特別知的エンド「見果てぬ夢」

☆『研究者』への道

加奈のノートの清書も終わり、俺は大学に復学した。
清書した原稿を元に、ある出版社で本として出版してもらったが、
売れ行きは、あまり良い方ではなかった。
『闘病記の自費出版』ということ自体、
現在ではあまり珍しいものではなかったからだ。

実は、今の俺に、そんなことに気を取られている時間はなかった。
転学部試験に合格し、分子生物学を新たな専攻分野にするためだ。

「分子生物学を学びたい」という、加奈の遺志を受け継ぎたい。
……最初の理由は単純だった。
しかし、今では、もっと明確な理由ができている。

ちなみに、夕美とは、あれ以来顔を会わせていない。
……結局、生涯顔を会わせることはなかった。
勇太は、加奈との関わりを通じて、医学部に進学した。(注1)
……これは、あとで本人から聞いたことだったが。

試験勉強には加奈の蔵書も役に立った。
数ヶ月後、筆記試験に合格し、最後の面接試験を受けた。

教授:「……それで、分子生物学を専攻したい理由は?」

俺は、即答した。

隆道:「はい。植物由来の天然有機化合物の、
遺伝子に対する影響を研究したいからです。」

……その十年後、俺は博士号を取得した。
「ウメバチソウ由来の天然有機化合物の研究」
という、前代未聞のテーマだった。
研究する際、他に同じテーマの学生もいなかったので
栽培から抽出まで全て俺一人でやらなければならず、
学位取得まで、人より多くの時間がかかってしまったが……。

☆『研究者』として……

その後俺は大学に残り、「研究者」として生きることになった。
研究者である以上、大学、民間を問わず、研究そのものより
結果を出すことが重要であることに変りはない。

教授:「藤堂君、またウメバチソウ由来の単離物質を
検体として生物活性試験に送ったのかね?
こう言っては何だが、試験は『ただ』ではないのだ……。」
隆道:「……すみません。」

教授の言うように、今まで俺の送った検体は、ことごとく
生物活性を有していなかった。
「研究テーマを変えてもらうよ」そう言われかねない状況にあった。
「万が一のときは……」俺はそんなことを真剣に考えるようになった。

数週間後、俺は教授に呼び出された。

コンコン。

教授:「どうぞ。」
隆道:「失礼します。」
教授:「藤堂君か、これを見たまえ。」

教授は、俺の送った検体の試験結果を記した書類を持っていた。
「……また『小言』か。今度こそ本当に年貢の納め時かな……」
そう思って、その書類を見てみると……。

「……以上の結果より、この検体は抗がん性を有すると思われる。」

教授:「藤堂君、すごいじゃないか!……もちろん、
改めて、この検体については詳しく再研究する必要があるが、
これが本当なら……。すぐ、論文の準備をしなければ。」
隆道:「はあ、ありがとうございます。」
教授:「何だ?あまり嬉しそうではないが……。
この結果に不満でもあるのか?」

教授は、いぶかしげに俺の顔を見た。

隆道:「いえ、そうではありませんが……。
私にとっては一つの通過点にしかすぎませんから。」
教授:「ほう、そうなのか。それは期待しているよ。」

俺の返事に、教授は満足そうにしていた。
教授室から退室後、俺は、無意識に呟いていた。

隆道:「俺の目的は、慢性腎不全の特効薬の発見。
それ以外は、すべて無意味なんだ……。」(注2)

☆山西須美

俺は助教授に昇進した。周りから見れば「やっと」という印象が強い
だろうが、実は俺は「助教授」「教授」というポストに興味は無かった。
俺に興味があることは、ただ一つ……。

「山西須美(やまにし・すみ)」という女子学生と出会ったのは、
ちょうどその頃だった。(注3)
周りが「新たな抗がん性物質発見」で浮かれているというのに、
発見者自身は畑で黙々とウメバチソウの栽培に精を出している、
須美の目には、そんな光景が奇妙に映ったのかもしれない。

須美とは、あることがきっかけで知り合った。
そのとき、須美は俺に「研究を手伝いたい」と言った。

早速、俺は須美にテーマを与えた。

隆道:「山西君、君は植物を栽培したことがあるかね?」

この質問は、須美にとって「も」意外だったらしい。

須美:「え?ええ。鉢植え程度でしたら……。」
隆道:「君に、ウメバチソウの世話をしてもらいたい。」
須美:「え?」

ウメバチソウのハウスは広大だった。恐らく、慣れない者なら
一日のほとんどがウメバチソウの世話に費やされてしまうだろう。
過去にも、「こんな地味な『作業』、やっていられません!」と、
多くの学生が途中で研究テーマを変えている。

