G・I・グルジェフ『ベルゼバブが孫に語った物語』
通読のための手引き
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最初の課題としての『ベルゼバブ』
このホームページを読んだ数人の人から、グルジェフの指し示した方向性をもって何か自分ひとりで始められることはないかという共通の質問を受けたことがある。ところがそのうちだれも『ベルゼバブ』を読んだことがない。『ベルゼバブ』を読むのはとてつもなく難しいという定説を信じているか、実質的なものは読書では得られないという見解をもっているのではないかと思う。
本から知識を仕入れるのは本物の理解を育てることではないというのはグルジェフも認めることであり、初期の講話の記録のなかにはこれを強調する言辞が見られる。ところが、のちにグルジェフは執筆に多大な努力を傾け、一時期には現場でのワークを主導することより執筆を優先させた。そして新しく関心をもった人たちにまっさきに求めたのは『ベルゼバブ』を読むことであり、グループでの取り組みやディスカッションの場でも、必ず『ベルゼバブ』の朗読があった。
『ベルゼバブ』はたんに知識を仕入れるための読書とは異なる体験を与えるために書かれた本である。それは必ずしも難しいという意味ではなく、きわめて読むのが難しいという神話はもっぱら翻訳上の問題から生じたものである。ただし、単純に自分なりの解釈や教義めいたものを引き出したり、簡単に知識欲や好奇心を満足させたりということを期待しているのならば、そのような期待を満たすのはたしかに難しく、そのような通常の書き方がされた本ではないというのはほんとうであり、それについてグルジェフは次のように語っている。
「私は……独特な順序といわゆる対峙的論理を用いることにより、真実を告げる諸々の概念の本質が、いわゆる醒めた意識から、ふつう下意識と呼ばれるものへと、いわば自動的に引き渡されるようにするつもりである。……あなたの下意識が生まれてはじめて能動的に考えることをあなたに強いるようにさせるのである」 この本は、それを読むという課題に取り組むこと自体が個としての成長のプロセスと深く関係したひとつの具体的な体験となるように書かれている。これを読むことは、「ワーク」についての知識を仕入れることではなく、その真髄を身をもって体験することである。この長大な物語を読むなかで、頭と心と体という三位一体の構造を宿した存在としての人間に可能な個としての成長の秘密中の秘密について知りたい、そしてその方向での具体的な手がかりを得たいと思うのは自然なことである。そしてその期待を裏切らず、ベルゼバブは物語の最後でそれを明かすのだが、そこでのメッセージは「これはもう知っているはずのことである」ということであり、そこに到達するまでの過程で読者が体験してきたはずのこととの関係をもって、その秘密は語られるのである。だが、ベルゼバブのこの指摘に「えーっ?」と思うのではなく、感謝をもってそれを受け取れるようになるには、やはりグルジェフが最初に勧めるように三回は読む必要があるかもしれない。
「全体とすべて」三部作の読み方について、グルジェフは次のように助言している。
「私の著作に関心のある人は、意図された順番に逆らって読もうとしてはならない。すなわち、先行する著作の内容にじゅうぶんに親しんでいないかぎり、後続の著作にはけっして目を通してはならない」
これについては「これってマジ?」という反応が多く、『ベルゼバブ』よりも一見して読みやすく映画にもなっている『注目すべき人々の出会い』から読むほうがよいのではという意見もあるため、著者からのこの助言がすっきり理解できるよう、三部作それぞれについて意図された「対象年齢」について触れておこうと思う。
第一作 『ベルゼバブが孫に語った物語』
第ニ作 『注目すべき人々との出会い』
第三作 『生は私が存在するときにのみリアルである』
多くの人にとっては意外なことながら、ほんとうに『ベルゼバブ』は、「責任ある年代」に向けて成長しようとするうえでどうしても理解しておくべき「宇宙の常識」を伝えるために書かれた、その意味では「子供向け」の本なのである。もっとも、地球の子供たちが教えられる常識は宇宙の常識から外れたところが多いため、この本を読むというのは「破壊的」なことでもあるのだが、その後の健全な成長や発展のための土台として、著者はまずこのカルチャーショックから始めることを望んでいる。
客観的な視点から見てまっとうな成長を志すならば、まずは子供時代に始まるその前の時点で自分がもう染まってしまっている人類の集合的な異常性ゆえの各種の先入観や思い込みから脱する必要があるということである。これは人類の歴史を清算することに等しいから、ある意味ではこの最初の課題がいちばん難しいが、この最初の課題から始めるならばその後の成長は自然かつ容易なものとなる。第一作の『ベルゼバブ』が第二作の『注目すべき人々との出会い』よりもずっと難しいと感じられることには、それなりの理由があるのである。
どのように読むか このような意図で書かれた普通ではない本として、『ベルゼバブ』は、かなりの時間をかけて読んでいくのがよい。これは図書館で借りてきて三週間で読み終えるといったようなことのできる本ではない。知識欲にかられて、あまりにも大急ぎで読もうとするのでは、「印象の消化」という、物語のなかでも取り上げられたひとつの大きなテーマに即した体験がじゅうぶんに得られない。先を急がず、数ヶ月もかけて、少しずつ読んでいくのが楽しい。
