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タイトル「WorkOver」     

 以前、私が3ヶ月間だけお世話になった某機器メーカーの社内報「WorkOver」に掲載された原稿です。
「ウルトラクイズのことについて何か書いてほしい」と依頼されて書いたものです。わずか3ヶ月しか在籍していなかったので少々恐縮してしまいましたが、結構楽しく読んでもらえたようです。
 1991(平成3)年、第15回ウルトラクイズの直前のことでした。この年の優勝は能勢一幸さんでしたね。能勢さんを初めて生で見たのは池袋のビックカメラの前でした(もちろん放送終了後)。友人とガードレールに腰掛けて談笑していましたっけ。この時は畏れ多くて声をかけられなかったのですが、その翌年に仕事を通じてお知り合いになることができました。

◇いろいろ悩んだ結果、部分的に●●●を入れたところ、また大幅にカットしたところがあります。
◇「誕生秘話」の部分は、第2回優勝の北川宣浩さんの著書『TVクイズまる金必勝マニュアル』(サンケイ出版)を一部参考にさせていただきました(ように記憶しています(^^;;;)。  


アメリカ横断ウルトラクイズについて   『WorkOver』より(1991年筆)
INDEX
  1.誰もがみんな知っている・・・はず
  2.みんなは知らないだろう・・・誕生秘話
  3.あの猛暑を語らずして、第1次予選は語れない・・・あァ後楽園球場
  4.第1次予選を通過するには・・・あなたはカメか、それともウサギか
  5.ジャンケンは心理作戦と気合いだ・・・オーラを飛ばして、いざ真剣勝負!
  6.機内400問ペーパークイズは客観的実力のバロメーター・・・こんなの知るか?!
  7.期待と不安に胸をふくらませるグアムの夜・・・友だちってのはいいもんだ
  8.ウルトラクイズで勝ち残りやすい人・・・やはり視聴率には逆らえないのだ
  9.自分の小ささを教えてくれるアメリカの大地・・・もう一度行けるなら
 10.罰ゲームは2回ある・・・表と裏
 11.カレンダー1頁分の大冒険・・・あなたはロマンを持っているか


 今年で15回目を迎える「アメリカ横断ウルトラクイズ(日本テレビ)」。このビッグイベントにとりつかれ、第8回大会で3位、第12回大会では18位となった私が、テレビ画面からではわからない「アメリカ横断ウルトラクイズ」の裏側、そして魅力について紙面の許すかぎりお話ししたいと思います。


1.誰もがみんな知っている・・・はず

 「自由の女神はどこにある?」こう質問されて首をかしげる人はあまりいないでしょう(テレビが映らないようなところに住んでいる人は別ですが)。タージ・マハールがどこにあるか知らなくたって、ピサの斜塔がどこにあるか知らなくたって、自由の女神がニューヨークにあることぐらい今では小学生でも知っています。(本当は「自由の女神」と呼べるものは他にもありますけど・・・)それ程までに自由の女神を有名にしてしまったもの、それが「アメリカ横断ウルトラクイズ」なのです。(以下「ウルトラクイズ」という)
 一応、ここで「ウルトラクイズって何?」という人がいたら困るので、ごく簡単に説明しますと、まず第1次予選が東京ドーム(かつては後楽園球場)で行われます(今では2万人以上の参加があります)。ここで○×クイズを行い、勝者100人が決まります。数週間後に成田空港で第2次予選が行われ約半数が勝者として飛行機に乗り込み、機内400問ペーパークイズ、その後グアム、ハワイ、そしてアメリカ大陸の各都市で様々なクイズを勝ち抜いた2人によってニューヨーク決戦が行われるというものです。旅費はすべてテレビ局持ちですが、敗者は即強制送還(?)というビッグなそして過酷なクイズ番組なのです。
2.みんなは知らないだろう・・・誕生秘話