須美は、少しうつむいていた。……無理もない。
分子生物学を専攻して、農芸学のようなことをさせられては……。

隆道:「俺が本当にやりたい研究は、ウメバチソウと慢性腎不全の
関係だ。それで、本格的にウメバチソウについての化学研究をする
となると、莫大な量、恐らく百キロ単位のウメバチソウが必要になる。
それに、助教授になると、学生の講義を受け持つようになる。
それで、肝心の化学実験に使える時間が減ってしまうからな……。」

俺は……無意識に呟いていた。
女子学生の同情心を煽っていたのだろうか。
「この学生を手放したくない」とでも思っていたのだろうか。

須美は顔を上げて、微笑んで答えた。

須美:「わかりました、藤堂助教授。その『研究』、
喜んで取り組まさせていただきます。」

その日以来、須美は正式に俺の研究助手になった。
俺の生涯、ただ一人の……。

須美は、本当に真面目に、そして真剣にウメバチソウの世話に
取り掛かってくれた。そのおかげで研究は予想以上にはかどった。

……いつか大型台風が上陸したときなどは、ウメバチソウの
ハウスが心配だと言って、暴風雨の中を駆けつけてくれた。

須美と俺は、横に並んでウメバチソウのハウスを見守っていた。

しばらくすると、暴風雨は収まってきた。ハウスは無事だった。

隆道:「やれやれ……。」
須美:「藤堂助教授……。」

須美は俺の左手を握った。

隆道:「や、山西君……。」
須美:「……『握手』です。」

須美はさらりと言ってのけた。しかし、俺の気持ちは、
今までとは明らかに違うものになっていた。
こんな気持ち、どこかで……?

そして、須美が大学を卒業する日が来た。
「藤堂助教授、ご指導ありがとうございました」と、
ありきたりの言葉を残して卒業していった。

隆道:「……これで、これからは俺一人で……。」

そしてその日、須美は大きめのボストンバッグを持って
突然俺の家にやってきた。

隆道:「山西君か、どうしたんだ?」
須美:「藤堂助教授、私をこの家に住まわせてください。」

俺は自分の耳を疑った。

隆道:「君!本気で……言っているのか?」

この家には、今、俺一人しか住んでいない。俺の両親は、
加奈の医療費を稼ぐための過労がたたってすでに亡くなっていた。

須美:「いつまでも、とは申しません。
私が妹さんの蔵書を読み終えるまで、ここに置いてください。」

俺は……、一つだけ質問した。

隆道:「このことは、君のご両親はご存知なのか?」
須美:「藤堂助教授のご迷惑になるようなことはいたしません。」
隆道:「……そうか。それならいい。」

もう一つ、「いつまでに加奈の蔵書を読み終えるつもりなのか?」
という質問は、……あえてしなかった。

その日の夜……。

父:『そちらのお嬢さんは?』
須美:『私、藤堂助教授の研究助手をしております、
山西須美と申します。』
母:『あなたたちは、ただれた付き合いをしてはだめよ。』
須美:『それは大丈夫です。私たち、
清く正しく交際してますから、ね、藤堂君?』
隆道:「え?」
夕美:『藤堂君……。』

……はっ!

隆道:「夢……だったのか……。」

翌朝、俺は須美の家に電話した。

女性:『はい、山西です。』
隆道:「朝早く申し訳ありません、私は○○大学の助教授を
しております、藤堂と申します。実は、そちらの娘さんの
山西須美さんのことで……。」

電話の女性の口調が変わった。

女性:『まあ、藤堂助教授でございましたか。
申し遅れました。わたくしは須美の母でございます。』
隆道:「そうでしたか、はじめまして。
実は、須美さんが今、ここに……。」
須美の母:『娘はそちらに行っているのですね?
ふつつかな娘ですが、どうかよろしくお願いいたします。』
隆道:「は……はい、こちらこそ。」
須美の母:『それでは。』

