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47)永遠性

 

最近、世の中は純愛ブームだと言われています。特に韓国ドラマの人気は大変なものです。日本でも「世界の中心で、愛をさけぶ」が映画化やドラマ化され、「いま、会いにゆきます」が今秋ロードショーの予定だそうです。これまで私はドラマ類を全くといっていいほど見なかったのですが、私もブームの影響で少し見るようになりました。私自身は来年で40歳になり、純愛路線と言われてもピンと来なくなってしまっていますが、賛否両論のある中でも大切なものも含まれていると思っています。

「世界の中心で、愛をさけぶ」はご存じの方も多いと思うのですが、アキちゃんが白血病になってしまう「赤い疑惑」のような物語です(「赤い疑惑」は百恵ちゃんのドラマです。かなり古いですが…)。ドラマでは白血病であると知ったアキちゃんは病気を受け入れる過程で自殺しようとします。助けようとしたサクちゃんに対してアキちゃんは「今死んだって同じじゃない。どうせ死ぬのなら、なんで辛い治療を受けなければいけないの」その後に「周りの人をうらやましく思いながら、みじめに可愛そうねって言われながら暮らすんだよ。一生だよ。」更に「サクちゃんだって。私が死ぬと思っているくせに」と続きます。アキちゃんはこの"一生だよ"という言葉をどういう思いで言っているんでしょうか。当時、白血病と言えば"死の病"と考えられていたと思います。一連の台詞をみてみると、死ぬことを前提とした台詞の間に、なぜ生きることを前提とした「一生だよ」という言葉が入っているのでしょうか。

私が膠原病になって間もなく、膠原病の講演の中で膠原病とガンを比べて議論されているのを聞きました。私はそれを聞いてびっくりしてしまいました。自分の病気がガンという致命的に成りかねない病気と比較されていたからです。私が膠原病になる前であれば、絶対にガンの方が嫌だと答えていたと思うのですが、今は"わからない"としか答えようがありません。ガンという病気のイメージは"人生が終わるかも知れないけれども、治療をすれば治るかもしれない病気"です。一方、膠原病は一般の方にはイメージも無いでしょうが"生き延びることはできるかもしれないけれども、一生付き合っていく病気"です。病気自体を比べることは明らかに間違いだと思うのですが、膠原病患者の私にとってはガンという病気を、自分の人生が終わってしまうかもというのは本当に嫌だけれども、もしかして治るかもしれないというのは本当に憧れてしまうのです。その講演の結論は膠原病の方が重度になりにくく、死亡率も低くなってきているので良いというものでした。この講演は膠原病患者を対象としているものでしたので、膠原病患者を少しでも安心させようという意図があったのだと思うのですが、やっぱり納得いきません。以前にも書いた通り、膠原病にも軽度・重度はあると思いますが、それが治ることなくずっと一生続いていくということの重さ、つまり"永遠性"を、特に医療職の人にはわかってもらいたいのです。

アキちゃんは自分の死に対して勿論怖がっているのでしょうが、負けず嫌いのアキちゃんは闘病生活が続いてしまうことも同様に恐れています。だから前述のような台詞になったのだと思います。病気の辛さは治療自体の辛さであり、治療のための副作用の辛さであり、自分の人生の限界が見えてくる辛さであり、周りの人たちから取り残されていく辛さであり、周りの人たちに迷惑をかけ続けなければならないという辛さでもあります。単純には比較できない様々な病気の辛さを「世界の中心で、愛をさけぶ」を通して、視聴者の皆さんに少しでもわかってもらえればいいなあと考えています。

PS.「いま、会いにゆきます」にも大切なものが含まれています。それは今回の連載の主題でもある"大丈夫"という言葉です。これについては連載の終盤で取り上げたいと思っています。

 

 (第47話:2004年9月5日公開)