結婚前、電器店に勤めていた父と診療所に勤めていた母は大阪市の西成区に住んでいました。二人が出会ったのはその診療所に父が患者で来たためだとか、元々友達だったとか聞いていますが、おそらく2つとも正しいのだと思います。折しも二人が結婚したのは皇太子様(現天皇陛下)がご成婚された結婚ブームのころでした。その後、妊娠した母は自分の勤めていた診療所での出産を希望していました。母はその診療所を愛していましたし、そこでの出産は当然の成り行きだったのかもしれません。ただし結婚を機に看護師を辞めることを快く思っていなかった院長と父の関係は、あまりしっくりとは行っていなかったようです。このことが後に父の心の中に大きなわだかまりとなって残っていくことになります。 兄貴の出産はかなりの難産となりました。すぐに出産はこの診療所では無理という状況になり、西成区から東淀川区の病院まで父が車で運ぶことになりました。このときのことを父は「一回も道を間違わなかった。もし道を間違えて手間取っていたら二人とも助からなかった。」と言っていました。原因は重度の妊娠中毒症である子癇(しかん)が起こったためでした。子癇(しかん)が起こると突然意識を失い、全身が激しくケイレンし、顔面蒼白からチアノーゼを起こし、昏睡状態になるそうです。東淀川区の病院では母の体内の血液を入れ替えるくらいの輸血を行う大手術だったとのことです。母子の命はこの手術によって取り留めましたが、第4話で記したように、この後遺症のため母は医師から「もう子供はできませんよ。もしできても出産はしない方が良いです。」と言われたそうです。そして兄貴は右目が失明状態、右半身軽度麻痺状態で生まれてきました。その後、歩き方や鉛筆の持ち方など祖母による特訓が始まりました。結局正しい鉛筆の持ち方はできませんでしたが、5本の指で握り締めて書くことができるようになりました。今ではこの持ち方で私よりはるかに綺麗な字を書くことができます。ここでも、私達兄弟が祖母たちにどれだけ世話になったかがわかります。 私は兄さんのことを"にいさん"ではなくて、親しみをこめて"あにさん"と呼んでいます。兄さんは勿論私が生まれたときにはいましたし、兄さんの身体の状態も当たりまえだと思っていたため、兄さんのことを障害者と思ったことはありませんでした。しかし両親の思いはやはり複雑で、さらに兄さんの思いは複雑だったに違いありません。そのことを小さい私は全くわからずにいました。電器屋さんの父と元看護師の母そして兄さん、今にして思えばこの家族の中に生まれてきたことが私の今後の方向を決めていくことになります。 (第5話:2003年12月7日公開) |