「あなたは少しずつ読まなければならない。一ページごとに区切りなさい。そしてまずは読んだ内容を頭で理解しようとし、その次は心で感じ、さらにその次には身をもって感じようとしなさい。そしてこのように一巡したら、また頭で意味を考えることに戻る。こうして三つのセンターを使って読むことの練習を重ねなさい。 どんな本にも自分を豊かにするために使える材料がある。どんな本にもだ。大量に読むことが大事なのではない。読むことの質が大事なのだ」(グルジェフ ミーティングの記録より)
ここで提供する新訳版は、そのような読み方をするのに適した体裁となっている。ファイルを購入後すぐに全部を印刷すると、分量に圧倒されるだろうし、どうしても先を急ぎたくなりがちなので、これはあえてしないほうがよいだろう。むしろ、章単位でテキストを印刷し、それを持ち歩き、自宅だけではなく電車のなかや喫茶店など、時間があるときに少しずつ読み進めるのがよいのではないかと思う。余裕のあるレイアウトにより、目に負担をかけずに読むことができる。一冊の分厚い本に製本されていたらかなわないことである。読むということが頭による知識の吸収に留まらないようにするためには無用のストレスが伴わないことが大切であるから、このような違いは大きい。
聴覚の動員 かつてグルジェフの弟子たちの多くはもっぱら朗読を通じて『ベルゼバブ』に親しんだ。しかも彼らは、まとまった形で朗読を聴いたのではなく、グルジェフがそのときどきに指示した特定の章を少しずつ聴くことを重ねながら、あたかも新しい言語を学ぶようにして、だんだんとベルゼバブの世界に親しんでいった。ベルゼバブとハシィーンの間での対話を主体とするこの作品は、耳で聴くのがもっともふさわしい。これは目で読むのとはまったく異なる体験であり、目で読むときには抑制されがちになる別の感受性をもって物語を聴くことになる。
英語では肉声による見事な朗読を収めたCDが発売されている。日本語ではこれがないが、最近品質をあげつつある読上げソフトを活用することができる。現時点では『ベルゼバブ』の朗読にふさわしい味わいをもった音声のソフトは見当たらないが、聞き取りやすさの点では、高音質ソフトの完成度はかなり高まっている。ひとつの章をまずは目で読んだ後にこうしたソフトを利用して耳で聴くことは非常な助けになる。読上げソフトの利用法の詳細については、購入申し込みページで解説している。
ベルゼバブの語りを耳で聴いてついていけるのかという疑問があるだろうが、これは思うよりも容易である。日本語訳にあらわれたひとつの利点として、耳で聴いて意味のとりにくい難しい漢字表現はほとんどでてこない。これはベルゼバブがなじみのないカタカナ語をたくさん使ってくれているおかげであり、それは一般的にはこの本の難解さをかたち作っていると思われているのだが、耳で聴いて味わい深いものであるうえ、耳で聴くのに適さない漢字表現を減らすことにも役立っている。ベルゼバブに特有の言葉をカタカナで表記するにあたっては、ベースとなるロシア語での表記、ならびにグルジェフによる発音指示を記憶する直弟子たちの発音を収めた音声データを参考にしている。
カタカナで表記されたこれらの造語は、かえって理解を助けているという側面もある。つまり、日本語では漢字表現に変換されることが多い各種の抽象的な言葉は、いろいろな思い込みや連想による多様な解釈につながりやすく、それが哲学書をはじめとする一般の書物の「わけのわからなさ」や「あいまいさ」をかたち作っている。『ベルゼバブ』ではこれがほとんど皆無である。
ベルゼバブの星の言語に由来するそれらのカタカナ語は、頻出の単語を除いては、ふつうすぐに「地球の言葉」で言い直されている。また、忘れたならば、電子書籍のメリットを活かして、用例を検索してみればよい。代表的な言葉については、索引からの検索もできる。
難解さの種類 『ベルゼバブ』のなかで、ほんとうに手ごわい章は、いくつかに限られる。それらは、地球の人類の集合的な認識にとって挑戦となるような意外な角度からの洞察や、一筋縄ではない認識を呈示する章である。それらの章が挑戦となるのは、その内容の難しさゆえというより、その内容の重大さゆえ、あるいは全人類的な先入観ゆえである。その最大の例が、「善と悪」という概念を扱った44章や戦争の原因を扱った43章である。
ベルゼバブが呈示する宇宙観と科学観も難解な印象を与えるが、じつはグルジェフの死後における特定の分野での科学の流れに照らすと、その内容は法外というより先見的なものである。その内容には、現在発展中の複雑系科学の分野での知見と共通するところが非常に多いから、この分野での知識はベルゼバブの言葉の理解に役立つであろう。
また、『ベルゼバブ』には、ベルゼバブの地球での体験や各国での見聞を扱った、それほど難しくない章も多く、それらをゆっくり読んでいくのは楽しいものである。
はじめてグルジェフを知る 『ベルゼバブ』を読んでいないのならばグルジェフを知っていないと同じである。日本にグルジェフが紹介されてもうずいぶんの年月がたち、いろいろなところでグルジェフは論じられているが、じつはまだグルジェフはほとんど知られていないのである。各人各様の解釈や誤解によって偏向したものとなりやすいグルジェフをめぐる議論から離れて、グルジェフが伝えようとしたものに純粋なかたちで接するための機会として、『ベルゼバブ』はかけがえのないものである。
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©Plavan N. Go, 2008 / HOME