塩昆布 今昔物語(1)
コンブロードでコンブの流通の歴史を眺めてきましたが、今回はコンブの料理法である塩昆布の歴史を眺めて見ましょう。
◎奈良時代〜平安時代
海洋民族である日本人は、古代から魚介類や海藻類などの海の幸を利用してきました。
とりわけ、仏教の伝来で殺生禁断の思想の広まりと共に、山菜や穀類と共に、海藻類が多く用いられるようになり、精進料理が普及するようになったと思われます。
奈良時代には諸国の物産が朝貢(ちょうこう)され、盛んな物資交流がみられるようになり、都には海藻(にぎめ)や心太(ところてん)を商う店もあったといわれます。
平安期に入ると産物の交流はいっそう活発となり、諸国からの朝貢品を定めた延喜式には宮廷の儀式や百官の儀礼、国々の作法などが記録され、いくつかの海藻を材料とした料理法の記載もありました。
そして海菜という海藻の佃煮とも言える次のような調理法がありました。
<海菜>
| 使用する海藻 | コンブ、ニギメ、ムラサキノリ、トサカノリ、ミル |
| 材料 | 米一合、糖(あめ)7勺、 豆支(←ひと文字の漢字です)(ジ)7勺、 あら醤(ひしお)3合5勺、 醤(ひしお)1勺、 酢1勺、 塩1勺、 干しナス、 タデ、 ナギ(菜葱)、 エ(荏)、 ハジカミ(椒) |
(※)「豆支」は”偏が豆、つくりが支”という一文字の漢字です。
これらの材料は、醤は米こうじに香料を加え野菜を刻み入れてつけ込んだなめ味噌の一種、豆支は味噌、糖(あめ)はその頃唐から伝えられた貴重な甘味料です。
このほかナギ(水葱)やエ(えごま)、ハジカミ(山椒)など様々な香辛料を加えて製造するなど、当時としては大変贅沢な食品で、宮廷儀式に参内する高官官位の祝膳をにぎわした物と思われます。
これが最も古い塩昆布の文献といえるもので、用いられる材料に多少の差異がみられますが、現在の塩昆布の製法に通ずるものであるだけに、先人の知恵には驚嘆させられます。
◎室町時代〜戦国時代
このように、塩昆布の加工技法はその後も受け継がれ、その後鎌倉、室町期へ移ると共に、仏教の興隆が見られ、仏門を中心に茶道が流行するようになり、喫茶に欠かせない点心、茶の子などの普及が見られ、茶菓子として、「むすび昆布」などの菓子昆布の加工法が発達し、昆布海藻類が珍重されるようになりました。
また、戦乱の世を迎えて貯蔵携帯に便利な昆布海藻は、武家の間では出陣、凱旋などの祝儀事のほか、軍兵糧としても重宝がられるようになり、さらに野戦時の料理方法も研究されるようになります。
長期の籠城戦に備えて城内には常に米麦、大豆、味噌、焼き塩、乾魚などとともに昆布、アラメ、ヒジキなどの海藻類が備蓄されていました。
当時の軍書「武則要秘録」にも、出陣に際しては昆布を細かく刻み、醤油で煮しめて持参せよ、という教えが記されているほどです。
昆布の佃煮屋さんによっては塩昆布の進物品の入れ物に竹筒を用いたものがありますが、このように往時の武門の名残を偲ばせるものが今日にあります。