老人介護についての個人的HP-5 思索 - (29) 「車椅子を使わないケア」再考察
今は読めなくなっているこのページには、ここ2・3年、話題になっている「車椅子を使わないケア=目標指向的介護」と「パワーリハビリテーション」についての、私の「感想」が載せてありました。掲示板の方で、「5年目OTさん」から、「この文章内容には、間違いや不適切な表現がありませんか?」との指摘をいただきました。申し訳ないことに丸々半年過ぎてしまっているのですが、以下をお返事とし、改めて自分なりの見解をまとめてみます。正確を期すために出版物文献からの引用を用いますので、いささか長くなりますが、ご容赦を。
●掲示板における「5年目OTさん」のご指摘
掲示板にいただいた「5年目OTさん」からの指摘は、以下のようにまとめることができるかと思います。
Q1:目標指向的と目的志向型思考・ブレイクスルー思考等を混同なさっていませんか?まったく別物ですよ。
Q2:目標指向的介護は「車椅子を使わないケア」でもないし「歩けるようになること、ADLが自立すること」を大目標としているわけではないと思います。
Q3:ページ内容全体として、批判的な内容にとれてしまう、ほかの方を批判する場合には・・・。(もっと慎重に、気を遣うべきでは?)
Q4:それとも(大渕が自分では)間違ってるとは思っておられないとか?
●もともとの私の文章内容
こういう感想・疑問を抱かせてしまったもともとの私の文章ですが、複数の方が「問題あり」と感じている、とのことですので、要旨のみとしそっくり再掲することは避けます。ただし、以下において「自分に都合の悪いことは無かったことにする」ということはないつもりです。
1:パワーリハや車椅子を使わない介護についての、簡単な紹介。ただし、表面的な「こんなふうにしている」ということの紹介。
2:どちらにしても「きっと効果はあると思う。」という私の感想。
3:時代の流れの中での位置付け。これらの方法の、自立支援や介護予防を前面に出す介護保険制度との(理念的な意味合いでの)親和性の高さの指摘。
4:これらの方法に対する私の「感想」のまとめ
4-1:それなりに効果はあると思う、ということ。
4-2:ただし、どちらにしても「方法論の一つ」である、ということ。
4-3:これらの方法が、高齢者の持つ「潜在能力」引き出している、ということ。
4-4:これらの方法に取り組む前に、高齢者自身に「その気になってもらう」ことこそが大事、ということ。
4-5:「車椅子を使わないケア」が、本人さんの「障害否定・障害否認」にむすびついてしまわないか?への、懸念の表明。
4-6:「車椅子を使わないケア」の方法は、今の日本の制度においては「急性期・亜急性期医療のあり方・方法論」と言うべきではないか、という意見表明。現状の制度のもとでは、医療場面でも介護場面でも“現実的には、実現が難しいのでは?”という私の疑念表明。
4-7:高齢者の持つ「潜在能力」を引き出していることは、現状の医療や保健制度が不十分である、ということの証拠になるのでは?、という感想。
4-8:「でも最後にはやっぱり「人は衰えダメになって死んでいく」ということを当たり前の大前提とし、そこにそれに関わることへの前向きな意識や価値を見い出せなければ、介護という仕事を続けていくのはちょっと難しい・難儀なのではないでしょうか?車椅子を悪者にするだけならまだしも、寝たきり老人や人の死まで悪者にしては、ヒドイと思いませんか?」
5:おまけ 用語の誤用についての指摘(もどき?) う〜ん、ここはまとめるのが難しいなぁ、というか、一番、問題が大きい…。“批判的”とも受け取られる面も大きいし…。総体として、後ほど“総括”します。
●まずは、ご指摘・ご質問に答える形で…
さて、どんな形で“総括”しようか?随分考えたのですが、とりあえず「5年目OTさん」の言葉をお借りします。順番は、都合により前後します。
Q2:目標指向的介護は「車椅子を使わないケア」でもないし「歩けるようになること、ADLが自立すること」を大目標としているわけではないと思います。
『本当のリハビリテーションとともに築く介護〜目標指向的介護の理論と実際:中央法規:2000年』の16p「目標指向的アプローチとは」では、
| 「自立をめざす介護」でいう「自立」とはまず歩行・ADLなどの自立のことを指しますが、決してそれにとどまるものではないということです。…なかでも一番重要なのは精神的自立…本書では、歩行・ADLの自立をめざす介護の技術とプログラムの話が中心になりますが、それは歩行・ADLの自立性の向上が、家庭生活上の自立、社会生活上の自立、また精神的自立の向上のためのの要(かなめ)として役立つ場合が多いからです。 |
と書かれています。この一文を読めば分かる通り、また5年目OTさんのご指摘の通り、『目標指向的介護においては、“歩く”ことは手段であって、目標ではありません。(大渕)』安心しました。私のコメントはまた↓の方で…。