ガチャン。

俺は、ドアに『KANA』というプレートの貼ってある部屋の
方向を見て呟いた。

隆道:「山西君、ご両親に何と言って家を出てきたんだ……?」

それ以降、須美と俺は一つ屋根の下で暮らすようになった。
……はたから見れば、世間一般で言う、同棲だった。

しかし、少なくとも俺自身は、須美を一時的に居候させている、
と考えていた。

一方、研究の方は、「助教授推薦の研究生」ということで、
大学に須美の籍を置かせた。実際、須美と俺以外に
ウメバチソウの世話をする者もなく、大学側と須美と俺、
全てが満足する処置だった。

☆『蜜月』

隆道:「ただいま。」
須美:「お帰りなさい。」

……この会話を、もう何百回繰り返しただろうか。
須美と俺の同棲生活は数年続いていた。
基本的に須美は大学ではウメバチソウの世話しか仕事が
ないので、必然的に須美のほうが俺より帰宅が早い。
そして、その空いた時間を利用して、須美は加奈の蔵書を
読んでいる……ということになっている。

須美:「食事もお風呂も、支度ができています。」
隆道:「ああ、ありがとう。」

俺は食事と風呂をいただき、自室に入った。
そして、鍵を掛けて、いつもどおりヘッドホンをかけて、
耳を傷めない程度の大音量にして、音楽を聞いていた。

最初は特に音楽が聞きたかったわけではなかったが、
いつの間にか習慣になっていた。むしろ、そのほうが
俺にとって都合が良かった。

もし、こうしていなければ、
今ごろ一階から発生しているであろうシャワーの音が……。

隆道:「……ちっ!」

俺は頭を振って、「助教授」らしくない妄想を振り払おうとした。

こんな生活がいつまで続くのか。
……いや、いつまで続けられるのだろうか。
俺には自信が無くなってきていた。

コンコン。

突然ノックの音が聞こえてきた。

隆道:「ど、どうぞ。」

反射的に、俺はそう返事してしまった。
この家には今、俺とあと一人いるだけで、しかも、
その一人というのは……。

須美:「失礼します。」

……その一人が部屋に入ってきた。
頬は赤く染まり、髪はかすかに濡れて、そして、
体からは女性独特の匂いを発散させて……。
「湯上がり直後の女性」そのものだった。

俺は……、須美を凝視していた。

「須美は、俺のことを『ウメバチソウにしか興味の無いチキン野郎』
とでも思っているのか?それとも、須美が、『分子生物学と植物に
しか興味の無い不感症女』なのか?
……もしかしたら、その両方……?」

俺は、いつの間にか苦笑していた。

須美:「……あの、どうかなさいました?」
隆道:「あ……、ああ。……何でもない。」

俺は、冷静を……装った。

隆道:「それで、何か用かね?」
須美:「あの、森にウメバチソウの採集に行きませんか?」
隆道:「え?……ハウスに何かあったのか?」
須美:「いえ、ハウスは順調です。あの、そうではなくて……。」

珍しく、須美が口をつぐむ。

隆道:「どうしたんだ?自分の意見なら、はっきり言えばいい。」
須美:「……私も、野生で育っているウメバチソウを、一度見て
おきたいと思いますので……。」
隆道:「……そうだな。それなら、明日行こう。」

俺は即答した。理由は二つある。
一つは、須美の意見ももっともだと思ったからだ。
そして、もう一つは、……早く部屋から出ていって
もらいたかったからだ……。

☆森へ……

俺は、久しぶりにあの森に来ていた。
実は、これ以前にある女性と一緒に来ようと思っていた
のだが、実現しないまま破局を迎えていた。
そして、今、俺と一緒にいるのは……。

須美:「藤堂助教授。」
隆道:「山西君、何かね?」
須美:「ウメバチソウの花輪って、どういうふうに作るんですか?
私、作ってみたんですけど……。」

須美は、できそこないの花輪を持っていた。

隆道:「いや、……こうするんだ。」

本来の目的であるはずの「ウメバチソウの採集」もせず、
俺達は花輪をいくつも作っていた。

須美:「花輪、なかなか似合ってますよ。」
隆道:「五十近くの中年に、何言ってるんだ。」

この時、須美が急に真顔になった。

須美:「ところで、藤堂助教授。……大学内外で流れている
『噂』について、ご存知ですか?」
隆道:「……え?」

俺は、花輪を編む手を止めた。

隆道:「『俺が未だに独身なのは、死んだ妹を好いて
いたからだ』という噂か?それは……。」

「事実だ」そう言おうと思っていた。もう三十年近くも前の
話だし、隠していても仕方がないことだからだ。

しかし、須美の口から出た言葉は……。

須美:「いえ、『藤堂助教授が未だにウメバチソウに
固執するのは、山西須美という女性を情婦としてそばに
置いておきたいからだ』という噂です。」
隆道:「何!?」

初耳だった。恐らく、学生たちが「助教授」の俺から隠れて
流した興味本位の噂だろう。「俺を失脚させるために流した」
などという陳腐な考え方は有り得ない。第一、須美も俺も
独身で、須美の両親も了承している。誰にも後ろ指を指される
ことではない。

