老人介護についての個人的HP:雑記帖(19)長崎〜奈良〜静岡
平成13年3月24日〜26日にかけて、長崎〜奈良〜静岡を回ってきました。メインは25日(日)の『長崎県作業療法学会』へお招きいただき、つたない一般講演をしてきました。
で、せっかくなので前日24日(土)には、長崎県吉井町にある『特養サンフラワー』さんにお邪魔して「心くん」の生みの親、『まこちゃん』にお会いしてきました。
ついで、翌日26日(月)には長崎から新潟に帰る途中下車ということで、午前中には奈良郡山の『どれみ』さん、午後には静岡浜名湖畔の『さっちゃん』にお会いしてきました。
おそらく、自身の人生中でも忘れることのできない3日間になりました。以下に、写真での行脚の様子と、講演内容の覚え書きをご紹介いたします。

新大阪で夜行列車から新幹線に乗り換え、博多に向かう途中で新倉敷手前にて、車窓から見えました!わが母校!真ん中に小さく写っているのが「K医科大&付属病院」ですな。これ、確か16階建てだったと思う。本当は母校の「リハ学院」は、この巨大建物の右側に小さく建っているはずなんですが、当然丘の陰で見えません。(^_^;

丸12時間をかけて長崎について、真っ先にサンフラワーさんへ。じゃーん!これが「まこちゃん」です。かわいいHNから、一部に「可愛い女性なのか?」との誤解を与えつつ、実はこんな大男です。(^_^; いつのまにか、心くんだけじゃなくて、赤ちゃんまで生まれていました。(^_^;

サンフラワーさんで最初に通された「喫茶室」にて。ふと目の前の喫茶メニューに目をやると、何とそこには『焼酎:100円』の文字が!!「常識の範囲内で“何でも自由”」なんですね。タバコも24時間いつでもどこでもOK、必要な方には職員が喫煙の間、そばにつくそうです。
この喫茶室にいても、周りのわやわやわらわらした雰囲気が喫茶室の中まで伝わってくるし、まこちゃんの運転で佐世保駅からサンフラワーさんに着いたとたんに、玄関ホールから「わんわん!」とばかりに犬が3匹お出迎えに走ってくるし、玄関前ではヤギが草食べてるし…、何とも「いいところ」です。その様子の一部はまた改めて、本編でも、別の写真で追加紹介しますね。

一旦、長崎市に戻ってみると、そこは危険な街でした。道の真ん中に「ご神木」が立ってる…(^_^; 細い坂道とかも車で上り下りしたけど、怖かった。(^_^; 自転車が少なく原付バイクばかりうじゃうじゃあって、ナンバーが「5ケタ」なのには思わず絶句…。

夕食は長崎市内の中華街へ行きました。雑貨の店とか面白かったです。本当はこの中華街入口の門、もっと綺麗で華やかなんだけど、デジカメにはうまく写らなくて残念!

夕食で食べた、「がちょうの卵を地面に埋めておいて腐らせた」ピータン。意外?と、おいしかった。(^_^;

長崎市と言えば、やっぱり夜景!地元民しか知らないという絶景スポットに案内していただきました、が、これまたデジカメでは、あの雄大にしてキラキラした感じが全然表現できなくて、残念!

いよいよ学会当日の朝、学会会場のある「諫早」の駅です。干拓で話題の街ですが、駅は思いのほか小さいの〜。

こちらが学会・講演会場、「諫早福祉健康センター」です。2時間ばかりのお話をさせていただきました。デキはねぇ…?(^_^; 一応、下にその内容の覚え書きを残しておきました。

さてさて、どうにか長崎の仕事を終わらせて夜行に乗り、月曜朝のラッシュアワーの大阪を乗り継いで、やってきました、奈良郡山の「どれみさん」のところへ!「いつかお会いして、一杯お礼がしたい。」との夢が、やっとかないました。連絡なしの飛び込みだったのに、ご自宅にまでお邪魔させていただき、色々なお話を聞かせていただきました。貴重な2時間半でした。

