2005年6月下旬:大きな左首のこぶ、左肩から胸、脇に至るまで癌腫瘍またはそれによる腫れがひどく、左手はほとんど使えない状態。貧血、激やせも進行してました。初めて医者に行き、何もしなければ余命3〜4ヶ月との医者のみたてでした。根治は当然不可能だけれど、とにかく延命の可能性をかけて抗がん剤投与がすぐに始まりました。夜は苦痛で眠れず、まったくの絶望のどん底でした。
2005年7月〜8月中旬:アデリノマイシンを毎週投与。これは吐き気がともない、髪の毛も抜けました。しかし実際に吐き気をもよおしたのは一回で、多少気持ち悪い思いはしましたが、白血球のレベルもまったく問題ありませんでした。最初の二週間はまったく効果を感じませんでしたから、その時が一番不安でした。もしかしたら抗がん剤の効かない癌かもしれない、そうだったらもうあと3ヶ月なのか?という不安です。しかしこのころドクター向けの高品質版アラビノキシランに出会い、希望をつなげることができました。抗がん剤を受ける際に使用サプリを全部報告して医師の指示をあおげといわれましたので、アラビノキシランを伝えたところ、禁止されました。理由をきくと、抗がん剤との併用の影響が確立されていないからだとのことでした。ですので、私はずっと黙って服用を続けました。
抗がん剤投与開始から三週間くらいで巨大な腫瘍はだんだん小さくなっていき、八月のには首の腫瘍の神経への圧迫によって腕を動かせなかった事に起因して削げ落ちた肩の筋肉のリハビリをスタートするまでになりました。あと、酵素に関してなのですが、最初は酵素が手違いで入手できず、アラビノキシランだけでした。タイミングの問題もあるんでしょうが、その後酵素が入手できたときに、酵素を併用するというメリットを、身体で体験しました。癌による極度の痩せは、酵素の服用から目に見えて改善されていきました。
2005年8月中旬〜九月下旬:タキソールを毎週投与。この薬は副作用がほとんどなく、そのころには首の腫瘍はもうはっきりとはわからないほどに小さくなっていて、八月下旬からは少しずつ外で働けるようになりました。依然白血球の状態は良好で、抗がん剤への反応も目に見えてよく、医者も看護婦もあなたは幸運だと言うようになりました。
2005年九月下旬〜現在:タキソールの少量を隔週投与。副作用なく首の腫瘍はもうさわってもほとんどわからないほどになりました。左腕も普通に上がるようになり、胸と脇の腫瘍もとても小さくなりました。転移癌は根治できない、というのは一般常識であり、医者は手術をしないかぎり根治という言葉はなかなかだしません。12月にはしかし、私の抗がん剤への反応が非常に優れているので、放射線治療による根治の可能性が少しでてきたと言いました。そして他の臓器に転移しているかどうかを確認するためにCT撮影をしたところ、幸運なことに他の臓器への転移は認められず、その可能性がでてきました。しかし、医者は「あなたの抗がん剤への反応は例外的に優れており、今でも腫瘍は小さくなり続けているので、このまま抗がん剤を続ける方向で様子をみたい。」という、私にとっては理想的だった方針をきめ、現在にいたっています。投与量が少ないこともあり、今では髪の毛が生えていて、頭をおおわなくても人に会えるようになりました。
他の体験談にもありましたが、よい医師との出会いは大きなものです。私の場合、アラビノキシランを禁止した医師は私の治療方針を決める大先生の部下にあたる、どこかおかしなところにこだわる変な人でしたが、この大先生はなにかしら、患者に余力のあるときは、できるだけ最小限の治療をしながら、患者の力をひきだすという方法を好む人のように思います。癌の治療に関して、すべてを解明できていない今日、こういうバランスのとれた先生に出会えたことはとても幸運だと思っています。
まだ抗がん剤が続いていますが、アラビノキシラン+酵素を続けながら、なるべく健やかな精神で一日一日をすごすことを心得ながら、生活しています。生きていることのありがたさは、ともすると忘れがちになりますが、この経験を活かして自分なりの充実した生き方をしてゆきたいです。今度は癌が消滅した時にまたご報告できたらと思っています。
サラさん、本当にありがとうございました。絶対にあきらめないでくださいというメッセージには、本当に支えられました。このサイトにこられた方々、私は誰が見ても、この人は長くないと思うような状態でした。苦痛と恐怖で、いつも一人で泣いていました。初めて病院にいったとき、がん患者の集まる病院の待合室で、他のがん患者の方々がみな私を同情の目でみていたことは今でも忘れられません。ですから、どんなに具合が悪くても、絶対にあきらめないでください。このサイトにこられたことはすでに奇跡の始まりですから!

