アマチュア無線のページ(JA1LLX)




類似品にご注意ください。



Last Update: Aug.15th,2006




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HAMページ専用BBSです。

 6m&downコンテスト参加記をコンテストページに追加:july.9, 2001

 アマチュア無線の免許証を取得したのは中学生の時1962年4月、無線局JA1LLXを開局したのはその年の11月でした。

 最近はご多分にもれずアパマンHAMなので、アンテナが張れず移動運用と移動コンテスターです。
 Since 1962 1.9M〜24GHz I love CW 

お知らせ

<<2008>>
◎オール千葉コンテストJA1YDU@1216より参加
県内社団1位 Cong!!
RESULT
@ACAGは
JA1YDU@1216 より参加
◎FDは実弟急逝のため自粛
◎ALL JAはJA1YDU@1216より参加
XMA M 3位
RESULT
<<2007>>
◎ACAGはJA1YDU@1216より参加しました。
◎FDは7M2WNR/1で@14005からXM2に参加しました。
  なんとか XM2 1位だす
RESULT
◎ALL JAは JA1YDU@1216から参加しました。
 ひさびさにXMA M 3位入賞
RESULT
<<2006>>
◎ALL千葉コンテストはJA1YDU@1216から出ました。
  県内社団1位のもよう
RESULT
◎FDは去年年に引き続きJA1BIV/1で@14005からXM2に参加。
どうやら XM2 1位らしい。
RESULT
◎6Dは別な道楽の都合で不参加
◎ALLJAは JA1YDU@1216から参加しました。

<<2005>>
◎ACAGはアブセント
◎FDはJA1BIV/1で@14005からXM2に参加。
 JA1BIV/1はXM2 2位でした。
RESULT
◎6Dは別な道楽の都合で不参加
◎ALLJAは JA1YDU@1216から参加しました。

<<2004年>>
◎ALL千葉コンテストはJA1YDU@1216から出ました。
◎ACAGもアブセント
◎ハムフェアも行けませんなぁ
◎FDも家庭の都合で不参加です。
◎6Dは別な道楽の都合で不参加
◎ALLJAは JA1YDU@1216から参加しました、20mでopしました。

<<2003年>>
◎千葉コンテストはJA1YDU@1216から参加しました。
県内社団1位でした。
RESULT
◎ACAGは@13007秩父郡から出ました。久々の担ぎ上げ老人には堪えます。
 C2400でLOG提出しました。QSO頂いた各局に感謝します。
C2400の1等賞を頂きました。
RESULT
◎FDはJI2ZLX/1で@1224千葉県君津市よりXMAで参加、私は5600−
 10G(24Gは相手がみつからず)のOP担当、QSO頂いた各局に感謝します。
 JI2ZLX/1はXMA1位でした。
RESULT
◎6Dは@15003栃木県上都賀郡から出ました。C5600でログ提出
 QSO頂いた各局に感謝します。 

C5600の1等賞を頂きました。久々の賞状ですぅ。
RESULT
◎ALLJAは副業の都合で出られませんでした。
RESULTJA1YDU はXMA−MP5位

<< 2002年 >>
@@千葉コンテストに母校のJA1YDU@1216から参加、社団1位でした。
@@全市全郡コンテストは母校のJA1YDU@1216から参加しました。QSO頂いた各局に感謝します。
@@ALL ASIA PHONEは母校のJA1YDUから出ました。TNX to ALL
Multi operatoer Multi TX Continental Leader
RESULT
@@フィールドデーコンテストはJI2ZLX/1@栃木県上都賀郡からXMAで参加、私は2400M以上を担当しました。QSO頂いた各局に感謝します。

@@ALL JAは母校のJA1YDU@1216から運用しました。20m担当でした。QSO頂いた各局に感謝。

<< ハムフェア >>
[HF2002]、
去年までの参加記は[HF2000]、[HF1999]で す。



千葉工業大学文化会電気研究部OB諸兄へ、電研部OB会MailingListを運用 中です、是非参加して下さい。
詳細はこちらへja1llx@infoweb.ne.jp 連絡 下さい。



