老人介護についての個人的HP- 介護基本原則(9)
私はこのHPを開設すると同時に、リンクのコーナーにご紹介しております「どれみ」さんの在宅介護者さん方の集うインターネット掲示板に積極的に関わるようになりました。そこでは様々な喜び苦しみが赤裸々に語られ、職業人・専門家としての自分の無力さをしみじみ味わったものです。(今はそういう言い方さえ、不遜に思えます。)そんな家庭介護を実践されているご家族の悩みの声の中でもっとも深刻と思えたのは、「自分の中の“魔”と向き合わなければならない。」ということでした。本当はここにその声の一部でもご紹介したいのですが、それはできないことです。(インターネットの中も、やはりそこまで出かけてきた方々の“プライベートな空間”です。)そこで、既にマスコミに発表されている文章の中から、表現は冷静ながらもその点にもっとも肉薄していると思える一文を以下にご紹介します。
介護専門職の総合情報誌「おはよう21」1996年7月号 エッセイ「本音で話そう福祉のこと:不機嫌予報発令中:久田 恵」から抜粋
「私、今、すごく不機嫌だから気をつけてね。なにをするかわからないわよ。」最近、私は自分が不機嫌な時は不機嫌だゾと宣言することにしている。そうしないと回りがうんと迷惑するからである。とりわけ母への介護が粗雑になる。思わず、心ないことを口走る。そう、私はそういうおぞましい人間なのである。
「介護」をしていて一番つらいのは、物理的な大変さよりも、本当は「介護」という場面に思わず映し出される「自分のおぞましさ」を見なければいけないことだ。
なにしろそれまで、私は自分を「優しい人間だ」と思ってきたし、人からもよく言われてきたのだ。ところが介護をしていると、優しくない自分が時々剥き出しになる。「ああ、なんて私っていやな人間なんだろう。ああ、エゴイズムの塊だぁ。」私は自分の中にある悪意に愕然として、そういう自分が許せなくて、深夜に一人、号泣したりしたのだった。そんなとき、「おかあさん…」声がして、見たら部屋のドアの前に息子が立ちすくんでいたりしたこともあった。
経験しない人にはわからない、なんにもしないで美しいことを言っているだけなら、いくらでも人はいい人でいられるからね、そう言いたくなる心境だった。いやな自分に出会って自分が傷つくのは、つらいことだった。
…
エゴイズムの根っこを抱えたお互いが、お互いをありのまま受け入れて、なおかつどう愛し合えるか、それが追及していくのが人間の力量というものだ。だから、力量つけなくちゃ、と思う。でも、その道はあまりにも遥かだ。で、いたしかたなく不機嫌予報を発しつつなんとかやっている。
が、この介護の場面に映し出されるエゴイズムの問題は、なぜかあまり語られない。「介護地獄」を作っているのは福祉がひどいせいだ、という声を頻繁に聞くけれど、「介護」に関わる私たちのエゴイズムを克服する価値観を共に見つけ出す努力もしないままに、そのことに苦しみもしないで、いやはいやよ、と見てみぬふりで通りすぎてしまうと、皆のイヤなことを肩代わりするだけの思想のない施策ばかりを求めて、結局は自分たちの日々をシアワセじゃないものにしてしまうのではないかしら?
(なおこの文章は、「家族だから介護なんてこわくない?!:海竜社」という単行本に再収録されております。)
私は、何の解決のための方法も考え方も持っていません。せめて、『「介護」に関わる私たちのエゴイズムを克服する価値観を共に見つけ出す努力』する一人でありたい、と願うだけです。でも、もしもこのHPをご覧なっている在宅介護当事者さまの中で、「ご自分のおぞましさ」に悩み苦しみ傷ついている方がいらっしゃるとしたら…このコーナーに書いてきた「健康な生活の基本」なんて、バカバカしくて読んでいられないかもしれませんね。
でも、私は『あなただけではありませんよ。まだ見ぬ仲間はいっぱいいますよ!』と声を大にしてお伝えしたいと思います。そして『自分の中の“魔”に向き合うことのできる方は、とても勇気のある強い方だと思います。』ともお伝えしたいと思います。在宅介護の当事者ではない私が声を大にしてもあんまり真実味がないかもしれませんが、引用させていただいた久田さんはじめ、多くのお仲間をご紹介することはできます。ぜひ、どれみさんの上記インターネット掲示板「あったかひだまり待合所」までおいでください。多くの方が、私も含めてお待ちしております。
そして職業人の皆さまは、介護にあたるご家族さまがこのような事柄で深く悩んでいる現実を、よくよく知っていただきたいと思います。「在宅支援」という作業が、とてつもなく深いものであることが感得できると思います。