老人介護についての個人的HP-5 思索 - (21) 「介護」って?

「介護」って何でしょう?

疲れて『ポケ〜ッ!』としながら考えたこと…

  介護って何でしょう?寝たきりの方へ寝たきりのままで頭を洗ってあげたりシーツ交換したりするのも、確かに「介護の一部」だし、でも同時に「看護技術の一部」でもありますよね?「自立を目指した介護」というのもあります。それは「リハビリ」ってことでもあります。

 医学知識も必要だし福祉制度についての知識も必要だし、場合によってはお掃除や料理なんかも介護の一部になってきますね。

 つまり「(全ての診療科の)お医者さん+看護婦さん+ケースワーカーさん+PT・OT+家政婦さん」思いつくだけでもこれらの資格の知識や技術が、全部「介護」には必要とされます。

 でも、凄く頭の良い方がいて上記の資格を全てお持ちだったとしても、それで「良い介護(職)者」になれるか?というと、それだけではない!とも思います。

 その“+α”というのは、決して「思いやり」とか「優しさ」とか「情熱」とか「愛情」とか、そういう抽象論だけではないような気もします。(それも大切、ですが…)

 そして、ご家族さまにとっては「今日・明日も無事に過ごせるか?」といった切羽詰った状況こそが、「介護そのもの」だったりします。

 なんと言って良いのでしょう?高齢者の生きざまそのものに関わる時、医学知識や介助技術や、そういう縦割りな、これまでの既成の知識技術の呼称では表現しきれない、独自の「専門性のようなもの」がそこには存在するように思えます。

 それを何と表現して良いのか?今の私にはまだ「言葉」はありません。拙HPのあちこちでは、“思い”みたいな極めて抽象的な言葉で表現していたりもします。

 でも、確かにそれは存在します。というのは、同じ医療福祉分野で仕事をする者同士で色々な話をする時、「あっ!この方とは“思い・感性”が共有できる!」とか、「どうにもこうにもかみ合わないなぁ…」という経験をするからです。もちろん、こちらの一方的な思いこみ、勘違いなのかもしれませんが…。そしてその時、相手さんの資格や経歴はほとんど関係ありません。皆さん、そんなご経験はありませんか?

 三好春樹さんは、そのことを単純明快に「生活についての専門家」と表現されています。そして、「これまでそんな人はいなかったのだ。今、私たちが“生活の専門家”になりつつあるのだ。(そうあるべきだ)」という言い方をされます。うん、それは確かにそうかもしれない…。

 とりあえず「言葉」にはこだわらなくても良いのかもしれません。とりあえずは、医師・看護婦・PT・介護福祉士・社会福祉士・ホームヘルパー等々の“既成の資格”に乗っかっての「実践あるのみ!」で良いのかもしれません。でも、実践を通して何とか言葉にならない“思い”を具現化していけたらなぁ…。そうすれば、例えば「介護保険制度」だってより良いものにしていく原動力になるような気もするのです。

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