
生死の境を目の当たりにして
滞在中、山嵜さんにとって一生忘れられない出来事があった。それは、ピナツボ火山噴火後に起きた台風の影響で土石流が泥流となって麓まで押し寄せ、大惨事を引き起こしたのだった。
山嵜さんや生徒たちも大きな被害を受け、急遽、山嵜さんも滞在を9ヶ月延長した。幸い、山嵜さん自身は無事だったが、生徒のなかには、泥流にのまれ、いまだに行方が分からない者もいるという。
そんななか、生き残った生徒たちと再会できたときの悦び…しかも、彼らは山嵜さんの安否を心配して、真っ先に訓練センターに駆けつけてくれたのだった。「生きててくれてありがとう、ありがとう」力一杯彼らを抱きしめた。
帰国後、しばらく生徒たちやフィリピンのことが忘れられなかったが、陶芸のニーズもないフィリピンで生計を立てることは難しい。悩んだ末、一旦親戚のいるカナダで陶芸を続けることにした矢先、あろうことか腱鞘炎を発症。症状は深刻で、行く先々の医者に「もう陶芸の道を諦めてください」と宣告されたのだった。
絶望のなか、藁にもすがる思いで山嵜さんはJOCVの職業カウンセラーの門を叩いた。これが山嵜さんの奇跡の始まりである。「マニラの日系企業でタガログ語の通訳・翻訳者を捜しているが興味はあるか」フィリピンに帰りたくて仕方がなかった山嵜さんにとって願ってもないチャンス。また、いい整体の医者にも恵まれた。マニラで慣れてないOL生活を経た後、奇跡的な回復を遂げ、1度は諦めた陶芸の道をまた志すことができるようになった。
帰国後、山嵜さんの作風は微妙に変化したという。「和」の中に少しだけフィリピンさしさを加えるようになったのだとか。「フィリピンは私にとっては特別な国そこで出会ったすべての人や経験が私の宝物なんです」そんなフィリピンへのさまざまな想いが凝縮された倶夢巣多で、現在山嵜さんは陶芸教室を開き生徒を指導するほか、個展も開催するなど精力的に活動している。教室でも個展でも、山嵜さんのエキゾチックな作品に興味を示してくれたすべての人に、フィリピンのことを話しているという。
「作品を通して、1人でも多くの人にフィリピンのことを知ってもらいたい、今はその一心です」。