老人介護についての個人的HP-5 思索 - (10)「できる」と「している」2
さて、高齢者介護の場面においてはいかに「できる」ことを「している」こととして実現していってもらうか?「できない」ことでも「必要な介助を受け入れつつしていく」としていくか?それがいかに大切なことか、そして「させる〜させられる」という関係は避けたい、ということを前節で説明しました。
では、このような考え方を介護の現場にそのままストレートに当てはめてしまってよいのでしょうか?ここが人間同士の行なう介護の難しいところでもあり面白いところでもあるのですが、必ずしも現場では「教科書通りにはいかない」のですね。
例えば、施設内において「お風呂に入ろう!」という誘いに、必ずといって「拒否」される方がいらっしゃいます。「寒いから嫌だ!難儀いから嫌だ!」。ところがそこで相手の主体性を尊重して「あっそうですか?では、よろしければ次回にでも・・」とあっさり引き下がっては「介護関係」発展しませんね。
そんな時、入浴拒否が「異性の職員の介助を受けることが嫌」ということだったり「皆で一緒に入るのが嫌」ということだったりというように、何か原因があることもあります。このように「してくれない原因」を根気良く探り解決しようという姿勢は、最低限介護者として必要でしょう。
また、人によっては職員の側から「一生のお願いだから入ってください。」と頭を下げると入ってくれる方もいますし、いささか強い調子で「いつもそう言って嫌がってはダメ〜!」と怒るような態度を見せるとあっさり入ってくれる方もいます。前者の場合は「あくまで介護する側が下手にでて相手をたてる」ということで「してくれる」のですし、後者の場合は「嫌だけど相手が無理強いするから」と、介護者が「悪者」を演じることで「“させられている”ようにふるまいながら“している”」ということになります。つまり、あくまで介護者の責任おいて「している」ということです。特に後者の場合、本当に無理強いされることが嫌で嫌で、精神的な危機であるという状況なのか?まるでゲームを楽しむように職員を怒らせているのか?その違いは微妙ですし、見極めが大切です。でも、現場の方はよくご存知でしょうがその違いは、それこそ“その場の雰囲気”でよく感じられるものだとも思いますがいかがでしょうか?
特に高齢者の場合、このように「できる〜している〜させられる」ということが「豊かな人間関係の発現」ということも絡んで複雑な様相を呈することが普通です。もちろん、介護者ごとの人柄や特定の介護者と本人さんの関係によって、画一的な現れ方をするとは限りません。「していってもらう」ために、介護職員の誰かが頭を下げる役を担い、誰かが怒る役を担う、といったことも必要になる場合もあります。「できる〜できない/している〜させられる」といったことの基本的な意義・問題を踏まえつつも、柔軟な態度で臨むことも現場ではぜひ必要な姿勢なのです。