 ウルトラクイズが生まれたのは今から15年前、昭和52年のことでした。当時中学2年生だった私は今でもその日(10月20日)の新聞の番組紹介欄に大きく掲載されていたこの番組の記事を覚えています。以来15年の歴史を持つこの番組ですが、御多分にもれず誕生秘話というものがあるのです。
 すでにテレビがお茶の間のパートナーと化していた当時、日本テレビのスタッフも新しい企画に頭を悩ませていました。そんな時、持ち上がったのが「東名高速道路クイズ」の企画でした。実はこの企画、東名高速道路が開通した頃というから昭和39年頃だと思いますが、ある制作会社が企画したものの「お蔵入り」になってしまっていたものだったのです。その内容というのが、インターチェンジでクイズをやり、勝者だけが先へ進めるという、まさにウルトラクイズの原形そのものでした。
 こうしてこの企画が昭和51年(1976年)のアメリカ建国200周年にからめて、旅をしながらクイズを行い、アメリカのホワイトハウス前で決勝を行う「史上最大ジャンボクイズ」として計画されたのですが、この年は準備期間があまりに短く、結局ボツになってしまいました。そして翌昭和52年、十分な準備期間を使って「史上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ」として産声をあげるに至ったのです。
3.あの猛暑を語らずして、第1次予選は語れない・・・あァ後楽園球場

 第1次予選(通常は8月の第2週の日曜日)は、今でこそ空調完備の屋根付き球場で快適な予選となっていますが、第1回〜11回大会までは後楽園球場が予選会場でした。何と言っても炎天下の予選がすごいのです。大勢の人が密集している観客席はもちろんですが、グランドはもっと暑く、晴れた日なら40℃を超えていたでしょう。熱がグランドにこもるし人口芝の照り返しがすごい。底の薄い靴だと足の裏が熱くて、じっとしていられないのです。具合が悪くなって途中で棄権する人も出てきます。人間の大脳の活動には適正温度というのがありますが、あの暑さでは大脳も正常には働かないでしょう。そんな中で難問珍問をクリアーしなければならないのです。私も初参加の第8回大会の時、100人に残る直前では頭がふらついていました。しかし、そうした状況を跳ね返して100人に残った瞬間というのは体が震えるくらいの感動があります。私の場合、初参加でいきなり100人に残るという快挙(?)を成し遂げてしまったため、その気持ちのやり場に困りましたが、今でもその瞬間の映像(しっかり映っています)を見ると目頭が熱くなります。滝のような汗がさわやかな汗に変わってしまう一瞬でした。
 現在の東京ドーム予選になってから参加した人たちはあの猛暑を知りません。もちろんそれは悪いことではありませんが、これからも続くであろうウルトラクイズの歴史の中で、あの後楽園予選を体験しているということは非常に大きな財産に違いありません。何と言ってもウルトラクイズの旅の始まりがあそこにあったのですから・・・。
4.第1次予選を通過するには・・・あなたはカメか、それともウサギか

 ウルトラクイズの中で一番難しいのが第1次予選の○×クイズです。必勝法なんてものはありません。ですから未だに2回優勝した人がいないのです。よく「あれは運だ」という声を聞きますが、決してそれだけではありません。たゆまぬ努力と研究が大切なのです。様々な分野の事柄に興味を持ち、常に○×クイズを意識すること、そして何冊かの雑学本は必ず読破し、一般常識+αを身に付けることぐらいは最低限必要なことです。また、毎回ウルトラクイズには参加し、放送も見ること。こうした中で、どのような事柄が問題になるのか、問題文はどのような言い回しになっているのか等を研究し、正解に少しでも近付けるよう努力したいものです。これらは当然のことながら勝ち残った後にも「知力」として強い味方となってくれます。
 さて、こうした地道な努力が嫌いな人はどうしたら良いでしょう。紙面の関係上、私がお教えできることは2つだけです。小判鮫か、電●●ャ●●です。小判鮫とは言わずと知れた「人についていく」ことです。知識あふれる友人にするか、過去のチャンピオン(はっきり言って当てにならない)にするかは自由ですが「自分はこっちだと思ったのになぁ」となることが多いので覚悟してください。
 そして、もうひとつが必殺の電●●ャ●●。制作者側は、限られた人数であの東京ドームを仕切るのですから、当然●●●●が●●●います。これを●●するのです。答えが●●●●ことは期待できませんが、ヒントとなることを●●●かも知れません。ただし、●●が見つかれば●●●の没収、果ては退場ということにもなりかねませんので覚悟が必要です。ちなみに私はどちらも実行したことはありません。別の作戦を使いますから・・・おっとっと。
5.ジャンケンは心理作戦と気合いだ・・・オーラを飛ばして、いざ真剣勝負!