Q1:目標指向的と目的志向型思考・ブレイクスルー思考等を混同なさっていませんか?まったく別物ですよ。
私自身にとっては、ブレークスルー思考についてかじった方が先で、目標指向的アプローチについてかじったのが後です。そんなこともあって、このページをアップした段階でご指摘の通り?私は『「目標指向的アプローチ・介護」とは、「ブレークスルー思考」を高齢者医療・リハビリ・介護場面に応用発展させたものなんだ。』と理解していました。まぁ、「混同」ではなく「応用発展」という理解ですけど。
「本当のリハビリテーションとともに築く介護:目標指向的介護の理論と実際」の17P「目標指向的アプローチの特徴」から引用します。
1:目の前の問題点に対応すれば良いとは考えず、患者・被介護者の一生にわたる長期的な真の利益を最大にすることをめざして目標を設定して、それに向けて努力を集中します。 2:目標は個々の患者・被介護者に則して、極めて具体的なものでなければなりません。すなわち、「この人がどのような人生・生活を生きるのか」という個別的・個性的なものであり、決して万人に共通するような漠然としたものであってはならないのです。 |
私なりに、「目標指向的アプローチ」について「非常に特徴的であり、性質を決定付けている」と思われる部分を引用しました。
次いで、『ブレークスルー思考:ダイアモンド社:1991年』からの引用です。こちらは翻訳文独特の文体で、“とっつき”の悪いのが残念ですが…。
「はじめに」11Pから… 次に「ブレークスルー思考の7つの原則 1:ユニーク“差”の原則」中の111Pから…(文章A) |
上の2つの本からの引用、私の方で「色付け」させてもらいました。(同じ色のところは、私にとっては“同じことを言っている”と思える、ということです。)長々と引用するわけにもいかなく、一部私自身の要約注釈部分が色付きになってしまいましたが、(ブレークスルー思考原則1「ユニーク“差”」についての)私の注釈解釈に意味間違い等の問題があるとは思えません。そして、この2つの引用部分が、2つの理論体系をそれぞれ特徴付けている部分であることも間違いないと思うのですが…。
2つの引用部分をこうして並べ読んでみると、「5年目OT」さんには申し訳ないのですが、私には「目標指向的アプローチ・介護」と、「ブレークスルー思考・目的志向型思考」とが、まったく別物とはどうしても思えないのです。近似性を示す文章なりをもっと例示することもできると思うし。
「まったく別物」という場合、片方は「高齢者医療・リハビリ・介護における理念、方法論」であり、片方は「科学/経済学など非常に広汎な領域に応用可能な哲学的な論」という意味ではまったく別物ですし、提唱者が「まったく別の人」であることも当然ですが、その中味には『非常な近似が認められること』は間違いないと思います。私には、文章Aを読んだ方が、「問題解決者/理論提唱者」として、文章Bを書かれた、とすらイメージされてしまいます、もちろん、あくまで私の勝手なイメージでしかありませんが。
さて、ここが肝要ですが、この2つの理論の近似が単なる偶然なのか?あるいは私がすぐ上で妄想しているように、実際に「おおもと〜応用」という関係があるのか?それはどちらでもよいことです。たとえ目標指向的アプローチがブレークスルー思考を土台とした部分があったとしても、それは目標指向的アプローチ自体の価値とは何の関係もありません。むしろ私にとっては、目標指向的アプローチの提唱者である先生方が、(それを意識して“土台”としたか、どうかは別として)ブレークスルー思考をまったく知らなかった、とは信じられません。いや、目標指向的アプローチの提唱者としては『どちらでもよい、というわけにはいかない。ナドラーのブレークスルー思考なんてまったくの無関係だ、名誉に関わる!』ということならば、「そういうこと」なのでしょうし、時代が要請した偶然・シンクロニティ(共時性)というものの見事な具体例だなァ!なんて感じます。
もちろん、これは私独自の理解です。あくまで「目標指向的と目的志向型思考・ブレイクスルー思考はまったく別物ですよ。」という理解だってありだとは思います。ただ、これもあくまで私独自の理解ですが、「目標指向的と目的志向型思考・ブレイクスルー思考はまったく別物」と見なすことは、むしろ「目標指向的アプローチ・介護」の可能性を狭めてしまうことになるのではないか?と思います。
それとも、やっぱり根本的に理解の足りないところがあって、間違ってますか?それならば、ぜひともご教示を…とまでいかなくとも、ご指摘いただけるだけでもありがたいのですが…。
ですから、Q4:それとも(大渕が自分では)間違ってるとは思っておられないとか?→ええ、以上の意味においては間違っていないと思っています。(下記するように、間違ってた部分もあります。)
Q3:ページ内容全体として、批判的な内容にとれてしまう、ほかの方を批判する場合には・・・。(もっと慎重に、気を遣うべきでは?)