須美:「……私たち、もう何年も一緒に暮らしているのに、
指一本触れたことがないんですね。」
隆道:「……え?」

もしかしたら、須美は、噂そのものについて言いたいのではなく、
「自分は情婦にすらなっていない」とでも……?

そのとき、俺は、わずか一年足らずの付き合いで逢瀬を幾度となく
繰り返し、結局別れた女性……「鹿島夕美」を思い出していた。

須美:「私、妹さんのことは知っています。だから、聞きたいのです。
妹さんとの十数年間と、私との数年間と、どちらが……?」

「加奈と須美を天秤にかけている」そう考えるのが妥当だろう。
あの日記を読めば誰でもわかる。
しかし、「鹿島夕美」の存在については、知らないはずだ。

俺は、須美に言うべきなのだろうか?
「俺はかつて、鹿島夕美という女性と恋人として付き合い、そして、
一方的に俺が捨てた、……俺はそんな男だ」と。

いろいろ思案した挙げ句、結局、俺の口から出たものは……。

隆道:「ぐ……ぐふっ!」
須美:「きゃあああああぁぁぁぁぁ!」

俺は、赤いものを見た。
何故だ!何故、俺の口から血が……!?

須美:「藤堂助教授!」

それが、森で最後に聞いた音だった。

☆再会

……気が付くと、俺は病院のベッドで寝ていた。
医師が近づいてきた。

医師:「気分はどうですか?先輩。」
隆道:「え?」

俺はその医師の顔を見た。

医師:「俺です。伊藤勇太です。」
隆道:「え?」

俺は、事情が飲み込めていなかった。

勇太:「藤堂隆道先輩ですね?お久しぶりです。
俺、医師になったんですよ。信じられないかも
しれませんけど。」

勇太は、加奈との関わりを通じて、医学部に進学した、
ということだった。

隆道:「それで、ここはどこだ?何故お前がここにいる?」

勇太は、言いにくそうに言った。

勇太:「鹿島夕美さん……です。」
隆道:「鹿島夕美……だと?」
勇太:「はい。実は、俺はその時の縁で自治医大病院に
勤務させてもらっているんです。
それで、鹿島夕美さんは、今……。」
隆道:「いや、言わなくていい。」
勇太:「……は、はい。」

俺の知りたいことは、過去のことではなく、今現在のことだ。

隆道:「俺が吐血した理由は何だ?」

勇太は、少し間を置いて、言った。
声が震えているようだった。

勇太:「……むくみが少し見られます。
あと、人工透析が必要かと……。」

吐血、むくみ、……、それと、人工透析……。
これらの単語には、記憶があった……というより、
俺にとっては基礎知識だった。
それに、俺の周りに備え付けられている機械類……。

隆道:「勇太。俺は……、腎臓をやられているんだな?
それも……手遅れ……。」

本心を言えば、否定してもらいたかった。
俺にはまだ、やるべきことが……。
しかし……。

勇太:「先輩には隠せることではありませんね。
……そうです。急性腎不全です。しかも……。」
隆道:「……そうか。」
勇太:「……ところで、先輩には今、ご家族が
いらっしゃらないようですが……。」

勇太の言いたいことは、わかっていた。

隆道:「……いや、一人だけいる。山西須美という女性、
……俺の同居人で、研究助手だ。」
勇太:「そうですか。……ちょっと、失礼します。」

数分後、勇太は病室に戻ってきた。
俺は、一つ質問した。

隆道:「ところで、勇太。俺の腎移植はできそうか?」
勇太:「え?」

勇太の表情が曇った。

勇太:「……今、一応ドナーをさがしているんですけど……。」
隆道:「……見つかるまで俺の命が持つかわからない、か……。」
勇太:「…………。」

勇太は沈黙した。沈黙はある時、饒舌より雄弁になるらしい。

隆道:「慢性腎不全の特効薬があれば……。」
勇太:「え?」
隆道:「医学の世界では、慢性腎不全は移植をしない限り
『不治の病』らしい。しかし、その移植がいつでも可能だとは限らない。
しかも、そういう風潮に乗じて自分の臓器を数億円で売るという
ある意味俺より狂った輩も、この世には存在するという……。
それでも、現代医療は素晴らしいと、言い切れるのか?」
勇太:「先輩……。」