JA1LLXの免 許   Last Update:May.19, 1999
JA1LLXの設備    Last Update:May.19, 1999
コンテストのページ    Last Update:july.9, 2001
マイクロ波のページ  Aug.29th. 2001
自作のページ  aug.14th. 2001
電信のページ
移動運用のページ
QRPのページ
ちょっとだけコンテスターのページ
9M2TOのページ    Last Update:May.19, 1999
珍品お宝館(と思ってる物)    長寿お宝追加 Last Update:May.22, 1999
アマチュア無線関連LINK    Last Update:Sept.23, 2002
JA1YDUのページ   Last Update:Aug.14, 2004
電研部(JA1YDU)OB会のサブページ    Last Update:Aug.14, 2004



 今に至るまでのJA1LLXの歴史です。
  高校生活の年代が間違ってましたので修正しました。

2001から現在
 2002年8月に@1110から@1019にQSYしました。でんでん無線やってないなぁ
1992〜2001
 友人のJA1PCM保谷さん達に誘われて1200Mで移動コンテストを再開したのが1992頃でした。WARC バンドのテレカに誘われて行ったのが正解鴨。その後局数稼がなくても安易に表彰状くれそうな2400しかも電信部門をやり始め今に至ってます。こ の間にまた富士吉田に転勤、今度は富士山反射を使って千葉県市原市のDIGIPETER経由でIHE−1と繋がってました。PATH経路約170km位で しょうか。平成7年から相模原市に転勤でQSY。現在はパケット停止中です。

 「WARCバンドのテレカ」を更新:May.21, 1999

1988〜1991

 富士吉田(JCC#1702)からまた青梅市(JCC#1006)に転勤で戻ってから、パケットを始めました。430と1200のゲートウェイを設けて ホストは何故か足立のJA1IHE−1、ここで怪しい技術系HAM(謎)某C級誌やMHの執筆者達とお友達になりました。この筋のお友達はこちらこちらとかこちら


1977〜1987

 同じ羽村町内(当時は西多摩郡羽村町)山梨県富士吉田市、青梅転勤とQSYが多かった頃です。まともな無線は殆どやらず、もっぱら430Mの MOBILEでしか運用してませんでした。


1970〜1976

 大学を卒業して、中学生の頃からメカフィルでおなじみのK電気に入りました。最初の1年は寮を転々とさせられ、実家に帰ってしか無線はしてませんでし た。その後工場の直近の5階建ての5階に入寮し早速屋上にアンテナを揚げて再開しました。RIGは30k¥で買った八重洲のFL100Bと40k¥のド レーク2Bその後フロンティアの6KD6x5というリニアを探してきて毎晩寮内にAMP−Iを撒き散らしていました。
  1975 WW SSBにはとうとう寮のてっぺんに14Mの3エレを揚げてしまったがコンテスト終了後強風でやばくなり直ぐに撤去。7Mと14Mのクロスに貼ったDPで DXやってました。 沖ノ鳥島7J1RLのペディションにフルパワーで呼んだら同軸がペケになってしまいしばらくQRTしているうちに退寮する年齢になってしまった。


大学時代(1966〜1969)

 結局YFGにもZGPにもふられて、入ったのが津田沼の鉄道連隊跡地の千葉工業大学、当然JA1YDUに は教科書も買わないうちに直行して入部しました。いろいろなコンテストで常勝の部室に入ってがっくり、807プッシュプルのAM送信機と829Bの 50MAM送信機、受信機はなんとトリオJR60じゃあないですか。せめて813パラレルとかあわよくばP球(@12は漁港が多いせいか、P球を使ったハ イパワー局が多かった。)かなと想像してたんですがねぇ、アンテナもパンザに縛り付けてある50M3エレとダイポール、これで勝っていたんだ、うみゅ mmmm。
 この頃JA1LLXの主送信機はPSN型の自作機、ジェネレータとAMPの部分は分離してあり、AMPは年中替わっていたような。6146xnとか 6KD6xNとか年中トンカチトンカチいじっていたような奇がします。送信管も4B13や3F65とか4F21が何故かロハで手に入っていたなあ。某H製 作所とか某T真空管のお陰鴨。  1アマを取ったのは比較的遅く1968年の4月期でした、調布が丘に通っていた高校の先輩に和文のテープを作って貰い練習したんですが、練習は結構辛 かったけれど本番ではまるで遅くて途中まで受けると次の文字が連想できる程でした、ひょっとすると作ってくれたのは通信士向けだった鴨しれない、欧文も同 様でしたね。ついでに無線工学免除の電話級通信士(現第四級海上通信士)もこの夏にとりました。2通は予備試験に合格しただけその後やってない。