午後からは静岡の浜名湖畔の「さっちゃん」のところへ。さっちゃんもお仕事中のところ、本当にお邪魔してしまいました。さっちゃん、職場で活き活き元気!若いスタッフさんとのやり取りも、脇から聞かせてもらって思わず感心してしまいました。しかし、さっちゃん、小さい小さい。(^_^; まこちゃんと並んだら、どんなふうになるのだろう?まこちゃんは上の写真で言えば、写真の上の「2時間半」くらいのところにはなるんだけど…。(^_^;

3日分のJR券、全部、です。あと、浜名湖鉄道の切符も2枚。(^_^; 不思議なことに、疲れを感じない3日間でした。
以下につたない公演内容の覚え書きを記録しておきます。半分、自分自身のための記録みたいなものです。(^_^;
ちょっと細かく見ていただければ分かる通り、既にHP内にまとめている話題も結構出てきます。そこについては、リンク文字で関連該当ページを( )で示してあります。また、HP内にまとめていない話題については、赤文字で簡単な内容ごと掲載しています。
長いですが、ご興味のある方はどうぞ。
@PTとしての経験年数と内容について。
A現在の職場と現在の仕事内容について。
B新潟・長岡の写真紹介。
C長崎のこと:PT学会で訪れたこと、長崎県人の同級生のこと。
@医療や介護や科学、PT・OTのあり方について、といった内容であること
APTとしての出発点の経験。
県庁職員の経験と岡山県山の中の小さな家への家庭訪問時の経験。
その直後の三好春樹氏や竹内Drとの出会いについて。
BPTとしての基本的な立場・姿勢・思想=現実主義者・生活支援者であるということ。
@リハビリテーションという言葉の意味。
Aリハビリテーションの分野と手段。
B医療とは?治療契約について、確認する。
※治療契約の内容
A患者へのインフォームドコンセント:十分に説明を受けたあとでの患者の承認。
B患者へのインフォームドチョイス:患者が、無治療や尊厳死も含めて治療方法や医師を自己意思で選択する。
C患者の治療への協力と不利益の甘受:インフォームドコンセントとチョイスの結果、治療者と共同して治療行為にあたる決意と、その治療によって同時に生じる不利益を受け入れること。
D治療者の最大限の治療努力
医療における医学治療とは、以上のような治療契約が成立していることが基本。だが、これまで日本では、極めて曖昧にされてきた。ただし、最近はマスコミの先導?により、かなり状況が変わってきているし、この流れは介護保険でも汲んでいる。
問題は、今の医療現場というものは、このような治療契約が個々の患者さんと結ばれていることが前提のシステムであり、施設構造であり、人員配置である、ということ。治療契約が結べない方でも医療は必要であって、実際問題として治療契約が結べない方が医療機関にどのような対応をされてしまうか?
@森先生の文章との出会い:活動理論と後退理論について(→活動理論と後退理論について 活動理論と後退理論〜2)
A物理学と宗教の影響
a自然科学の歴史:ニュートン、プリンピキア・万有引力、要素的自然観から
→アインシュタイン相対論
→ハイゼンベルク量子論、不確定性原理へ
→ 自己への確信と、客体との区別への確信への揺らぎ。
a1 ニュートンのプリンピキアにおける科学思想
デカルト的考えでは、ものとものとの間にも何かがべったり詰まっているので、こっちが動くとあっちも動くというように世界を複合系として見る。だから宇宙の出来事は、あらゆることが関連している。地上の事も天上の事も渾然一体となっていて、たとえば天体の運行を数値的に計算して予言することができないのである。
ニュートンは、空間をからにしてそこに物を置く。なぜ、からなのかは問わないで物の運動だけを問う。だから宇宙全体の構造がどうなっているかということに目をつぶっても物体の運動は解ける。(絶対空間と絶対時間の仮定)ニュートンは、世界の多くの現象をなにもかもからみあった複合体としないで、個々バラバラな局所的な運動法則で記述できるとした。こうしてはじめて自然科学を哲学から切りはなすことができたのである。