 通常、第2次予選は東京ドーム予選の3週間後に成田空港で行われます。ルールは簡単、日本人なら誰でも知っているジャンケンです(3ポイント先取)。とは言っても一生に一度の真剣勝負になりますから、本人にとっては大変なプレッシャーとなります。こればかりはあの場に立った人にしかわからないでしょう。
 さて、ここも「運」かというと決してそんなことはありません。一種の極限状態になるあの場では冷静になった者に分があります。ジャンケンにはグー、チョキ、パーの3つの手がありますが、・・・

                             (カット、ごめんなさい)

・・・ ですが、これらはすべて結果論であって失敗する場合もあるのです。本番前には身体がガタガタ震えてしまうほど怖いのです。しかしひとつだけ言えることは、どの様な作戦をとろうとも最終的には気合いの入っていた方が勝つ場合が圧倒的に多いということです。
6.機内400問ペーパークイズは客観的実力のバロメーター・・・こんなの知るか?!

 さて、ジャンケンに勝って初めてグアム行きの飛行機に乗れるわけですが、このまますんなりとグアムに着けるわけではありません。離陸後30分もすると「機内400問ペーパークイズ」が行われます。途中に休憩は入りますが、30分間で400問ですから1問あたり4.5秒で解答しなければなりません。すべて三択問題ですが、問題を読んで答えを考え、解答欄に記入するまでが4.5秒ですから結構ハードです。どのような問題が出題されているのか、参考までにいくつかあげてみましょう。(正解はこの項の最後にあります)

T.後白河法皇が源頼朝に付けたニックネームは?   @大天狗A大明神B大統領
U.メキシコ原産の温室植物は?               @ベロベロネAベロペロネBペロペロネ
V.江戸時代の俗語で「薄明るい時刻」を表すのは?   @うすうす時Aうそうそ時Bうらうら時
W.『日本国憲法』で「教育を受ける権利」は第何条?   @第6条A第16条B第26条
X.サウジアラビアの貨幣単位は?              @ロマンAリアルBモダン

 これはほんの一例ですが、常識的な問題から「こんなの知るか!」というものまで、様々な問題が出題されます。しかも政治・経済・文学・歴史・スポーツ・芸術・芸能・雑学といった分野のものが計算されて出題され、その人の知識傾向を客観的にデータ化しようという意図もこの機内クイズにはあるのです。気になる合格ラインですが、大体45%(180問)正解すればグアムの地に降りられるでしょう。もちろん勝ち抜けられる人数が上位何人までと決まっているので、その年の挑戦者の「質」によっても合格ボーダーラインは変わります。参考までに、かなりクイズの勉強をしている人で正解率は80%(320問)弱、70%(280問)正解すればかなりの実力者です。私の場合、第8回に参加した時は55人中8位、第12回の時が6位だったのですが、どちらも正解率は60〜65%(推定)ぐらいだったと思います。
 ところでこの機内クイズで敗者となってしまった挑戦者たち(通常、10人ぐらい)はどうなるかというと、グアムの地を踏むことなく、乗ってきた飛行機でそのまま成田空港に逆戻りとなります。初めの頃は「かわいそうだから」ということで、勝者たちとは別のグアムのホテルで一泊だけさせてもらっていたということですが、今ではまったく行われていません。
(上記三択クイズの正解 T−@ U−A V−A W−B X−A)
7.期待と不安に胸をふくらませるグアムの夜・・・友だちってのはいいもんだ

 9月某日の夕方、東京都内のある場所にドーム予選(第1次予選)を勝ち抜いた100人が集合し、バスに乗って成田空港近くのホテルに一泊。翌日朝6時から第2次予選であるジャンケンを行い、勝者はグアム行きの飛行機に乗って機内クイズに臨む。ここを勝ち抜くと、やっとグアムのホテルでくつろげるのです。たった一日で100人が40人前後になってしまいます。その残った人たちが初めて交流を持てるのがこのグアムの夜なのです。
 ウルトラクイズの大きな特徴は「明日が見えない旅」というところにあります。普通の旅行と違って翌日の予定がわからないのです。しかもいつクイズが行われるのかわからない。よほど腹の座った人でないと落ち着いていられない、というのが実情です。こうした不安感を持った者たちが親密になっていくのは自然の摂理というもので、初めて言葉を交わす人とでも、ものすごく深いつながりが持てるのです。普通のツアーや研修旅行などでも短期間のうちに友好が深まるでしょうが、ウルトラクイズの旅には「明日をも知れないわが身」という要素が加わるので尚更です。今夜この場にいる仲間が次の夜にはいなくなる、もしかすると自分がいないかも知れない、そんな気持ちで過ごす日々が最長で1ヶ月程続くのです。
 しかしながら、こうした不安にかられつつも、一歩一歩進んでいくウルトラクイズの旅に思いを馳せながら、夜更けまで「アカの他人だった人」と語り合える、これがウルトラクイズが挑戦者にくれる最高のプレゼントなのです。
8.ウルトラクイズで勝ち残りやすい人・・・やはり視聴率には逆らえないのだ