高校生活(1963〜1965)

 高校は自宅から歩いて10分くらいのところにあり、ここのラジオ部(JA1YBE)には入学前中学生時代から入り浸り。1年生だというのに、直ぐに2ア マになったしちょっと舞い上がっていた鴨。
 コンテストにも参加しておりましたが、結果はあまり残ってませんね
 このころも自作街道まっしぐらで、運用はローカルとのラグチュウ以外はあまりしてませんでした。というのは当時私の家の直ぐ裏に市内向けの変電所があ り、家の回りを高圧線が囲んでいたんでまともなアンテナを揚げるなんて考えてもいなかったんです。このローカルラグチューも一番近い局だとSSB復調でき ないんですぅ、当時の受信機のBFOは殆ど電信用でそれこそBMやプロダクト検波なんて使ってないし・・・、ここで登場したのがグリッドディップメーター でこいつのグリッド電流計端子にトランス結合でMICを繋げると結構綺麗な変調を掛けられました。或日14Mの垂直DPに調整中の送信機を繋いで7Mの上 の方でモガモガ言ってる局達にブレーク掛けてみると飛ぶじゃないですか、2waySSBでの初QSOはJA9PG局だったと思います。
 また或日、軒下に張り巡らしたDPでかの有名な「DU7SV」を呼んでみると応答がありました。これがDXとの1stQSOでした。ここらで6146パ ラのCW専用機を作っては朝方学校に行く前に14MでWの叔父さん達とラグリ、帰ってくると3.5Mでローカルとラグルってのが日常だった奇がする。


中学生活(1960〜1962)

 本格的にアマチュア無線を知ったのはCQ誌との出会いでした。1960年4月号だったと思います。表紙は我が国YLハムの草分けJA1YL管さんと御主 人のJA1COだったと思います。その年の10月期中野にあった中野高等無線学校で電話級アマチュア無線技士を受験したんですが見事落ちました。
 結局合格したのは1962中学3年の4月期で、11月にはJA1LLXを開局しました。免許はA3aで終段6146入力50w、A3aだと能率20%な んで50w入力で10wの免許が降りたんです。生意気にも国際電気のK型メカフィルを使ったSSBなんです。受信機は三和通信機のNR409という高一中 二を使ってました。これ以前にも作っては壊し壊しては作りの繰り返しで色々自作をしておりました。
 この年の10月期には無謀にも第2級アマチュア無線技士にトライ、ローカルのお兄さんや叔父さん達と一緒に受験しました。ところが予備試験(当時2アマ 以上は予備試験があったんです)の合格通知が私のところだけこない。当然受かった人にはきてたんですが、不合格通知も来てないんで母親が電監に電話してく れたら受かってるということでした。本試験は残念ながらNG、2アマに受かったのは高校に入った年1963の4月期でした。
 しかしながら、高校受験の補習をサボっては近所の某H製作所のゴミ捨て場に真空管を掘りに行き、どの科目のノートにも回路図しか書いてないなんて今様で 言うWOTAQな中学生活を送っていましたねえ、全く受験勉強もせず。


小学生〜

 アマチュア無線というものを知ったのは、もう30うん年以上も前の小学生の頃です。実家の前が茂原市の図書館で本好きな汎史少年は小学校(これまた家の 真ん前でした)から帰ると図書館に入り浸りでした。
 ここでもう書名は忘れましたが古い々ラジオの本を見つけて、なんたって礦石検波器(「くわうせきけんぱき」とルビが振ってあった)とかレオスタットと か、使っている真空管もUX30(だったような)という直熱型の3極管ばかり、その中に素人無線局なんてのが書いてあった。
 ご多分にもれず「子供の科学」、「ラジオの製作」あたりから始まりラジオ少年への道をまっしぐら。
 1ヶ月のお小遣いが300円程度だったと思いますが、一番安いNECのトランジスターST300も300円だったような気がします。やっぱり真空管がえ え。


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