さて、問題はここから、です。正直申し上げて、最初にアップした私の文章に、「批判的なニュアンス」が無かったか?といえば、『ありました』。(^_^; もちろん上にもまとめたとおり、「全否定」ではなかったつもりですが、確かに批判的な部分もありました。それは、一つ一つの論旨と言うよりも、文章全体の雰囲気、あるいは私自身の「態度」といった面で、そういう面もありましたね。
例のNHKの番組放送後、私の知り合いの病院でも「おたくの病院では、昨日の番組みたいにしてもらえないのか!」と電話が複数かかってきたとか、特別養護老人ホームでもわざわざご家族が複数回に渡って足を運ばれてきて「ああいうふうにしてくれ!それが、お前ら施設職員の義務だろう!」と迫ってきたとか、ホームヘルパーさんに対してご家族さんが連絡帳で「今日は一日歩かせてください。昨日の番組見たでしょう?」と書かれたりとか、そりゃまぁ大変だったんですよ。日本全国で、どれほどのやり取り・混乱・すれ違いがあっただろう?と想像します。目標指向的アプローチの提唱者さん方は、そういうことも含めて、「よしよし」と思っていたのでしょうか?
そりゃ、あの番組見れば、ご家族としては当然かもしれません。ご家族はとてもじゃないが、「“車椅子を使わない”ということが、“本質”なのではない。」とか、「“歩く”ことは手段であって、目標ではありません。」とか、理解できるわけはありません。極端な話、私の感想は、『無責任!』ということです。それは、「目標指向的アプローチ」に対して、というよりは、「NHKの番組放送内容と、放送という事実」に対する感情、というべきものでしょう。そういう感情がベースにあったままで文章を書いたものですから、滲み出ていたとしても当然かもしれません。ただそれは、「目標指向的アプローチ」に対するものか、NHKの番組に対するものか、もう少し厳密に自分自身の中で整理をつけておくべきだったと思います。その点において、ご心配をかけたこと、「誤解の上の批判では…?」と心を痛めていた方々に対しては、深くお詫び申し上げます。また、(アップはあまりに遅くなってしまいましたが…)そのような反省を持たせてくれた「5年目OTさん」には、深く感謝申し上げる次第です。
また、私のもともとの文章の「5:おまけ 用語の誤用について。」で、『本当のリハビリテーションとともに築く介護〜目標指向的介護の理論と実際』の著者先生と、同書の「前書き」を書かれている先生について触れられていた、「師弟関係がどうのこうの」とか「呼称を付与した」とかいう部分、あれはまったく根拠のない、不適当な文言でした。だから、そういう文章があったとここで認めるだけで要旨にも残していません。これについては具体的に、重ねて深くお詫びする次第です。
●もう少し考えてみた…
実は、↑ここまでならば5年目さんが掲示板にご指摘を寄せてくれた時点からそれほど時間をかけずに、すぐにアップできたはずですし、すべきでした。大変に申し訳ないことに、何故ここまで遅くなったのか?というと、前節までで「終わり」では、「目標指向的アプローチ」について、どうも自分自身の中でしっくりいかない部分が残っていたから、です。(この半年、そんなのばっか…(^_^; )
例えば、『本当のリハビリテーションとともに築く介護〜目標指向的介護の理論と実際』では、さかんに廃用性症候群の害ということが述べられています。拙HPでも知識のコーナーの筆頭に上げてありますしそれはその通りなのですが、PT・OTにとっては常識であると同時に、最近は介護福祉士さんやホームヘルパーさんの養成教科書にも述べられていることです。(15年前のことを思うと、隔日の観がありますが…)
また、NHKの番組では、「PTがそばについているにもかかわらず、食堂で転倒してしまったケースについて」、転倒してから初めて『リハビリと看護でカンファレンスを持ちました。』というエピソードが紹介されていました。これって、『どの教科書にも載っている“チームアプローチ”』ということでしょう?とかね。(本当は、チームアプローチの中味・あり方自体を問題にしているのですけどね。)
そらに、ADL面で自立に向けた介護ケアのあり方についても、絶えず多くの介護職さんが日常的に取り組んでいるテーマです。(まぁ、それをスローガンでしかない、と見なされていますが…)
