海の思い出

その退院の前日、加奈は嬉しそうだった。
そして、いつものように検温に来た美樹に話し掛ける。

加奈:「あの、美樹さん。」
美樹:「なあに?加奈ちゃん。」
加奈:「明日の退院、先生に頼んでくれてありがとう。」
美樹:「え?改まって……。そんなこと、いつものことじゃない。
これからも私が先生に頼んであげるんだし。」

美樹はにこにこして言う。しかし、『次の退院』が果たして来るのか、
正直な所今の美樹は加奈に保証できない。

加奈:「私、退院して、行きたい所があるの。」
美樹:「え?どこ?また隆道君に遊園地にでも連れていってもらうの?」
加奈:「ううん。……海に行きたいの。」
美樹:「海?もう季節過ぎてるよ?」
加奈:「でも……。」
美樹:「あ、そうか。加奈ちゃん、夕日が好きだったもんね。『あれ』やりたいんでしょ?」
加奈:「え?……『あれ』?」

そして、美樹はしたり顔で言う。

美樹:「あれよあれ。私も昔よくやったわ。何かムシャクシャした時なんか、
海岸の砂浜を走って、夕日に向かって『バカヤローッ!』って叫ぶの。」
加奈:「え?」

それは「海+夕日」と言えばお約束のことだったが(しかし、実際に
やるかはわからないが)、しかし、その言葉を聞いて、加奈はきょとんとしている。

加奈:「あの……、それ、どういうことなんですか?」
美樹:「え?……ま、まあ、いいわ。今の忘れて。」
加奈:「うん。」

美樹の感覚は、今時の十代には通じないようだ。
いや、真面目に聞き返すのは、(知的な)加奈らしいと言えば加奈らしいのだが……。

とにかく、美樹の一言で、今の会話が『加奈の日記』に記録されることは回避された。

加奈:「美樹さん。私、『テレビでしか海を見たことなかった』から……。」
美樹:「ああ、あの番組のことね。」

『あの番組』とは、以前、あるテレビ番組の特集で放送された
『驚異の小宇宙・人体』というものだった。
その番組のオープニングで、女性が海の浅瀬を走る場面がある。

加奈:「第何話だったかな、『妹想いのお姉さん』が出てくるの。」

いつしか、美樹が加奈をそう思うように、加奈も美樹を『自分の姉』と思っていたのかもしれない。
しかし、加奈はうらやましそうに言うが、美樹もすかさず言う。

美樹:「加奈ちゃんにはもっとすごい『妹想いのお兄さん』がいるじゃない。」
加奈:「え?……そう見える?」
美樹:「そ……、そりゃあ、もう……。」

今まで散々『兄妹愛』を見せ付けられた美樹には、まさしく「何を今さら」と言った感じだ。

加奈:「そう……、よかった……。」

そして、加奈は安堵の溜め息を漏らした。

美樹:「それじゃ、隆道君に、思いっきり甘えてきなさいよ?」
加奈:「うん。」
美樹:「海、見に行けるといいね。」
加奈:「うん。あの約束、お兄ちゃんが覚えていてくれたら……。」

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