この意味でニュートンにおいて、近代合理主義的自然科学が始まるといってよい。このように物を複合体としてではなく、個々の要素に分解して研究すれば、世の中の現象がわかるという考え方は要素的自然観とよばれる。そしてこれは、近代科学の大発展の基礎となった考えである。
a2 アインシュタインの一般相対性理論の意義
ニュートンがはっきりと別物と想定した、「物質」「空間」「時間」というものが、実は相対的なものであって、相互作用的なものであるということを、科学的に明らかにした。絶対空間・絶対時間の否定。巨大な質量の周りでは空間はゆがむ、運動する物体の質量は光速に近づくほど大きくなり、光速に達すると質量は無限大になる。=光速を超える運動スピードはあり得ない。光速に近いような速度で運動する系においては、外部の系よりも時間の進み方が遅くなる。など。
a3 ハイゼンベルクによる量子力学論と不確定性原理の世界観
すでにアインシュタインによって「光は粒子でもあり波でもある。」ということが明らかになっていたが、あらゆる素粒子は同様に実体としての粒子ではなくて、粒子とも波ともエネルギー場とも区別のつかないものであることが明らかになってきた。さらに不確定性原理により、ある瞬間の粒子の位置と運動を同時に厳密に定めることはできないということが明らかにされた。観測者が粒子の位置を確定したとするとその運動が不確定となり、運動を確定すればその位置は不確定なものとなる。
人間が患側対象をある特定の場所や状態で見出したとすれば、それは人間が観測することによって対象の状態を「確定」したということにほかならない。全ての対象は、人間に観測されて初めて完全な現象となる-言い換えれば、観測こそが現象のあり方を決めるのである。
bキリスト教・パウロ神学と浄土真宗・絶対他力、悪人正機説
b1 キリスト教・パウロ神学
「そこでわたしは、自分の場合にこの法則を見いだします。自分では正しいことをしたいと願うのに、悪が自分の中にあるということです。わたしは、内なる人にしたがえば神の律法をほんとうに喜んでいますが、自分の肢体の中では別の律法がわたしの思いの律法と戦い、わたしをとりこにして肢体の中にある罪の律法へと引いていくのを見ます。わたしは実に惨めな人間です!こうして死につつある体から、だれがわたしを救い出してくれるでしょうか。」 新約聖書ローマ人への手紙7章21〜24節節
「義人はいない、一人もいない。」 新約聖書ローマ人への手紙3章10節
b2 浄土真宗、親鸞の悪人正機説
『善人なおもて往生を遂ぐ、況や悪人をや』
(善人ですら極楽往生できる。ましてや悪人ができぬはずがない。)
『世間の人は、普通には、「悪人でさえ往生する。まして善人は言うまでもない」と言っている。このことは、一応、理由があるようであるが、弥陀の本願の他力にもとづく救いの主旨に背いている。なぜかというと、自己の力に頼って善事をなす人は、いちずに、弥陀の他力を信頼する心が欠けているから、弥陀の本願から外れている。しかしながら、その自己の力を頼む心をすっかり改めて、弥陀の他力をお頼り申しあげれば、まことの浄土の往生ができるのである。すべての煩悩を身につけているわたしたちは、どんな修行によっても、生死を重ねる迷いの境地をのがれることができないことを、阿弥陀仏がおあわれみになって、救おうとなさる願いをお起こしになる目的は、悪人も仏になれるというためであるから、弥陀の他力をお頼み申し上げる悪人が、第一に、極楽往生できる本当の因縁をなしているのである。
それで、善人でさえも往生する。まして、悪人は言うまでもない、と仰せられました。』
B三好氏の主張:生活リハという概念について
