昆布漁のいま・むかし(2)
さて、現在での昆布漁の様子を見てきましたが、昔はどうだったのでしょうか。
昆布漁の様子を知ることの出来る資料の一つに、平沢屏山(ひらさわへいざん)の描いた絵があります。
平山屏山はアイヌ絵の第一人者であり、彼の絵はアイヌ絵として傑作であり、そしてアイヌの風俗についての第一級の資料でもあります。
屏山の傑作の一つに、アイヌの十二ヶ月の生活を描いた『アイヌ風俗12カ月屏風』という六曲二双の屏風があります。
| 一月はアイヌが和人が建てた神社に参詣するところ | 五月は〆粕(肥料用の魚のカス)干し | 九月は鮭突き |
| 二月は鹿猟 | 六月は昆布採り | 十月は山猟 |
| 三月は布海苔(フノリ)採り | 七月はウライ(簗(やな)のアイヌ後)による鱒漁 | 十一月は神祭り |
| 四月はアツシ(アイヌの織物)紡ぎ | 八月は鱒運び | 十二月は熊祭り |
となっています。
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★アイヌ絵は江戸中期から明治にかけて多く描かれました。 今日ではこのアイヌ絵がアイヌの風俗を知る資料として貴重なものとなっています。 しかしアイヌが自ら描いたものではなく、アイヌに接した日本人などによるもので、偏見や想像が多分に含まれているものが多くあります。 平沢屏山の絵は、自分でアイヌ部落をまわりよくその生活を見ているので割合正確な描写であるといわれおり、貴重な資料であります。 |
| 1月 年礼之図 | 屏山と12ヶ月屏風についての詳しい説明は、函館博物館のHP (http://dounan.hak.hokkyodai.ac.jp/museum/hakodate/honkan/ainue.htm)をご覧になってください。 |
さて、六月の昆布採りの図を見てみましょう。

ふんどし姿のアイヌ人が棒の先に鉤(かぎ)をつけた、現在のマッカによく似たもので昆布をねじりとっています。
鉤は鹿の角ではないでしょうか。船は板をつなぎとめた小船です。
二つの車櫂(くるまがい)がついており二人で漕ぎ、二人で昆布を採ると思われます。
手前から二番目の船の様子からも、一番手前の船の後部にももう一人が乗っていると思われます。
画像が見にくいですが、海岸の砂浜には昆布がたくさん並べられて干されています。
海岸にある建物はおそらく昆布漁の時の一時の番屋でしょう。
砂浜で昆布を干している人もアイヌ人でしょう。昆布を陸揚げしようとする船が数隻見えます。
少し沖合いには積荷を満載した和舟が見えます。
積荷は昆布かニシンか、本州から運んできた米や塩ではないでしょうか。
さて、採っている昆布と干してある昆布を見ると、やや幅があってかなり長いことから日高昆布か三石昆布と思われます。
そもそも、アイヌ人は昆布を食べず専ら和人との交易に使われていたそうです。
絵をよく見てもっと詳しく考察すると、沖にある和舟は、北前船としては小さく、これが日本海を通って敦賀、はては大阪まで行くにしては無理そうです。
昆布漁はアイヌ人が和人に使役されておこなっていたこともあるそうですから、和舟は金に操られて動いているものかもしれません。
そう考えてみると、手前のアイヌ人の表情は何か悲哀が感じられますが、それは考え過ぎでしょうか。
それにしても、アイヌの時代から昆布漁はほとんど変わっていないことが分かります。道具と船が立派になったぐらいでしょうか。