塩昆布 今昔物語(3)

苦しい戦争時代を抜け、塩昆布の業界は立ち直っていきます。

戦後、時代は豊かになり昆布業界は隆盛を極めます。今の塩昆布の「乾燥塩昆布」の生産方法が確立されていきます。

 

戦後〜いまへ

 戦後、大阪地区の有名老舗が多年の経験と技能を生かして改良を加え、良質の原藻に独自の工夫による乾燥度合いとし、さらにリンゴ酸ソーダ、グルタミン酸ソーダ、食塩などの混合粉末をまぶすなど、歯ざわり、風味、日持ちなどを配慮し、近代の嗜好にマッチした高級商品の開発に成功しました。

乾燥塩昆布の確立
 昭和36年、
山本利助(※)が乾燥塩昆布の製法特許(製法特許第278753号)を取得し、業界の発展と乾燥塩昆布の品質の保持と向上のため、39年、山本利助、広川雅市ら諸氏によって特許管理組合として日本乾燥塩昆布商工業協同組合が設立されました。

高級塩昆布は道南産白口元揃など厳選された原料を使用し、裾絶ち、ミミ断ちなど肉薄部分を除去して肉厚部のみを角切り機械で切断、さらに細めのふるい(篩)機械、砂落とし機械、風力選別機などを経て、肉厚の形の整ったものだけが選ばれ、炊き釜に送られます。昆布は炊きこむとタテ、ヨコの伸び具合が違うので、仕上り3cmにするためにタテ2.8cm、ヨコ3.2cmとややタテ長のものに切断します。

 炊き込みにはステンレス性の平釜や圧力釜などが使われ、醤油、タマリ、砂糖、みりんなどを加えた調味液の中で、火加減に合わせて長時間ゆっくりと炊き上げます。

さらに汁切りしたものを乾燥機で乾燥、うまみ調味料などを混合した粉末調味料をまぶして、型崩れを選別して仕上げます。
乾燥塩昆布の開発によって家内工業的存在にすぎなかった昆布加工業にも、量産体制が導入されるようになりました。

 昭和30年代後半、高級塩昆布の製造技術が次第に大衆化され、メーカーの技術開発によって急速な発展を見るようになります。
多年の経験を背景として、高速原藻裁断機、ふるい(篩)式選別機、ベルトコンベヤーを併用したトンネル式大型乾燥機、加圧式炊き釜などを導入した専用加工場が次々と建設されました。

使用原藻も道南真昆布、利尻昆布のほか日高昆布なども利用されるようになりましたが、戦前から大陸向けに輸出されてきた釧路産昆布は輸出減少から大幅に無砂改良され、国内向けに消流されるようになり、塩昆布の原料として大量に使用されるようになりました。

この頃になると、流通市場では量販店が台頭し、新素材の開発による包装革命など変貌をとげていく過程で、量産化商品として塩昆布も業界の発展に多大の貢献をしました。


 このように日本乾燥塩昆布商工業協同組合は乾燥塩昆布の品質向上に寄与していきました。
当時、経済の高度成長期を迎え、大手食品メーカーの昆布界への進出が憂慮されていた折だけに、特許管理組合の設立は専業者の経営保護に役立ちました。

 

(※)この時の山本利助は3代目と思います。
ちなみに今の小倉屋山本の社長はまだ襲名していません。

 

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