「生活リハ」とは、「日常生活動作の全てがリハビリ」ということではない。また、レクをするのが生活リハでもありません。三好氏の主張の主眼は、『高齢者の寝たきりや痴呆の原因は、その個体の医学的な内因によるものではなく、私たち(援助者)との"関係の障害"によるものであり、また"関係の障害"による"生活の破綻・生の破綻"こそが寝たきり・痴呆の原因である。その失われた"関係と生活"を取り戻すことが「生活リハ」ということである。』ということです。そのための技術や方法論は、決して体系化され整理されているわけではありません。少なくとも、自立・治癒を目指した治療医学やリハビリ観では通用しないし、要素的自然観ではなく援助者自らのあり方こそが問われる、という世界です。
ですから、老人施設のパンフレットや求人広告に「当施設は生活リハビリに根ざしたケアを…」というようなコピーを読むと、「分かっているのかな〜?」という気がします。少なくとも、三好氏の思想は、上記の様々な科学・宗教思想と渾然一体となって、私の中へ吸収されてしまいました。
C家族精神分析学の健康観 (→援助対象としての「一つの家庭」ということ〜家族精神医学入門〜 )
@問題点をあげるということ=問題点とはあくまで"相対的"なもの
問題点はそれに関する知識と価値観をこちらが持っていなければあがってこない。それがそのまま相手のニーズなのかどうかは分からない。その当たり前のことへの自覚がないと、介護保険時代に他職種との交流は?
A"見なし"に応えるということ
特定の領域の問題があると見なされた患者さん・被援助者は、治療共同体(援助共同体)の中で、「実際にそのような"重要な"問題を持つ存在であり、その解決に努力する存在」となっていく、ということ。この当たり前の現象に対する私たちの自覚は…?
B"科学"について
科学的とはどういうことか?科学的検証とは、要素的自然観に基づき患者を"一人の人"ではなくて、簡単に言えば患者を"部分的"に見て分析すること。本来、リハ医学はそういう医学のあり方に対して"全人的医療"であるはず。つまり、"科学的"ということと"全人的リハ医療"は、お互いに相容れない部分があります。同時に、被援助者=要介護高齢者とは"絶対的客体ではない"という事実に気づくと、科学的であることへの信頼や志向が揺らいできます。
ただし、PT・OTの医療における存在意義を他者にアピールするためにも、援助の効率=治療成績をあげるためにも、やはり科学的であることへの志向も必要です。
ですから、実際に日々の臨床の中で私たちは、A:全人的援助者の役割であるところのリハ専門職としてのあり方と科学者としてのあり方とを、はっきり自分の意識の中で区別すること、B:科学的であることのメリット・目的と、科学的であることの限界を意識していること、が、必要ではないでしょうか?それが無くて、ただ盲目的に科学的であるならば、そして盲目的にでも科学的であることがいかにも高尚でより価値あることというような価値観を持っていると、きっとそれを三好氏は「専門バカ」と呼ぶのではないでしょうか?
C建築機器環境について〜ちょっと具体的に〜
A西洋風建築に靴暮らし?(→“ぐちゃぐちゃ混ぜこみ食事介助”の投げかける問題)
B男性用小便器(→男性用小便器について)
C大浴槽と和式浴槽(→病院・施設の大浴槽について →家庭浴槽について)
Dテーブル高について(→食事テーブルの高さ)
@インターネットにおける僧侶の言葉。「医者・医療者は、徹底して治療に専念してくれれば結構。患者の悩みや人生についてなんぞに、関心をもってもらわなくても結構だ。」 → 私たちは病気・障害を診るのか?病気・障害を持つ人の生活・人生に関わるのか?
A医療が介護の現場を引きずるということ〜医療と介護の関係について。
半側空間無視者の前では、食事やモノは健側に?患側に?これはホームヘルパーや介護福祉士さんの試験問題から。あるいは、ベッドからの移乗時は車椅子はベッドに平行?それとも何度でセッティング?皆さんならどう答えますか?正解をどう説明しますか?あるいは三好氏の有名な質問、「高齢者の入浴は、何度のお湯が適切か?」
これらの問題の「正解」とは、どういう意味合いにおいて「正解」なのか?その説明が、介護の現場でどのような意味を持ち、通用するでしょうか?
