へ歩み始めた二人の死に対して、その家族が「それは良かった」と答えなければならないという悲しみはどれほど深いものかと。今でも私はテレビで銃声が聞こえると、この事件を思い出し震えるときがあります。最近テレビや映画であまりにも銃声が多いことに危惧しています。これは軽いPTSD(心的外傷後ストレス障害)かもしれませんが、この事件はそれほど大きな衝撃がありました。私でもこのように反応するのですから、現在でも遺族の悲しみは計り知れないと思います。

第1話で書いたようにこの連載は昨年の11月17日、彼の七回忌の日に始めました。月日がたち最近またテロ報道が多いなかで、テロが憎いという感情はあまりわいて来ません。どうしようもないという自分の無力さや彼の無念な気持ちが増すばかりです。彼ら夫婦は抱き合って亡くなったそうです。お互い生きたかったし、お互い守りあいたかったのだと思います。それは彼らが命を懸けて私たちに残してくれた最期のメッセージだと思っています。私自身は病気になってしまったけれども、まさに今生きています。生きている自分が何もしなければ天国の彼から"勝手に会社辞めて、おまえは何をやってるんや"と怒られそうです。病気になったから経験できたことや出会えた人たちもたくさんあります。この連載を始めてつらいことを思い出すことはやはり苦痛なことですが"自分を振り返り、自分を語る"勇気を彼は与え続けてくれています。

(第22話:2004年3月14日公開)