ミレニアム(2000年)も後半になり、診療所の仲間の支えもあって私自身の病状はかなり落ち着いてきました。プレドニンは一日4錠(20mg)になり、朝の手指のこわばりや朝食の喉のつかえ、レイノー現象は残るものの、昼間にはほとんど症状は無く、発熱も穏やかになってきました。自分の病態も少しずつ把握でき、不安感も少なくなり、就寝時に胸が痛くなる心臓神経症も軽減してきました。もし強い胸痛発作が出たとしても、このまま死んでしまうようなことは無いし、数分間だけ我慢すればいいだけのことと、開き直って客観的にみることができるようになってきました。 ところが私の家族の状況は芳しくありませんでした。兄さんは通勤途中で倒れることも頻繁になり、家の中でもほとんど動けない状態となることもあり、残念ながら退職することになってしまいました。兄さんの状態をみていれば、明らかに働ける状況では無いのですが、家族の思いとしては"京都大学まで卒業して何で働けないんだろう"って、学歴と病気という関わりの無いことを結び付けて悩んでしまう日々が続いていました。もちろん兄さん自身の歯痒さも計り知れないもので、友達も高学歴の人ばっかりなので、自分と友達との差がどんどん離れていき、誰にも相談できず絶望の中で過ごしていたのだと思います。 そして更に悪いことに父が倒れてしまったのです。私に連絡が入ったのはちょうど訪問リハビリ中で、実家の隣の方から父が救急車で運ばれたという知らせをいただきました。その日は夕方からの勤務もあったので、クマさんに病院に様子を見に行ってもらうように頼みました。原因は心筋梗塞、一時的に心停止状態になったそうですが生命には別状が無いとのことでした。心筋梗塞というのは心臓を養っている血管が詰まる病気で、年齢とともに徐々に血管の動脈硬化が進んできたことが主な原因です。しかし、これまでの兄さんの経過が無関係であったとは言い切れません。もうこれ以上、両親に兄さんのことでストレスを掛け続けるわけにもいかず、父の入院中に私の家の近所に兄さんには引っ越ししてもらうことにしました。 兄さんの引っ越しという選択が正しかったのかどうかはわかりません。お互いが分かりあえる機会を少なくしてしまったことになるのか、状況を冷静に受け止めるための時間が設けられたことになるのか。ただ現実的には兄さんの生活費や通院のこと、体調が悪くなったときの対応など、私にもクマさんにも多大な負担がかかることになってしまいました。この状態を現在も保ち続けられているのは、クマさんの誠意や我慢に因るところが大きいのも事実です。 父の病気も兄さんの病気もクマさんの病気も私の病気も、みんな病気になりたい訳では無かったのですし、働けない病気になってしまった兄さんだけが悪者にされるのはおかしいのです。そして私も来年働けているかどうかという保証も無いのです。ただ単純に家族の中の働けるものが働いて、みんなで協力しあって生活しているだけ、昔は大家族で家族の中に何人か病気の人もいて、それでも当たり前のように支えあって生活してきたはずなのです。しかし頭の中では分かっていても、気持ちがついていかない場合もあります。"兄さんは学生時代にあんなに頑張っていたのに、今はなぜ頑張れないんだろう"。その答えは病気だからだということは明らかです。自分も病気になってみて"頑張りたくても、頑張れないときだってあるし、頑張ってはいけないときもある"ということを学んだはずなんです。自分の病気についても、患者さんの病気についても、ある程度客観的に理解できるようになったと思ってきたのに、どうしても家族の病気だけは受け入れることができませんでした。父の病状や兄さんの病状、そして私自身の未熟さを考慮すると、残念ながらまだ家族全体が分かり合えるには時期尚早だと感じました。"まずは家族が療養すること"。自分の無力さを感じながら、できるだけ無難に静かに時間が流れてくれるのを祈っていた時期でもありました。 |