@看護介護職者さんのPT/OTへの期待の実態と、PT・OTの役割
ありがたいことに「専門家が足りない」という介護保険サービスの現場、では、全ての特養や訪問介護・看護ステーションにPT・OTが配置されれば、問題は解決するか?むしろ、PT・OTの無力さが露呈しないか?「高齢者・慢性期者には"生活リハ"」というのは、逃げ口上ではないのか?
APT/OT法について・制度の枠について
以上のような現状の下、現行の理学療法士法作業療法士法では限界があるのは明らか。(医師の指示のもとに医療行為を行なう者、という規定しかない)新しい概念が必要では?public health の概念。「保健婦」ならぬ「保健PT」とか。また、科学者治療者としての教育と、援助者としての教育内容は、あくまで分けて考えるべきではないか?
@介護現場に関わってきたからこんなPTになった訳ではないこと。
私自身おそらく介護に関わらなくとも、こんな"変わり者PT"になったであろう、ということ。それはつまり、皆さんそれぞれの、様々な領域・現場で、皆さんのお仕事を見直すことが可能であろうこと。
A介護という場が与えてくれた視点
ただし確かに介護という現場が、医学教育・理学療法士教育を受けただけの私に、気づきを与えてくれたこと。そんな風に、ちょっと医療・医学の現場から自分の基点をずらすと、かえって医療・医学の現状がよく見える点があること。従って、専門家たるよう科学的であろうとすることと同等に、他の事柄の勉強をお勧めしたい、ということ。医療者の常識は一般社会の非常識?PT・OTの常識は他の医療福祉職の非常識?という意識は持っていたいこと。→抑制問題など。
↑このささやかな(僭越な?(^_^; )お話に対して、長崎県内のどなたかOTさんが、県士会誌に感想を寄せてくれたそうです。メールで文章を送っていただいたので、コピー保存しておきます。
去る3月25日に、諫早市健康福祉センターにおいて「セラピストとして、援助者として、ひとりの人として:多面的な意識のかかわりから見えてきたもの」というテーマで大渕哲也先生から特別講演をしていただきました。
大渕先生の名前は、この講演を知る前から、職場で一緒に働く二枚目理学療法士から聞いたことがありました。何でも、家族や、介護者への介護方法などが基本動作から食事、排泄などADL全般にわたり、事細かにホームページにまとめてあり、どれもわかりやすく、実践に即したものだと言うことでした。
長崎にその大渕先生がいらっしゃると言うことで楽しみに参加させていただきました。今回の講演では「老いる」という基本的なことの解釈から、医療とは?治療とは?治療契約であるという、私たちが普段は、当たり前のこととして通り過ぎてしまうところを、もう一度確認することが出来ました。(治療契約:1.インフォームドコンセント、2.インフォームドチョイス、3.患者の治療への協力と不利益の甘受、4.治療者の最大限の治療努力)「治療契約が成立しない方においては、治療共同体の中で、援助者の価値観が患者さんのあり方を決めていく」という話では、私は治療をする上で、利用者や家族の生活を知り、本当の問題点、ニーズを的確に見極めているのかと考えさせられました。
お話の中には、仏教やキリスト教等の宗教から見た人間能力への思想や、ニュートンやアインシュタインの自然科学、物理学に見る世界観などが登場し、多岐にわたる話題の中から私たちが「人」や、「健康」「老いる」と言うことを考えていくヒントが多くあると知りました。また、すぐに実践に利用出来そうな知識をいくつか教えていただきました。大渕先生の開いておられるホームページ上でも紹介されていたようですので、アドレスを記しておきます。…
うぇ〜ん、涙が滲むほど嬉しいです。(T_T) 正直言ってネームバリューの低さから、会場の聴取者さんが少なかったので、それだけも申し訳なく思っていたんですけど…少数でもこんなふうに感じてくれた方がいらっしゃったのならば、よしといたしましょう。