 ウルトラクイズではよく「知力・体力・時の運」というフレーズが使われます。確かにそのとおりだと思いますが、ここに第4の要素を加えてみましょう。それは「キャラクター」です。テレビ受けするような明るい人、おもしろい人はスタッフも大切にしてくれます。これが女性なら更に良い。真剣勝負の番組ではありますが、やはり民放の悲しさか、視聴率は常に付きまとってきます。数字を上げるためにはどうしても視聴者受けする人がほしいので、そうしたキャラクターを持った挑戦者がいれば、少しでも永く勝ち残ってもらいたいと思うのがスタッフ側の心情です。しかし、答えを事前に教えてくれるわけではありません。せいぜい体力勝負の場面で女性に甘くしたり、機内400問ペーパークイズでつかんでおいたその人の得意分野の問題を出題してくれる程度ですが、切羽詰まった場面では本当にありがたいことなのです。
 とは言うものの、この恩恵はグアムの泥んこクイズを勝ち残った場合以降にしか与えられませんので悪しからず。
9.自分の小ささを教えてくれるアメリカの大地・・・もう一度行けるなら

 ウルトラクイズの特徴のひとつに、一般の観光地ではない所に行くというのがあります。例えサンフランシスコだとかロスアンゼルスとかの観光地化された都市に行ったとしても、滅多に観光客が行かない「隠れた名所」でクイズが行われることが多いのです。私は第8回、第12回と2回旅をさせてもらい、延べ15ヶ所ほど行ってきましたが、その中でも特に印象深かったのはダコタの草原とアメリカ最北端の町バローです。以下、ちょっと紀行文風に・・・。


[ダコタ(第8回ウルトラクイズより)]
 ダコタとは特定の地名ではない。一般に「ダコタの草原」と言っているだけで、正確にはノースダコタ州ジェームスタウンの草原というのが、おそらく私が行った場所だろう。カナダとの国境も近く、9月初旬でも日本の冬と同じくらいに寒い。観光地化されていないこの田舎町では東洋人は珍しいらしく、クイズ前夜に食事をとった中華料理店の主人(おそらくこの町で唯一の東洋人)が大変な歓迎をしてくれた。もちろん他の客も珍しそうにこっちを見ている。
 クイズ当日の朝、我々はバスで町外れの広場に向かった。そこに待っていたのは、西部開拓時代そのままの幌馬車隊。年に一度、昔ながらに草原の旅をしている大ファミリーである。残り8人になっていた我々挑戦者は、2人ずつ分乗してしばし旅のお供となる。草原に入るまでの町並みは古き良きアメリカの姿そのままである。青々とした芝の庭に白い建物、ほど好く散在した白樺の木が何とも言えない雰囲気を醸し出す。放し飼いの犬が我々の馬車を見つけ、尻尾を振って走って来る。いかにものどかな風景だ。
 町並みを抜けると小さな十字路があって、ワイヤーで吊られた小さな信号機が静かに点灯している。ここから先が大草原である。ちょうど天気が曇りだったことも手伝って、いっそう旅情をかきたてる。草原の道はわずかなカーブを描くくらいでどこまでも果てしない。所々に木立があり、それを見る度に「あの木立の裏にクイズ会場が待っているのだな」などと抜き打ちのクイズに不安がっている自分がこの時ばかりは情けなくなってしまう。
 出発から約3時間、馬車を止めて昼食となる。これも昔ながらのサンドウィッチ。たっぷり塗ったピーナッツバターの上にハムや野菜をどっさりのせて・・・。ふと辺りを見渡すと地平線が見える。生まれてこのかた、何の障害物もなく360度ぐるっと続く地平線を見たのは初めてだ。地平線上には丘もなければ木もないのだ。海で見える水平線とは違った趣きがある。少なくも今、我々を中心にして、自分の視界にある世界には我々以外には誰もいないし、何もない。一生の内でこうした体験ができるのは滅多にないことだと思う。地球の偉大さは計り知れない、そんな気がした。
 その後2時間ほど移動したところでクイズが行われ、勝者となった7人は草原のど真中にテントを張って一夜を明かすことになる。冷たい雨が降る朝、草原の真中にバスが迎えに来てしまった瞬間、我々は現実の世界に引き戻されてしまった・・・。