勇太は困惑していた。

隆道:「……すまない。これからお前の世話にならなければ
ならないのに、説教をたれて……。」
勇太:「いえ、先輩のおっしゃる事は、いつでも正しいと、
俺は思います。……あの時の殴り合いも、今でも忘れませんよ。」

勇太は、頬を押さえながら、苦笑した。

バタン!

突然、ドアが開いた。

女性:「伊藤君!隆道君がいるって、本当!?」
勇太:「あ、美樹さん。ここにいます!」

美樹さん……!

隆道:「美樹さん、……今でも看護婦を?」
美樹:「あ、隆道君。……やあねえ、こんなお婆さんが
看護婦やってるわけないでしょ?
今は、長期入院患者の相手をしているのよ。」
勇太:「美樹さんのツイスト、けっこう人気があるんですよ、ね?」

笑い声が起こる。
そして……。

女性:「隆道お兄ちゃん!」
隆道:「香奈?……お、大きくなったなあ。」

俺は、香奈を久しぶりに見た。
かつての『現代医療』の成果の生き証人、か……。

香奈:「ほら、あなたも外でつっ立ってないで、入れば?」
須美:「あの……、失礼します。」

俺は、須美と香奈を見比べて苦笑した。
どう見ても、香奈のほうが年上だ。
俺は、勇太のほうを見た。

隆道:「勇太、もう少し、俺の戯言に付き合ってくれ。
俺は、移植は特効薬が完成するまでの方便と考えている。
特効薬などと言えば夢物語かもしれないが、
しかし、不可能だとは思いたくない。
移植……医学が注目を集めているということは、
逆に言えば、薬学がどれほど疎かになっているか、
ということの証明でもあるかもしれないのだ。」
勇太:「そうですか……、そうかもしれませんね……。」

勇太と須美は、うなずいていた。
美樹さんと香奈は、唖然としていた。
医師と患者の会話ではなかった。

美樹:「ほらほら、そんな難しい話しないの。
何のために私が来たと思ってるの?」

俺は、もう一度笑おうとした。
しかし……。

隆道:「ぐ……ぐふっ!」
須美:「藤堂助教授!」
勇太:「先輩!……香奈君!すぐ看護婦を呼んできてくれ!」

悲鳴と怒号が聞こえていた。
俺は……、もう笑うことも許されないのか……?

☆見果てぬ夢

それから数週間後……。

……俺は、自分の研究について考えていた。

結局、未だにウメバチソウからは大した研究結果は
得られていなかった。少なくとも、慢性腎不全に関しては。
俺は……、慢性腎不全にしか興味はなかったから。

俺の側には須美がおり、付き添い人として、他には、
勇太と美樹さんと香奈がいるだけだった。

隆道:「……山西君、『ウメバチソウから慢性腎不全の特効薬を作る』
などという馬鹿げたことに今まで付き合ってくれて、感謝している。」
須美:「そんな、『馬鹿げたこと』なんて言わないでください。世間が
何と言おうと、教授達がどう評価しようと、立派な研究テーマです。」
隆道:「そう……だったな。」

それにしても……、これじゃ、加奈のときより寂しいじゃないか……。

男性達:「「藤堂助教授!」」

な、何だ……?
数人の男が入ってきた。

隆道:「だ、誰だ?君たちは……。」

男達は礼儀正しく挨拶した。

男性A:「藤堂助教授は覚えていらっしゃらないかもしれませんが、
私たち、藤堂助教授の講義を受けた者です。
藤堂助教授の講義、わかりやすくて、とても為になりました。
藤堂助教授のことは、山西さんから連絡を受けて……。」
男性B:「私も、藤堂助教授の講義を楽しみにしていました。」
男性C:「お前、何言ってるんだよ?『ウメバチソウの花輪をかぶった
変人助教授』ってあだ名付けたの、お前だろ?」
男性B:「あ、それはもう時効……。あ、いや、すみません。」

