老人介護についての個人的HP- 記念写真のページ:2004/12/4,5山口

山口県理学療法士会研修会「椅子座位と車椅子座位について」記念写真

 2004年12月4日(土)5(日)、山口県下関市で山口県理学療法士会研修会のお手伝いをしてきました。講師としては大変有意義に感じられた1.5日間でしたが、山口と言えば、私が高校生の頃から大好きな詩人『中原中也』の地、です。研修会前の2時間と研修会後の1時間で、山口県理学療法士会さんにドライバー&ナビゲーターさんまで配慮していただいて、駆け回ってきました。(^_^;

ますは、一度は訪れてみたかった「中原中也のお墓参り」。25年経って、ようやく実現しました。
お墓に刻まれた「中原家累代之…」の文字は、中学2年の中也の文字ですが、翌年には文学にふけって中学落第し、京都に流れていきます。

墓所の裏手を流れる吉敷川。なんてことない小川ですが、ここは中也が「河原に自分の骨がヌックと立っている」という、
故郷への悲しい想い(死なないうちは故郷に帰れないのか?という想い)を重ね合わせた幻想を詩に読み込んだ、その河原です。
25年間、「どんな景色を中也は思い浮かべていたんだろ〜?」と、想像してました。
お墓の写真やこの写真がなんとなくぼんやりしているのは、シトシト雨が降っていたせいでしょう、それも何だか良い感じです。

こちらは山口市内湯田温泉街の中にある、「中原中也記念館」。
もともと中也の生家があった場所ですが、残念、昭和47年に家事で焼けてしまったそうで、その跡地に建てられています。

記念館内で、とうとう『自筆草稿』を拝見しました。身体が震える思いです。
『女よ』という詩の草稿ですが、これも良い詩です。
中学落第して京都に流れた中也は、すぐに2つ年上の女性と同棲を始めます。
ところがほどなく、その女性が中也の友人である若き日の「小林秀雄」のもとへ走ります。
で、またしばらくして、今度は小林秀雄が、この女性のもとから逃げ出します。
その際に、「俺のところへ戻ってこいよ!」という想いを切々と歌った詩です。

その時の中也の様子を、同じく友人だった若き日の大岡昇平は後年、
行方不明になった小林を探し、残された女性の面倒をみようという中也の様子を、
『他人のことを心配して奔走する人の顔でなく、人の不幸を楽しんでいるだけのおたんこなすの顔であった。』と書いています。
そういう中也の当たり前の人間臭さ、そしてそこから生まれる美しい詩のコントラスト、そんなものが好きなんですね。
結局その女性と中也は、もとのサヤに納まることはなく、また別の男性の子を産んだ女性に対して、その子の名付け親になってたりしてます。

湯田温泉街の中、中也記念館の近くの「高田公園」内にある、中也の詩碑。
「故郷」という有名な詩の一部を小林秀雄が書き、中也を紹介する碑文を大岡昇平が書いています。
大岡の文章、あっさり淡々と書かれていますが、その実、満ち溢れんばかりの友情が感じられる、実に良い文章です。
もう、やけになってここにも書いておく。(^_^;

 中原中也は明治四十年四月二十九日この地に近い湯田温泉横町に生まれた。その卓れた詩才は県立山口中学校に在学中から現れていたが、昭和九年詩集「山羊の歌」が東京で出版されるに及び広く詩を愛する人々に認められるに至った。不幸病を得て、同十二年十月二十三日、第二誌集「在りし日の歌」の上梓に先立って、鎌倉の寓居に没した。その名声は死後ますます高く日本近代詩史に揺るぎない地位を占めている。
 この度山口市長兼行恵雄の斡旋により、同郷の有志、東京の友人ら相寄り、ここに詩碑を立てて、その詩業を記念することにした。碑表の文字は詩篇「故郷」より取られ、友人小林秀雄が書いた。

昭和四十年五月 友人大岡昇平之を誌す

『昭和40年6月のこの詩碑の除幕式には、かつての中也の友人である、小林秀雄、河上徹太郎、大岡昇平、今日出海らも出席し、母フクの手で除幕されました。』とのことです。 お母さんのフクさん始め、名前のあがっている友人の、そして著名になられた文学者さん方は、今はみな既にお亡くなりになっていますね。この詩碑の前に立つと、何かこう、グッと迫るものがあるんです。(^_^; 25年間、この詩碑の写真だけ見てたんですしね。

さ、これは研修会が終わってから新幹線に乗るまでの間の1時間のうちに訪れた、『関門海峡』。
生まれて初めて目にし、たたずんでみました。あっちは九州、門司です。
が、冗談で、「新潟の川の方が広いよ〜」と。(^_^;
で、この文章を書くに当たって電子地図帳で調べてみたら…本当に写真の『関門海峡』よりも、
日本海に注ぐ『阿賀野川河口部川幅』の方が、広い…ちょっと驚いた。
水深は海の方が深そうですけどね。

とうとう九州上陸!これは『門司港レトロ』というエリアの写真です。良い雰囲気ですが、まだまだ開発途中なのかな?
まさか、九州まで行けるとは思っていなかったです。山口県理学療法士会、研修企画部の皆さん、ありがとう!


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