[バロー(第12回ウルトラクイズより)]
 アンカレッジから飛行機で約1時間、バローに到着したのは夜の10時ごろだったろうか。アメリカ最北端の町、夏でも流氷が消えることがないという。空港(と言っても小さな銀行ぐらいの大きさ)のロビーで迎えのバスを待つ間、この町が北極探検隊のベース基地になると聞いて感激してしまう。テレビ関係者等を除く一般の日本人では、我々が最初の日本人とのことである。
 バスが迎えに来てホテルに向かう途中、バローの町を見ることができた。とは言っても所々にある街灯以外に明かりがないため、はっきりとはわからない。凍りついた道を進むバスの音が静かに聞こえるだけで、まるで映画の一シーンのようだ。路上をうっすらと覆っていた粉雪が、道案内するかのようにバスの前方へと流れていく。
 やがて、小さいながらもこの町一番のホテルに着き、初めてゆっくりと周りを見ることができた。道は真っ黒で舗装されているかのように硬い。その上を細かい雪が筋をつくっている。町並はと言うと、倉庫のような形をした家が道の両脇に点在しているに過ぎない。本当に人が住んでいるのだろうかと思ってしまうくらい静かだ。人も車も姿が見えない。海岸に行ってみると町中とは違い、海からの風でとにかく寒い。まだ9月5日だというのに手がちぎれそうだ。この海の先に北極があるのかと思うと、自分はとんでもない所にいるのだと感心してしまう。
 一夜明けてクイズ会場に向かう。目隠しをされているのでどこに向かうのか我々にはわからない。会場は町外れの海岸だった。気温−15℃、風を入れれば体感温度はもっと低い。クイズ開始前、北極につながる海をバックに司会の福留さんが、勝ち残っている挑戦者の最年長だった男性(40代後半)に聞いた。「日本に帰ったら、息子さんにバローのことを何んて話してあげますか?」その男性は涙を流しながら「言葉もありません」と答えていた。その言葉にすべてが集約されていたように思う。それほどの感動があった。誰でも行ける、そしていつでも行ける「観光地」ではないのだ。地球のほぼ天辺に我々は立っていた。そのことがあの男性の気持ちを動かしたのだろう。日本にも様々な気候風土の場所がある。しかし、所詮小さな島国のことに過ぎない。一端世界に目を向けて見れば、もっと様々な場所で人間の営みが行われている。そんなことを改めて教えてくれるバローはすごいところなのだ。
 なお、バローを語る上で忘れてならないのは、3頭のクジラが氷に閉じ込められた事件である。日本のテレビでも盛んにやっていたが、あれは我々がバローを離れた数日後に起ったことで、いかにバローがすごい所かおわかりいただけるでしょう。
10.罰ゲームは2回ある・・・表と裏

