私は1965年(昭和40年)5月29日に大阪府住吉区の大阪府立病院にて生を受けました。父は電化製品の小売・修理および電気工事を行い、折しも東京オリンピックの直後にあたり、テレビなどは特によく売れた時代でした。また母は結婚を機に看護師をやめ、電器屋さんを手伝うことになりました。現在でも母は元看護師らしく強い意志と正義漢いっぱいの人で、もし母がこの性格でなければ、おそらく私は生まれてこられなかったと思います。 私は体重1700グラムの未熟児、妊娠7カ月目で帝王切開により生まれてきました。これより3年前兄貴を出産した際に医師から「もう子供はできませんよ。もしできても出産はしない方が良いです。」と言われたそうです。そのため医師から妊娠は"奇跡的"と言われましたし、妊娠7カ月目での出産は医師と両親のギリギリの選択だったに違いありません。なぜこのようになったのかは兄貴の出産に大きく関連していますが、この話はまた次回にさせていただきます。 |