俺は、妙に納得していた。
……そうだな。あのとき蜂に全身を刺されて以来、
俺の頭は狂っていたのかもしれない……。

男性A:「それと……、山西さん。あなたに頼まれて生物活性試験に
出していた検体の結果がきました。」

それは、俺が出そうとしていた検体だった。
俺はその報告書を見た。

「……以上の結果から、この検体から
ある特定のウイルスを死滅させる作用が認められる。」

男性A:「そのウイルスが、慢性腎不全の原因となるウイルスらしいのです。」
男性B:「でも、私たち、藤堂助教授のなさっていた研究がわかりません。」
男性C:「研究を引き継ぎたくても引き継げないのです。」
隆道:「山西君……。」
須美:「はい。」

俺は須美を呼び寄せた。すでにほとんど声が出なくなっていたのだ……。

隆道:「俺の自室の引き出しに、今までの実験と研究を記録した
ノートが残っている。それを読めば、誰でも、今すぐに俺の研究を
引き継ぐことができる。」
須美:「はい!」
男性達:「「ありがとうございます!」」
勇太:「教え子、か。……何かいいですね。」

俺は、『子』という響きに、ある感慨を覚えていた。

隆道:「そうか、俺の『教え子』か……。
お、俺にも……くっ!!!」
須美:「藤堂助教授?」
勇太:「せ、先輩!」

……胸の痛みがかなり激しくなっていた。
我慢するにも、もう、限界がきているようだ。

隆道:「勇太……もう、いい……。やって……くれ……。」
勇太:「先輩……、わかりました。」

勇太は答えると、ある作業をした。勇太と俺、そして
美樹さんと香奈以外は、その作業の意味する所を知らない。

須美:「……はっ!」

須美……気づいたのか……?

須美:「と……、藤堂助教授!」
隆道:「山西君……。今まで……、世話かけたな……。」

「人は死ぬ瞬間、人生が走馬灯のように記憶によみがえる」
昔からよく聞いた言葉だったが、……どうやら、そのようだ。
代わりに、俺の目はかすんでほとんど見えなくなっている。
俺の左手が須美の頬に触る。液体の感触がある。
……須美の目から涙が流れているようだ。

須美:「私、あなたのことを……。」

俺は……とっくに知っていたのかもしれない……。

隆道:「須美……あとを……頼む……。」
須美:「隆道……さん……。」

 

……。
…………。
………………。
……………………。

 

どれくらい時間が経ったのだろうか。
俺は見覚えのある草原に立っていた。
懐かしい少女が俺のほうに向って歩いてくる。

隆道:「加奈……。」
加奈:「お兄ちゃん。」
隆道:「俺が……わかるのか?」
加奈:「……(こくり)」

俺は、いつの間にかウメバチソウの花輪を手に持っていた。

加奈:「お兄ちゃん、それ、私に掛けて。」

俺は加奈の頭に花輪を掛けてやった。
加奈は嬉しそうに微笑んだ。

隆道:「加奈……、似合うよ。」
加奈:「ふふふ、ありがとう。……さ、お兄ちゃんも。」

よく見ると、加奈もウメバチソウの花輪を手に持っている。
……この時、俺は加奈を誰かと見間違えていたのかもしれない。

隆道:「加奈……見つかったのか……?」
加奈:「……(こくり)」

加奈は、俺の頭に花輪を掛けた。
俺は、いつものように加奈に左手を差し出した。
加奈は俺の左手を握った。
……懐かしい感触が俺の左手に伝わっていた。

加奈:「お兄ちゃん、行こう。須摩子叔母さんも、
父さんも、母さんも、叔父さんも、みんな待ってるよ。」
隆道:「ああ。」

……さようなら、俺の『子ども』達。
そして、須美。……ありがとう……。

 

ウメバチソウの研究に生涯を捧げた男、藤堂隆道。
彼の伝説は、彼の教え子達と、そして山西須美助教授によって、
今も分子生物学界に語り継がれている。

注1・注3−−−−−−−−−−−−−
Oliva様作のSSを参考にしました。
http://members.tripod.com/cindo22/
−−−−−−−−−−−−−−−−−

注2−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
当然、実際の研究者はこんな不謹慎な考え方をしませんが、
まあ、フィクションですし、「隆道」ですので……(^^;
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

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