 「ウルトラクイズに出た」などと言うと、必ず聞かれる質問がいくつかあります。そのひとつが「罰ゲームって本当にやってるの?」というもの。どうもテレビで見ている限り、あれは「やらせ」と思っている人が多いようですが、はっきり言って罰ゲームは本当にやっています。罰ゲームにもいくつかのパターンがあって、肉体的にきついもの、心理的にショックを与えるもの、人前で恥をかかせるもの、そしてこれらの複合されたものなどです。特に若い男性が肉体的な罰ゲームをやらされる時は結構なしごきになります。経験者の話を総合すると、ひとつの罰ゲームには平均2時間ぐらいが費やされるようです。例えばボートに乗って「そのまま日本にお帰り」となった場合、1〜2時間は漕ぎっぱなしになるそうです。漕ぐのを休もうものならスタッフから怒鳴られます。満潮になったら水没してしまいそうな小さな島に半日置き去りにされた人もいましたし、軍隊で厳しい訓練をつまされた人もいました。しかし、これらはすべて冗談でやっているわけではありません。スタッフは笑いながらも、クイズをやっている時には表に出なかった挑戦者たちの別の一面を画面に出そうと苦労しているのです。まったく頭が下がる思いです。
 罰ゲームは、ある意味で挑戦者一人一人に与えられた賞品でもあるのです。その場所で負けたその人にしかできないことなのですから。事実、挑戦者たちは自分に与えられた罰ゲームを「自分だけのもの」として大切な思い出にしています。こんなことがありました。ある時、敗者となった女性がパラシュート降下の訓練を受けた後、飛行機から実際に降下するという罰ゲームが行われたのです。罰ゲームをやった女性もその時は泣きたくなる思いだったでしょうが、後になって、あれは罰ゲームではなく最高のプレゼントだったことに気付いたと思います。だって誰もが経験できることではないのですから。(スタッフも決して無理強いはしません。最後まで本人の意志を確認していることも付け加えておきます。)それにウルトラクイズの旅には必ず医師が同行していますので、あまりにひどいものはやりません。すべてが貴重な体験なのです。ちなみに私は第8回ウルトラクイズの時、ヘドが出るほどのトレーニングをやった後にボクシングの元世界ヘビー級チャンピオン、ジョー・フレージャー(1971年モハメド・アリに判定勝ち)とスパーリングをやらせてもらいました。触っただけのようなボディーブローでもかなりしんどかったのを覚えています。(彼は映画「ロッキー」にもアポロ・クリードの友人として登場しています。)
 さて、以上はいわゆる表の部分、つまり罰ゲームのほんの一面です。ウルトラクイズの旅を終えて日本に帰ってきた人たちが一様に口にするのが「本当の罰ゲームは、たったひとりで日本に帰って来ることだ」と言います。どういうことかというと、明日の見えない旅を続けるウルトラクイズでは、挑戦者たちは必然的に結びつきが強くなります。合宿のような生活を送り、様々なクイズの勝負を通し、そして様々な行動を通してお互いの「明日はわが身」という不安を慰め合い、また励まし合っています。毎日誰かが敗者となって消えていくとわかっていても、やはり自分が敗者になった時には、その実感に対処しきれないのが実情のようです。クイズに負けて敗者になると、最後のお役目である罰ゲームをやった後、スタッフの一人に連れられてホテルに向かいます。チェックインした後はスタッフもいなくなり、まったくひとりぼっちです。負けた瞬間から勝者と会うこともできません。ホテルも勝者とは違ってかなりランクダウンされます。朝になると迎えのスタッフがやって来て、空港に送ってくれます。そしてひとりで帰国するわけです。何が辛いかと言うと、たったひとりで過ごすホテルの夜が、みなさん相当こたえるようです。毎晩みんなで楽しく過ごしてきたのに、そして数時間前までみんなでいられたのに、今はたったひとりなのです。この落差に耐えられず、大抵の女性は寂しくて涙が止まらなくなるといいます。こればかりは経験した人にしかわからないものがあると思いますが、よほど図太いか海外へのひとり旅に馴れている人でない限り、男性でも同じような心境になると思います。こちらが本当の罰ゲームだと言われるのはこのためです。
11.カレンダー1頁分の大冒険・・・あなたはロマンを持っているか

 ここまで書いてきましたが、とにかくウルトラクイズは参加してみなければそのスケールの大きさや感動がわかりません。テレビ画面から伝えられるのはクイズを中心にしたほんの一部分に過ぎないのです。誰かが言っていました「いくらお金を出してもできない旅だ」と。その通りなのです。海外旅行は今や誰にでもできるものになっています。しかし、同じ夢を持った人たちと、すばらしい場所を回り、明日がどうなるかわからない旅をするというのはウルトラクイズでしか体験できません。実際あの旅は想像をはるかに超えていますし、普段の生活からは得られない何かを与えてくれるのです。だからこそ、何気なく参加してアメリカまで行ってしまったというような人たちが、毎年「もう1度」といって挑戦して来るのです。まあ、一種の麻薬のようなものでしょうか。優勝しようというのでなければ、特別な知識は必要ありません。そこそこの知識で2週間前後は勝ち残っていられるものです。それだけでもウルトラクイズの魅力を知るには十分なのです。
 まだまだ書きたいことや裏話もあるのですが、限られた紙面上ですのでこれぐらいにしておきます。ウルトラクイズの参加募集は毎年5月末に始まります。詳細は省きますが、もし来年参加したいとお考えの人は心に留めておいてください。なお今年の第15回ウルトラクイズは11月7日(木)から4週にわたって放送されますので、ぜひ見てください。そしてその後もう一度この原稿を読んでみると面白いかも知れません。


執筆後記  冒頭にも書きましたとおり、この文章はかなり前に書いたものですから、今更新鮮さはないかもしれません。それにあの頃はまさかウルトラクイズが終わってしまうなんて夢にも思っていなかったですし・・・。
 また、これは「アメリカ横断ウルトラクイズ」という番組は知っているが、出場したこともないし、出場したいとも思っていない、ごく一般の人(当時の同僚社員)向けに書いたものであるということをご承知おきください。
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