つまり、今さら?『目標指向的介護』とか言わなくても、内容的には常識的なことでしかないのでは?という疑問です。そんなはずはないですよね?何か訴えるもの、新しいものなりがあるから、わざわざ新しくネーミングしているんだよね?ブレークスルー思考を高齢者医療・介護の現場に応用させてみました、ということならば、それはそれで分かるのですが・・。
その辺りのことが得心いかないまま、時間が過ぎました。で、同時に色々勉強していて、ハタと(今さらながら?)思い至ったんですね。
『そっか、パラダイム・シフトだ…』 (^_^;
●ここから先は、私なりの解釈…
従来、病院の理学療法士の職場は病院の中の「機能訓練室」で、訓練時間は(今は)「20分刻み」というのが、『常識』です。そして、そこでその時間枠で、どのようなことをするか?についても、暗黙のうちの「前提」というか「了解」というか「イメージ」というものがあります。それは、看護も介護についても同じでしょう。「目標指向的アプローチ」においては、「目標」のためにはとりあえず、それらの「前提」を取っ払うことから全てが始まるように思えます。あるいは、その「目標」は「従来の医学=自然科学の枠」に収まりきるものとは限らないようにも思えます。(前書きに、その人がもっとも幸せになれる人生の目標というもの…をはっきりと設定して…とあります。)つまり、「従来のリハビリテーション医療」や「従来の看護」や「従来の介護」や、「それらの総体としてのチームのあり方」に、『パラダイムの変革』を求めるものなんだ、と。車椅子を使わないとか、そういった表面的なことではなくて、ということですね。そこで扱おうとしている具体的な問題は、「廃用性症候群」とか「ADLの自立」とか、目新しいものではありませんが、それに対する私たちの「専門家としての態度」にね、「大きな変革」を迫るものなんだろう、と思ったわけです。それならば、あえて声を大きくして、というのも分かります。『従来の医学=自然科学の枠』とか『パラダイムの変革』って、何よ?という方は、改めて前回アップの『パラダイム論』全体をご覧ください。→思索(31)(だから、パラダイム論のページをまとめあげないと、このページがアップできなかったんです。)私の中では非常に近い概念を持つ『ブレークスルー思考:ダイアモンド社』の副題を改めて確認したら、『ニューパラダイムを創造する7原則』というものでした。私自身もこの本を手にして10年過ぎても、副題まで含めての理解が浅かったとも思うし、今は「目標指向的アプローチ」・「ブレークスルー思考」・「パラダイムシフト」などのキーワードが、自分自身の中で有機的なつながりを持って位置付けられることを感じます。
もっとも、これも私の勝手な解釈です。「パラダイム論とは、全然関係ないですよ」とか、「そんなことは全然考えていらっしゃらないようですよ」ということならば、そういうことなのでしょう。少なくとも私自身の中では、このような考え方をもって、初めて「目標指向的アプローチ」がより「重要なもの」として認識される、ということです。こういう私なりの解釈が、諸先生方の名誉を傷つける!ということならば、このページ全体を引っ込めます。
●最後に
それにしても、というのは非常に分かりやすい“例/象徴”としてでも、ですね、「車椅子を悪者」にしてしまう表現方法には、私個人はいささか引かざるを得ません。腰髄損症の患者さんがあのNHKの放送を見て、どう感じたかな〜?とか、思わずにいられないんですね。ある意味そういう単純な感慨です。「車椅子が悪い」のではなくて、「誤った使い方をする」ことが悪いんですよね?私の身の回りでの反応を思い出しても、勘違いしている人が多いと思いますよ。おせっかいかもしれませんが。
えっ?最後まで「言い訳」と「自説開陳」が多くて、謝罪が少ないって?…ごめんなさい、でも、本当に誤まりは謝るべきと思っているんです。
あと、パワーリハについては、単純な筋力だけの問題ではなく“行動変容を迫る”とか、もともとパワーリハを始めた人はそんなことは考えてなかった、とか、色々混乱もあるようなので、全体を引っ込めます。ただ一言、↑の“パワーリハを通して行動変容を図る”というのは、知識(27)の学習性無力感に対するアプローチの例、と言えると思います。